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「私はうつ」と言いたがる人たち ★★★★☆

香山リカさん著

「私はうつ」と言いたがる人たち

を読み終えました。

 

評価は、星4つです。

 

著者の香山さんは、

テレビでもよくお見かけする精神科医。

 

香山さんの著書では、

2年ほど前に、

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール

という本を読んだことがありますが、

 

これは正直、

それほど印象に残っていないので、

今回もあんまり期待はしていなかったんですが、

 

今回は、

その期待を上回る結果になりました。

 

前回がわりと一般論っぽくて、

新しい視点に欠けている感があったのに対し、

 

今回は精神医学の観点から、

専門的な見解を踏まえつつ、

社会的に蔓延化している「うつ」について分析している点で、

 

ナルホド、そういうとらえ方ができるんだ!

とか

たしかに、そういう面はあるかもしれない!

というような「!」がありました。

 

おもしろかったです。

 

▽内容:

仕事を休んでリハビリがてらに海外旅行や転職活動に励む「うつ病セレブ」、その穴埋めで必死に働きつづけて心の病になった「うつ病難民」。格差はうつ病にもおよんでいる。安易に診断書が出され、腫れ物に触るかのように右往左往する会社に、同僚たちはシラケぎみ。はたして本人にとっても、この風潮は望ましいことなのか?新しいタイプのうつ病が広がるなか、ほんとうに苦しんでいる患者には理解や援助の手が行き渡らず、一方でうつ病と言えばなんでも許される社会。その不自然な構造と心理を読み解く。

 

この本が出版されたのは2008年で、

前掲『しがみつかない生き方』より、

ちょっと前の著書になります。

 

最近、

自分のまわりでも、

この本にとりあげられているような、

自称「うつ」的な人がいて、

 

(自分はなんら迷惑も被害も被っていませんが)

別の友人がそのことで苦労?していたので、

この本を読んでみようと思いました。

 

彼女は30代半ば。

新卒入社以来、

ずっとひとつの会社で営業職として働くベテラン。

 

このところ遅くまで仕事に追われる毎日で、

クライアントからのクレーム、

新人の教育、

一緒にやっているパートナーとの仕事に対する温度差などもあって、

ついに出社拒否に。

 

仕事量や内容にも不満がたまり、

パートナーや新人にもイライラ、

仲の良い他の同僚が、

高いパフォーマンスで仕事をして昇進、

また別の同僚は、

自分よりゆったり仕事して、

20時くらいには帰れている毎日。

 

なんで自分だけがこうなのか?

こんなに頑張っているのに。

一体、いつまでこの状態が続くのか。

 

苛立ち・倦怠感・焦燥感など、

いろんな気持ちが込みあげてきたのでしょう、

急に職場で涙が止まらなくなり、

朝、会社にも行けなくなってしまったそうです。

 

休職して病院にも通いました。

 

通った病院も複数にわたり、

あるときは適応障害

またあるときは自律神経失調症

そして最近では初期の躁うつ病といわれたり。

 

睡眠薬、安定剤、抗うつ剤漢方薬

いろいろ処方されたそうです。

 

彼女を心配する同じ会社の同僚は、

時々彼女と会って様子をうかがっていましたが、

会社の外での彼女は、

めちゃくちゃ元気。

 

とても病気がある人には思えないほどハツラツとしているし、

付き合っている男性とはお盛んで、

BBQや飲み会にも顔を出している。

 

そのくせ、

仕事の話になると、

自分の上司がどれだけクソか、

会社がどれだけ組織としてなっていないか、

自分が関係するパートナーや新人がいかに使えないか、

 ──などなど、

自分がこうなったのは周りのせいと言わんばかりに

愚痴のオンパレード。

 

その友人(同僚)は、

次のように言っていました。

 

たしかに彼女のチームには組織的な問題があるのは事実、

でも皆心配して彼女を休ませている。

 

彼女が休みの間、

ただでさえ回っていない仕事を、

皆で分担してなんとか回している。

 

それなのに、

彼女は愚痴を言うだけ。

 

しかも、

プライベートでは元気なのに、

仕事になるとやる気が起きないなんて、

彼女にも「わがまま」なところはあるんじゃないか、

 

病気なのは仕方ないけれど、

その病気を見守るべく、

他のメンバーは心配して助け合っている。

 

だからといって

復職しろとは言えないし、

自分には言う資格もないけれど、

もう少し申し訳なさというか、

謙虚な気持ちがあってもいいんじゃないか?

