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戦争を知らない人のための靖国問題  ★★★★☆

上坂冬子さん著

戦争を知らない人のための靖国問題

を読了しました。

 

評価は、星4つです。

 

朝日新聞従軍慰安婦に関する誤報やら、

このところずっと騒がれている、

中国・韓国との不協和音もあって、

私も戦争について興味をおぼえた

「にわかファン(?)」の一人ですが、

(※ファンなんて言葉は失礼極まりないと思いますが、

自虐的にあえて使用) 

 

靖国については、

昔から疑問はあって、

何をそんなに騒いでいるわけ?

と不思議でなりませんでした。

 

いつかちゃんと知りたいなと思いつつ、

ずっと先延ばしにしていたわけですが、

ここにきてメディアに影響を受け、

ようやく第一歩を踏み出したわけです。

(大仰な言い方ですが)

 

私自身、

嫌中・嫌韓ではありませんが、

かといって、

親中・親韓というわけでもないと思います。

 

というか、

そんなことはぶっちゃけどうでもよくて、

 

なぜ世間が中国や韓国に対して、

そんなに嫌悪感を催しているのか?

ということのほうに興味があります。

(逆も然りです)

 

それを知るには、

戦争も靖国も避けて通れない道なので、

そもそもの経緯や内容を知っておきたい

と思った次第でした。

 

靖国問題について私は、

そもそも何が問題なのなの?

なんか中国や韓国がクレームつけてきてるっぽいけどなんで?

日本国内はこれについてなんで大騒ぎしているわけ?

…と見事にドシロウトでしたが、

 

この本は、

靖国問題とは何なのか、

靖国神社とはそもそもどういう存在なのか、

なぜ中国や韓国はいちゃもんをつけてくるのか、

というように、

私のようなドシロウトの疑問に対し、

一通りの回答を用意しています。

 

また、

著者のスタンスとしては、

靖国問題は国際問題ではなく(他国にどうこう言われる筋合いはなく)、

あくまで国内の問題であり、

これまでそれをビシッと国内外に示してこなかった政治家が悪い!

といった塩梅です。

 

靖国には戦犯が祀られているわけだけども、 

その戦犯もふくめ、

あの戦争で命を失った方たちを偲び、

二度とあのような戦争を引き起こさない反省をして何が悪い?

 

そもそも、

戦犯戦犯というけれど、

その戦犯を決めたのは連合国だし、

裁いたのも連合国、

 

ましてや裁きを受け、

実際に彼らの何人かはきちんと刑を受けているわけで、

いまさらそれを蒸し返して、

ああだこうだ言ってくるのはおかしいし、

 

しかも。

中国や韓国なんていうのは、

裁く場にすら居なかったんだから、

いまになって難癖つけてくるのは

筋違いも甚だしい…

といった感じでしょうか。

 

このように筆者としては、

靖国問題=戦犯問題は、

他国にどうこう言われるものではないし、

 

(連合国の処罰を受け入れながら)

自国でそれなりに決着をつけてきたわけで、

日本の政治家ももっとそれを主張すべきだとして、

容赦なく自論を展開されていました。

 

そんな政府の弱腰に対して、

筆者はもう待ってられん!と言わんばかりに、

自ら中国や韓国政府にあてた声明書を

私案してしまいます。

 

それが、

本書の最終章である、

【第十三部 論拠のはっきりした政府声明を】

の箇所。

 

すごいバイタリティー!

 

この声明書に限らず、

著書全体を通して感じたのは、

 

彼女自身、

戦中・戦後を経験してきただけに、

言っていることに説得力があったのと、

歯に衣きせぬ言いようがなんとも爽快で、

彼女により一層の興味をおぼえました。

 

著者は、

今後の靖国に対する政治の在り方だけでなく、

今後の靖国神社自体どうあるべきなのか?

についても自論を呈し、

 

時代の変遷とともに、

靖国神社という存在自体も、

将来的にかえていくべきではないか?

そのためにはどうあることが一番理想的なのか?

というところまで突っ込んでいるのも印象的でした。

 

全体的に、

深くて鋭くて力強い考察の多い一冊でした。

 

▽内容:

戦中と占領下の苦難を知らずして、靖国参拝の是非を軽々しく判断できるのか?無知と偏向を排し、先人への敬意と明快まっしぐらな議論で国内国外を説き伏せる決定版・靖国。 

 

この本を読んだきっかけは、

 

ちょっと前に、

父が子に教える昭和史 あの戦争36のなぜ

という本を読んで、

 

そこで彼女が、

北方領土のパートについて説明していたのが、

非常に印象に残っており、

 

他にも是非読んでみたいなと思っていたところ、

靖国問題について書かれていた本があったので、

迷わず手に取った次第です。

 

彼女はノンフィクションライターとして、

戦後史や女性の社会進出などについて、

数多くの著書を残しており、

 

あの戦争を体験した貴重な識者のひとりとして、

靖国神社問題を解決すべく設立された、

福田官房長官の諮問機関

追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の委員にも選出されています。

 