 

すべてを周りのせいにして、

愚痴ばかり言って、

それでいてプライベートを満喫してるから、

接しているとイヤになってくる…

 

──およそそんなことを、

その友人は言っていました。

 

これを聞いたとき、

難しい問題だなと思いました。

 

私が彼女に接して感じたのは、

病気という面もあるかもしれませんが、

彼女の気の持ち方が、

彼女を病気にさせてしまったんじゃないかと。

 

その気の持ち方とは何か?

 

──それは、

主観的にいうと「嫌悪感」、

客観的にみたら「ワガママ」というヤツです。

 

身体的にも精神的にもつらい、

まわりはどんどん昇進したり、

あるいは早く帰れたりしているのに、

自分は毎日追い詰められて仕事している、

もうこんな毎日はイヤだ!

会社になんか行きたくない。

 

そして本当に行けなくなり、

病院に行ったら、

それらしい診断名がつけられる。

 

──これが真相かと思います。

 

要するに、

「プッツン」です。

 

「プッツン」して病気になった。

 

あるいは、

「プッツン」が病気を利用した

といってもいい。

 

なぜそれが真相だと思うのかというと、

自分にも同じ経験があるからです。

 

私も一時期、

体のあちこちが不調で、

不調であること自体もそうですが、

そこからくる不安や不眠も相まって、

消化器や腰痛の薬のほかに、

安定剤・睡眠薬抗うつ剤を服用していました。

 

当時は、

夜は終電・朝は始発といった多忙な毎日で、

かれこれ10年くらい、

パソコンのモニターをみながら

ランチも自席で済ますような生活を続けていたので、

もちろんストレスはものすごくあった。

 

でも、

自分としてはすでにそのストレスに気づいていて、

いま思い返すと、

そのストレスを受け入れることがイヤになったから、

病気になった気もしています。

 

最初の5~6年こそ、

そんなストレスになんか負けてたまるか!

といったコンチキショー根性で乗り越えていましたが、

 

後半から徐々に、

表面上はストイックに装いつつも、

毎日イヤだなーと思って仕事をしたと思います。

 

他の人は早く帰れているのに、

なんで自分だけ?

 

──そして、

終盤はもう、

完全に自分の気持ちに気づいていた。

 

結婚もして、

経済的に逼迫しているわけでもないのに、

そもそもこんなに働く必要なんてあんのか?

 

やりたくないやりたくないやりたくない…。

 

──毎日そう思っていました。

 

人間は、

気づいている・気づいていないにせよ、

嫌がっていると、

それを避けるための口実を探してきてしまうものです。

 

本書のなかで、

 

うつ病の”無意識的利用”

 

という表現がありましたが、

まさにそれに近い状態だったと思います。

 

私の場合は、

うつ病なのか何病なのか、

結局はっきりしなかったけれど、

おそらく心身症の一種であり、

 

香山さんの言葉を借りると、

窮地から脱するために、

心身症という病気を無意識に利用したんだと思います。

心身症という病気に無意識に罹患したというか。

 

病気を利用し、

病気になるべくしてなった。

 

先の知人のケースも、

私のケースもそうですが、

病気になったことそれ自体は、

ある意味仕方なくて、

たしかに環境のせいもありますが、

半分は自分のせいでもあると思います。

 

大事なのは、

とにかくイヤだと思っていたこと、

だから逃げたということ。

──この真実から目を逸らさず、

きちんと向き合って認めることです。

 

イヤだと思って逃げたことそれ自体は、

他人からいいとか悪いとか言われる筋合いはなく、

自分でいかようにでも評価すればいいのであって、

とにかくウソ偽りのない自分を見定めることが

大事だと思います。

 

中途半端に、

病気のせいで自分はこうなった、だから仕方ないんだ

と思っていたら、

いつまでたっても何も解決しない。

 

そうではなくて、

病気をよんだのは自分で、

自分がそこから逃げたくて、

病気を利用し、

病気になるべくしてなったということを、

 

私も含めて、

いわゆる「うつ病」や「心身症」、

あるいは「うつっぽい人たち」はみな、

認識しておいたほうがいい。

 

そのうえで、

どうしてイヤだったのか、

なぜ逃げたかったのか、

イヤだと思わないようにする(なる)にはどうすればいいのか?

──といったことを考えないと、

本当に何もかわらないと思います。

 

薬も必要かもしれませんが、

認知行動療法もいいでしょう。

 

しかし何より大事なのは、

すべて正直に自分を見直し、

受け入れることが大前提で、

まずそこから始めなければ、

招いてしまった病は去らない。

 

時間はかかるでしょうが、

まずは自分におおもとの原因をあて、

環境なんていうのはひとつの起爆剤にすぎない

という観点で見直していったほうが、

ずっと根治率は高いと思います。

 

自分は1年くらいかかって

ようやくその領域にたどり着いたくらいです。

 

長年腰痛に苦しんだ夏樹静子さんも、

その著書『椅子がこわい』のなかで、

 

プライドが高ければ高い人ほど、

自己流の考え方・解釈にこだわり、

思い込みが強ければ強い人ほど、

痛みや病気にとらわれなかなか治らない

──というようなことを言っていました。

 

病気になったのは仕方ない、

病気なんだからやむを得ない、

あの環境が自分を病気にさせた、

 

そうやって「病気」や「環境」のせいにしてばかりで、

本当は自分が逃げているんだということを、

見て見ぬふりするような高慢ちきな人間は、

いつまでたっても「病気」から逃れられない。

 

いったん治っても、

自分の「心」が治っていないので、

いつまた再発するかわからない。

 

繰り返しますが、

そもそもは、

自分が招いた病気なのです。

逃げる口実として病気になった。

 

何病とかストレスで病気になったとかいう前に、

ストレスと感じている自分、

その状態から逃げ出したいと思っている自分を、

素直に認めることです。

 

環境やストレスのせいだったら、

プレッシャーや殺人的スケジュールに追われる芸能人は

みんなうつ病になるだろうし、

激務が原因なら、

長時間労働の人はみーんなうつ病になるはず。

 

もちろん、

起爆剤にはなると思います。

 

でも、

うつにならない人だってたくさんいる。

 

ならば自分にも何か原因があるわけで、

 

うつにならない人は、

同じストレスがあってもそれをイヤだと感じていない・感じてはいけない、

あるいは生きるうえで仕方ない、

──くらい諦めて受け入れている。

 

うつになるような人は、

イヤだと思っているし、

こんなことやる必要(意味)はない、

こんなのは自分じゃない・もっとラクで楽しい人生があるはず!

──どこかでそう思っている。

 

いくら見かけでは、

責任ある仕事を任せてもらってる・大変だけどやり甲斐はある、

なーんて言ってても、

本当の自分の気持ちは逃げたくて仕方ない。

 

もはや負け犬です。

 

私たちは、

自分が負け犬であることを正直に認めるべきなのです。

 

私は、

うつ病になるのは自分が弱い・自分が悪いという説は、

あながち間違いではないと思います。

 

自分がイケてないことを認めたくないから、

病気で誤魔化そうとしているのです。

 

話を戻しますが、

本書で問題になっているのは、

実は逃げたあと・誤魔化したあとの対応であり、

これが「ワガママ」なのかどうかだと思います。

 

自らの欲や都合だけを押しとおして、

他人に迷惑をかけてしまえば、

多少なりとも「ワガママ」になるのでしょうし、

 

迷惑をかけないようやり過ごせば、

それは「ワガママ」とみなされません。

 

仮に他人に迷惑をかけたとしても、

不快感を与えず上手いことやれば、

「ワガママ」とは言われない。

 

たとえば、

 

①イヤだと思っていた

②病気になるべくしてなった

③休職

④その間、自分の仕事を誰か他の人がやる

⑤その人は不快に思う

 

この時点で、

うつ病だろうと何病だろうと産休であろうと、

完全に「ワガママ」なのです。

 

私も一時、休職しましたが、

いま考えたら、

仕方ないことだったとはいえ、

ワガママだったと思います。

 

仮にこれが、

次のようなパターンだったらどうか。

 

①イヤだと思っていた

②病気になるべくしてなった

③病気だとは認めたくないし、

他の人に迷惑をかけるわけにいかない

④続行

⑤悪化

⑥休職

⑦その間、自分の仕事を誰か他の人がやる

その人は不快に思う

 

③→④の時点では、

「ワガママ」ではありませんが、

⑥→⑧の時点では、

立派な「ワガママ」になります。

 

ところが、

 

⑦その間、自分の仕事を誰か他の人がやる

⑧'でもその人は、それを不快には思わない

 

だったらどうでしょうか。

これだと「ワガママ」にはならない。

 

うつ病であれなんであれ、

それこそ今問題になっている妊婦さんであっても、

結果として他人に迷惑をかけ、

その他人が不快だなと感じれば、

それは「ワガママ」になるし、

感じなければ「ワガママ」にはならないのです。

 

ごくシンプルに考えたら、

そういうことなのです。

 

「ワガママ」を通した以上、

しかるべき対応をするのが本来はスジで、

申し訳ないと思う気持ちを呈したり、

 

仮にそう思っていなくても、

まわりとのトラブルを避けたいのであれば、

謙虚に装うのが適していると思います。

 

あるいは、

「ワガママ」と受け止められる前に、

先の⑦→⑧’のように、

まわりから不快には思われないように、

事前の根回しや、

あるいはさも申し訳なさそうに平謝りするとか、

そういう対応が必要なんだと思います。

 

つまるところ、

そういったフォロー的な対応がされていないことが問題なのであって、

すべて「病気」「妊娠」のせいにして、

なんでもアリ状態になっているのが、

いま蔓延している「うつ病」や「逆マタハラ」の実態なのではないでしょうか。

 

彼女はこれを「権利の乱用」と言っていました。

本当にそうだと思います。

自分を振り返ってみても、

残念ながらそうだったと思います。

 

仕事というのは、

本来、

やらなくてはいけないもの。

 

それがイヤになったとき、

それから逃げること・逃げたいことはタブーなわけで、

そういう自分を認めたくない。

 

でも、やりたくない。

 

そういうときはサボったり、

仮病して休んだり、

あえて手を抜いたりするわけですが、

 

そんなことをしても一時しのぎだとわかっていたり、

途方もない壁が、

なかば永遠に立ちはだかっていると思ったとき、

 

ついに人は、

「プッツン」するわけです。

 

でも、

先に述べたとおり、

逃げることを認めたくないし、

かとって辞めるわけにもいかない。

 

自分のキャリアに対するプライドもあるから、

いまの仕事を失うのはマズイという不安もある。

 

でもでも、

逃げたい・イヤで仕方ない、

しかしだからといって、

ダダをこねるのはみっともない。

 

じゃあどうする?

 

そうだ、

「病気」があるじゃん!

となるわけです。

 

意識的にただ「プッツン」してしまったら、

それはダダをこねているようなものだから、

 

病気をつかって「プッツン」する、

あるいは、

「プッツン」が病気を利用する

 

このときは、

半分は意識的だけども

半分は無意識で「プッツン」しているといってもいい。

 

そして、

ぜんぜん無意識なときもあります。

完全な「うつ病」というのは、

まさにこれだと思います。

 

前掲『椅子がこわい』でいうところの、

「疾病逃避」というヤツでしょう。

 

「あなたの意識している心は本当に仕事をしたがっているのかもしれない。しかし、あなたの気がつかない潜在意識が、疲れきって悲鳴をあげているのです。そこで病気になれば休めると考えて、幻のような病気をつくり出して逃避しているのです。それがあなたの発症のカラクリなのです」

※夏樹静子『椅子がこわい―私の腰痛放浪記』より

 

本書では、

「疾病利得」という表現をしています。

 

意識の上では、なりたくない、治りたい、と思っているのに、何物かが彼らを治癒から遠ざけている

 

その「何物か」こそ、

「無意識」という代物だと。

 

無意識は、自分がうつ病だと自己申告し、そうありつづけることが追うラスになることを本人に知られないように巧妙に計算し、そのうえでうつ病の症状を生み出し続けるのだ。だから結果的には、この病であることは彼らにとってなんらかの利益をもたらす。本人の思惑ではないこの利益を、精神医学の世界では「疾病利得」と呼ぶが、現代社会で”自称うつ病”は、いろいろな意味でもっとも疾病利得が得られやすい病気となっているとも言える。

 

では、

完全な「うつ病」と、

半意識的・半無意識的に病気を利用した「それ以外」を、

どう見分けるのか。

 

著者は、

本当の「うつ病」というのは、

時と場所を選ばないということを

第一義的に挙げていましたが、

 

それ以外に、

ベテラン精神科医のこんな言葉を紹介していました。

 

うつ病と診断してがっかりした人はうつ病うつ病と診断して喜ぶ人はうつ病じゃない」

 

要するに、

うつ病」と診断されて、

やっぱりそうか・これは病気だから仕方ないんだ

と納得してしまうケースは、

 「うつ病」もどきになるようです。

 

もどきの人にとっては、

自分が調子が悪かったり逃げたい口実が、

これでしっかり出来上がったわけなので、

妙に納得して時として喜ぶ。

 

本書では、

こうしたうつ病の無意識的利用を、

 

窮地に立たされ、正当な方法では願望の実現がむずかしいと思った人が、いわゆる”最後の手段”を使って願いをかなえる、というやり方

 

 と表現していました。

 

そしてその背景には、

以下のような事象があると、

著者は指摘しています。

 

いま、「うつ病」は自分の置かれた不本意な状況や調子の悪さを自分で納得し、まわりに理解してもらうための”最適なひとこと”になりつつある。

 

「病気を同情や責任逃れの手段にしたい」と心のどこかで考えている人にとって、うつ病は「使える病」になってしまっている 

 

ではでは、

いったいなぜ、

うつ病がかくも「使える病」になったのか。

自称「うつ病」の人たちが増えたのか。

 

本書で指摘されていることを要約すると、

大きく4点。

 

1.

「問題や事件が起きると、なんでもすぐ”心の問題”として語ろうとする傾向」が増え、プライバシーや人権という美名のもと、”心の問題”について批判することは許されない雰囲気が醸成された

 

学問の発展やメディアの拡散によって、

”心の問題”に対する理解が広まった一方で、

なにかあるとすぐ”心の問題”扱いする。

 

そもそも”心の問題”でその人を批判するのは、

人権侵害になるから、

そうなっちゃうともう批判できない。

 

そんな空気が常態化してしまったことが、

自称「うつ病」が増えている原因の1つだと。

 

著者によると、

日々、芸能ネタや政治家の行動として、

云々言われているようなことも、

 

あくまで日常心理や常識の範囲内で考えるべきことであって、精神科医や心療内科医、臨床心理士が登場して診断や治療の方針を専門用語を使ってあれこれ語り、マスコミや世間もそれについて”心の問題”として議論する、という種類のものではない

 

と言っています。

 

2.

うつ病が誰でもなりうるもの・被害者的な疾患として広く認知されるようになったため、自分のアイデンティティの柱になっていること

 

著者によると、

もはや日本は”一億総うつ病化の時代”で、

 

前掲1.のように、

すっかり一般的な病気として定着しています。

 

でもその病気は”心の問題”だから、

個人に原因を追求するのは許されず、

 

じゃあ病気の原因は何?

ってことになると、

おのずとそれが社会に向くのは当然で、

やれストレス社会がどうの、

やれ成果主義がどうの…となる。

 

”心の問題”を抱えたうつ病の人たちは、

そんな社会の犠牲者だという見方も当然増えます。

 

要するに、

「かわいそうな人」という見方です。

 

だからこそ、

企業は福利厚生でうつ病になった社員のケアをするようになったわけだし、

国や自治体の社会保障も「うつ病」をカバーするようになっている。

 

こういう見方が社会に広まれば、

それを逆手に注目や同情を得ようとする人たちが出てくるのも、

ある意味当然というか、

自然の成り行きというか。

 

普通の人とはちがう何かを求めている人たちにとって、

まわりから同情も得られる「うつ病」は、

恰好のアイデンティティとなるわけです。

 

個人的に興味深かったのが、

以下です。

 

ごく一部の人たちのあいだでは、最近はうつ病というアイデンティティさえ、すでに”使えないもの”になりつつあるようだ。あまりにも多くの人が「うつ病」と名乗るようになり、この病名は決してめずらしいものではなくなったからだ。「ほかの人たちとは一線を画した非凡な私でいたい」と思う人にとっては、うつ病は物足りない診断名になってしまったのだ。

 

では、

そういう人たちが次に注目している病気は何か。

 

彼女はそれを「線維筋痛症」だといっていました。

 

線維筋痛症とは 線維筋痛症友の会 JFSA

 

もちろん、

すべての患者さんが、

自らのアイデンティティのためにこの病気に望んで罹患していると言っているわけではありません。

 

ポストうつ病として、

無意識的に利用され、

発現している・増えているのが、

線維筋痛症」だというわけです。

 

この病気は、

全身性の原因不明の慢性疼痛で、

かくいう自分も一時期、

それを疑ったことがあります。

 

それくらい、

身体の不調にとらわれていたわけですが、

 

いま思うと、

うつ病」はイヤだから、

(自分がそんな精神的にもろい人間だとは認めたくないから)

自分が納得できる疾患を求めていたんじゃないかと

そんなふうに感じるのです。

 

うつ病」はもはやポピュラーな病気で、

「かわいそうな病気」という見方が広まった一方で、

「精神的に弱い人間がなる病気」という見方も

依然としてあるわけで、

 

かくいう私はどうだったかというと、

 

まわりからは

「かわいそうな病気」として見られたい、

でも自分では

「精神的に弱い人間がなる病気」と見下している、

 

──そんな矛盾する気持ちだったのが正直なところで、

 

自分が精神疾患じゃないとしたら、

じゃあなんだ?

それは「線維筋痛症」なんじゃ?

と自己診断していた経緯があります。

 

これだって、

いまだから冷静にそう分析できるんですが、

当時は本当にそうなんじゃないかと思っていたから、

実際に「線維筋痛症」を診断できるクリニックを訪れたわけで、

 

香山さんのご指摘を自身にあてはめると、

まんざらハズレではないと思えたのです。

 

いずれにしても、

病気自体のアイデンティティ化が、

その病気の定着・量産を招いているということです。

 

いつか線維筋痛症も、

うつ病のように、

とらえ方がかわる時代が来るのかもしれません。

 

「そうだと診断されてショック」から、「そうだと診断されずにショック」へ。「そう診断されたくない」から「そう診断されたい」へ。「うつ病」ほど、その受け止められ方や意味が変わった疾患もないのではないだろうか。

 

いやすでに、

もうかわっているのかもしれなくて、

白黒つけないと気が済まない・疾患を突き止めたいからこその、

線維筋痛症」なのかもしれません。

 

すごく苦しくて痛いんだけども、

診断名がついて、

どこかホッとするような感じ。

あとはその疾患を薬や何やらで治していくしかない。

 

本当は、

自分の気持ちや考え方に問題があるのに、

病気にして投薬治療で治そうとする。

 

うつ病にしたって線維筋痛症にしたって、

これで治るわけがないと、

今ならそう思ってしまいます。

 

話は戻りますが、

この「うつ病」のアイデンティティ化において、

著者はこれまた面白いことを言っていました。

 

それは、

 

うつ病はいいけど精神疾患にはなりたくない

 

ということ。

 

うつ病精神疾患のひとつだと思いますが、

本書を私が勝手に整理した限りでは、

 

どうも精神疾患には、

大別して以下のふたつがあるようで、

 

気分障害

うつ病適応障害躁うつ病双極性障害Ⅱ型)

 

人格障害

統合失調症解離性障害境界性パーソナリティ障害

 

というふうに分けられるようですが、

 

うつ病」をアイデンティティ化している人たちにとって、

人格障害精神障害(精神ヤバい系)だけれども、

うつ病はそうではないという位置づけをしている。

 

要は、

本来は同じ精神疾患なんだけれども、

自分の物差しで、

病気を選んでいるということです。

 

この指摘には、

ナルホドナと思いました。

 

で、

うつ病でもない・パニックでもない人たちが、

次に探すのが「線維筋痛症」だと。

 

彼らにとってこれは、

うつ病」と同じく、

”精神ヤバい系”ではない、「かわいそうな病気」だから。

 

私の場合、

うつ病を含むすべてが”精神ヤバい系”だと認識していたので、

そうではない説明のつく原因を、

線維筋痛症」に求めたんだなと思いました。

 

3.

うつ病」に対する誤解、不適切な診断基準によって、安易に「うつ病」と診断するケースが増えたこと

 

これが、

自称「うつ病」あるいは「うつ病もどき」が増えている理由の3つめです。

 

ここは専門的なので、

私も細かいところはよくわからなかったのですが、

 

著者の言っていることを要約すると、

だいたいこんな感じになるかと思います。

 

・「病因」やきっかけがどうであれ、発現している症状さえあてはまれば、うつ病と見なすのが現行の診断基準。それだと不十分で、なんでもかんでも広い意味でのうつ病になってしまう。

 

・確定診断にあたり、本来は一定期間の経過診察が必要だけれども、医療の世界においてもまた、すぐに結果(効率)を出すことが求められているから、医者は患者の症状の自己申告だけですぐに判断を下し、必要に応じて診断書を書いてしまう

 

こうした医療界の現実もまた、

うつ病もどきを量産しているわけです。

 

うつ病」や「うつ病以外」の精神疾患心身症は、

実際、

診察する精神科医によって病名がかわるのはよくあることで、

それくらい曖昧で見分けがつきにくいものだといいます。

 

器質的な疾患がみられないだけに、

症状から短絡的に診断してしまいがちで、

 

言わば、

うつ病」も「うつ病もどき」もいっしょくたに

同じものとして料理されている状態にあるというのが、

今の精神医療の現実なんだとか。

 

4.

「悩みを悩みとして抱えることができずに、すぐに気持ち落ち込み、身体のだるさといった症状に変えてしまう」ことが増えたこと

 

著者はこれを

 

「現代人は悩めなくなった」

 

と表現しています。

 

現代人は弱くなったとか、

ストレス社会のせいだとか、

いろいろ言われているけれど、

 

いずれも間違いではないと思う

と前置きしつつ、

以下のように述べています。

 

親子の悩み、恋愛の悩み、社会に対する悩み、そして生や死、存在の悩み。人生に悩みはつきもののはずだが、いまの人たちはそれらにじっくり向き合い、葛藤し煩悶し、文学や哲学、宗教、人生の先輩などに答えを求めようとしてさまよう、といったことがとても苦手だ。それよりも「あ、これってうつ病かも。つまり、脳の中のセロトニン不足よね」と考えてSSRIを飲んだり、短期の認知行動療法のプログラムに参加したりするほうが、よほど効率的だし、おかしな言い方だが”気がラク”だ。悩みは内面から生じるが、病気だとすればそれは”外から降ってきた”と考えられるからだ。

 

「悩み」や「迷い」を病気や症状に転換して、医療の次元の問題にしてしまう。自分自身のことなのに、「病気に見舞われた」と、どこか他人事にしようとしてしまう。

 

私は、

これが最も印象的でした。

 

冒頭に取り上げた、

知人や自分の経験は、

まさにこれだと思ったからです。

 

ドンピシャ。

 

香山さん、

すごいこと言うなぁと思いました。

 

効率や合理性を追い求めすぎた結果が、

これなんだと思います。

 

社会が効率とか合理性を求めているから、

自分もまたそうする。

 

調子が悪い・しばらくサボりたいと思っても、

じっくり休んでいるヒマなんてない。

常に結果を出すことを求められているから。

 

でも、

じっくり休んでいるヒマがないのは、

本当は昔の人のほうが強いはずで、

 

いまはむしろ、

休んでも死にやしないし、

なんとかなってしまう。

 

だからこそ悩む、迷う、葛藤する。

 

ちょっとくらい休んでもいいんじゃないか、

どうせ死にやしないし。

 

でも、

休んだら何言われるかわからないし、

評価にもひびくかもしれない。

 

ひょっとしたら自分も、

働く気すら失うかもしれない。

 

いやいや、

そもそもこれって逃げたいだけじゃね?

逃げたら負けじゃね?

 

でも待てよ、

逃げてもいいんじゃないか?

負けて何が悪いんだっけ?

 

てか、

逃げるとか負けるとか言う前に、

そもそも自分は何がしたいんだっけ?

どう生きていきたいんだっけ?

 

ああもういやだ、

こんなこと考えても仕方ないし、

かったるいし重いし暗くなる。

 

はやくラクになりたいし、

はやくこの状態に白黒つけて、

なんとかしなきゃいけない!

 

そこに病気が付け入るんだと思います。

病気を呼んでしまうというか。

 

悩んでいる余裕もないくらいに、

経済的あるいは身体的に日々追われていたら、

たぶん病気は別の形でやってくるでしょう。

(それこそ器質的な疾患など)

 

本当は悩む余裕はあるのに、

その余裕は「甘え」だと認めたくないし、

早くなんとかしなくてはという「焦り」もある。

 

本当はとても時間がかかる答え探しなのに、

早く白黒つけなくては、

早くこの状態にケリをつけなくてはと、

自分で自分を急き立て、

効率的に・合理的に回答を得ようとする。

 

そのとき、

うつ病」を利用するわけです。

 

悩む余裕があるという「甘え」と、

されどその悩みに、

真正面から向き合いたくない「逃げ」が、

効率的・合理的な理由を求めて、

そのいきつく先は「病気」になるというフロー。

 

香山さんも、

悩みをすぐ病気に置き換えてしまう現代人の脳の回路には、

資本主義経済やネット社会の影響があると論じています。

 

彼女は、

 

「売れるものがよいもの」と考える市場原理主義に基づく経済のグローバリゼーション化や、「速ければ速いほどよい」とされるネット社会が生み出した社会構造的な問題なのではないか、と思う

 

と述べられており、

 

現代を生きる私たちには、なんの得にもならない悩みごとを悩んでいるヒマなどない、ということだ

 

と記していました。

 

以上の4つが、

「私はうつ」と言いたがる人たちを発生せしめ、

あるいは量産せしめている要因です。

 

もう一度、

おさらいしておきます。

 

1.

「問題や事件が起きると、なんでもすぐ”心の問題”として語ろうとする傾向」が増え、プライバシーや人権という美名のもと、”心の問題”について批判することは許されない雰囲気が醸成された

 

2.

うつ病が誰でもなりうるもの・被害者的な疾患として広く認知されるようになったため、自分のアイデンティティの柱になっていること

 

3.

うつ病」に対する誤解、不適切な診断基準によって、安易に「うつ病」と診断するケースが増えたこと

 

4.

「悩みを悩みとして抱えることができずに、すぐに気持ち落ち込み、身体のだるさといった症状に変えてしまう」ことが増えたこと

 

 

著者はまた、

こうした自称「うつ病」や「うつ病」もどきが横行することによる弊害についても論じています。

 

その1つは、

本当にケアが必要な「うつ病」患者あるいは予備軍に、

的確な医療ケア・公的ケアが施されていないことです。

 

本書では、

自称「うつ病」の人たちのせいで、

本当に「うつ病」になってしまった人のケースを挙げ、

そういう人たちが逆にケアを受けられず、

うつ病難民」と化してしまった人や、

 

あるいは、

大企業のように福利厚生が整っていなくて、

うつ病が進退に悪影響をもたらした人のケースを紹介し、

 

同じ「うつ病」といえども、

そこには明らかに「格差」があると問題提起しています。

 

「私、うつ病なんです」と堂々と言える恵まれた立場の人と、ギリギリまでそれを隠さなければんらない中小企業の社員。うつ病の世界でも格差が進行しつつある

 

「私はうつ」と大手を振って、

「ゴネ得」的・言ったもん勝ち的に、

権利を乱用するような「うつ病セレブ」がいる一方、

 

うつ病と言えなくて、

「尽くし損」的に容態を悪化させてしまう「うつ病難民」もいる。

 

社会において「うつ病」が容認されるようになった陰で、

待遇・処遇に格差が出てきているというわけです。

 

また、

2つめには、

なんでもかんでもうつ病と診断して、

適切な医療行為が施されないことで、

副作用や再発が発生していることなども指摘されていました。

 

たとえば、

躁うつ病の名前で知られる「双極性障害Ⅱ型」には、

SSRIのような抗うつ剤を投与することはむしろNGで、

投与すると症状が悪化したり長引いたりするそうです。

 

ところがこの双極Ⅱ型は、

うつ病適応障害・気分変調性障害といった疾患や、

境界性パーソナリティ障害のような人格障害との判別が難しく、

SSRIが投与されてしまうことも多々あるんだとか。

 

かといって、

厳密に区別しようとしたところで、

答えがでないことのほうが多く、

種類も増える一方で現実的ではないそうです。

 

そうなると問題は、まずは「しっかりとした治療や休養が必要なうつ病」と「それ以外のすべて」を見極めることだけが大切、ということになる

 

と彼女は主張していました。

 

長くなりましたが、

概して以下のようなことが

本書で述べられていた内容です。

 

・いま日本には、

自称「うつ病」あるいは「うつ病もどき」が増えている

という状況が生じている。

 

・その背景には、

なんでも”心の問題”としてうつ病を容認したり、

安易にそれと診断するようになった社会の変化と、

 

病気にアイデンティティを求めたり、

疾病者としての権利を主張するようになった個人の変化がある。

 

さらに、

個人も社会も、

人間のもっている悩みや不満を、

なんでもすぐに病気とか症状に変えてしまい、

悩みと向き合わなくなったことも大きい。

 

・その陰で、

適切なケアが受けられず難民化している人たちがいたり、

逆に不適切な治療を施されて、

長期化や再発が生じている。

 

彼女は最後に、

次のように自論を述べています。

 

ほんとうに必要な人が気軽に精神医療を受けられることがいちばん重要なのは言うまでもない。ただ、私たちの世界を深みのある豊かなものにするためには、時間をかけて悩み、苦しみ、答えを出そうともがき苦しむことも必要なのではないだろうか。「私ってうつ病だから」とだれもが安易に口にして、薬を飲んだり長期休職することが人間の進歩だとは、とても思えない

 

本当にその通りだと思いました。

 

これだけ医学が発展しているのに、

社会の制度も成熟しているのに、

そして労働時間も減っているはずなのに、

なぜ自殺者や精神疾患が増え続けているのか。

 

これは先日読んだ『下山の思想』で、

五木寛之さんも言っていましたが、

 

結局、

科学のオウンゴールというか、

 

答えが見えないものを、

なんでもすぐ白黒つけて解明しようとする現代医療の罠だというわけです。

 

香山さんは、

そこにじっくり腰をすえて向き合いなさい、

と言っている。

 

私は自分の経験からしても、

本当にそうだと同調することができます。

 

ただ、

ちょっと違うのは、

「時間をかけて」という以上、

「薬を飲んだり長期休職すること」もまた、

あってもいいというのが私の考えです。

 

それは周りにとっては「ワガママ」かもしれないけれど、

結果として、

本当に自分と向き合うことができれば、

それはとても貴重な、

そして一番の「治癒」になると思います。

 

そして、

立ち直って、

素直に謝罪したり、

あるいは同じ「ワガママ」をくり返さないこと。

 

これが何より大事なことではないかと思うのです。 

 

今日は、

すでにまとめてしまったので、

「■まとめ 」は省きます。

 

次は、

五木寛之さんと香山さんの

鬱の力

を読みたいと思います。

 

■カテゴリー:

健康・医学

 

■評価:

★★★★☆

 

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「私はうつ」と言いたがる人たち (PHP新書)

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