2009年にすでに他界されていますが、

そのときには、

死ぬという大仕事

という著書を遺し、

がん難民が多発する医療制度に言及し、

死ぬ間際まで精力的に執筆活動をおこなった方です。

 

その生き様や文章からは、

最近お亡くなりになられた山崎豊子さんにも共通するような、

文筆家としての逞しさが感じられます。

 

冒頭でも既述しておりますが、

彼女は戦中・戦後を実際に生きており、

その論述には、

自身の経験をもとにした

実体験に拠るところも多分に含まれているので、

それだけに説得力がありました。

 

彼女はまず、

そもそも靖国神社の何たるかも知らず、

ひたすら参拝是非という上っ面だけを論じていることについて問題提起しており、

そのことが靖国問題を長引かせている一因と言っています。

 

靖国神社が国内外でこれほど話題になりながら、参拝は是か非かというだけで一向に核心に迫る議論として発展しないのは、かつて靖国神社が日本人にとってどんな存在だったかという肝心なポイントをはずしたまま、上滑りな雑談ばかりが進行しているせいである。

 

では、

靖国神社とは何なのか?

どのように日本人のなかに位置づけられてきたのか?

 

著者の言葉を借りると、

だいたい以下のような説明が

これに該当するかと思います。

 

戦時中、戦死した兵士たちの霊は靖国神社に祀られることになっていた(靖国神社神道だから、遺骨はあずからない。霊のみである)。

 

国民が国のために命を捨てれば、国家はその霊を神として靖国神社に祀るというのが、いわば当時の国家と国民の約束事であり、遺族は血縁者が靖国に祀られることによって一つの命の終焉を納得した。

 

国家神道が民間の宗教となってから神社本庁が設立されたが(昭和21年2月)、靖国神社神社本庁の管轄下に入っていない。いまも靖国神社は依然として単独の宗教法人である。ただし祭神の選考基準は原則として、戦死・戦病死もしくは公務に殉職した軍人軍属などとされていたから国家と無縁であるはずがなく、陸海軍両省がなくなってから、国家のために命を捨てた人は復員局および、のちの厚生省引揚援護局の管轄となって祭神名票靖国神社に送られ、神社側は霊璽簿におさめた上で、祭神を「○○の命」として合祀したのであった。

 

国のために、

泣く泣く戦争に参加せざるを得なかった人たち、

あるいは戦争が原因で亡くなった人たち・その遺族からすると、

靖国神社とは唯一の魂の拠り所であり、

いまもその存在意義は変わらないということ。

決して彼らの功労を称える場ではなく、

慰霊の場であるということ。

 

ここがまず著者が強調せんとする、

おさえておくべきポイントなのかと思います。

 

「お国のために死んで、靖国で会おう」

という言葉が合言葉になっていたように、

靖国神社はもともと国家神道の拠点でもあったため、

 

戦時中の靖国神社海軍省陸軍省の共同管理下にあったが、敗戦の四カ月後に占領下の日本から陸海軍両省がなくなり、マッカーサー神道指令によって靖国神社は国家から分離された

 

そうです。

 

神社が軍の管理下にあったということが驚きですが、

兵士の魂の行きつく先が靖国神社であった以上、

軍が靖国の名のもとに戦死者たちを弔うのも、

うなずけます。

 

軍や国家と靖国の分断について、

著者は、

 

天皇を神とし、国家神道をかかげて国民をマインド・コントロールした時代を知っている私にしてみれば、神道を国家と切り離し民間の宗教と同じように位置づけたのは正しい判断だと思う。

 

と一定の理解を示しながらも、

次のように異論を呈しています。

 

ただし、これが占領下に戦勝国の判断によって行われたままこんにちにいたっているのが納得できない。サンフランシスコ平和条約を締結して独立日本になった時点で、あらためて日本独自の判断によって神道を民間の宗教に位置づけ、政教分離の原則を明らかにしておくべきであったろう。

 

ここには、

他国に言われたからという対応ではなく、

日本が過去の過ちを反省するうえでも、

自らそうしたんだ、

その歴史を残しておくべきだったんだ

という著者の思いがあるわけですが、

それもこの本を読み終えると納得がいきます。

 

いわゆる靖国問題とは、

(戦争の首謀者たる)A級戦犯をそもそも祀るなんてことがクレイジーで、

そのA級戦犯が祀られている靖国神社を、

一国の首相ともある人たちが参拝するとはふざけている、

戦争の反省をまったくしていないのと同然だと、

諸外国(特に中国・韓国)がクレームをつけてきていることで、

外交問題にまで発展している事象ですが、

 

著者がいうとおり、

主権国家として独立した直後に、

 

日本は過去の戦争体験から、

宗教(神道)と国家(軍国主義)を結びつけたのは

大きな過ちだったと自らその非を認め、

 

他国から言われたからではなく、

自国で非を認めたからこそ、

 

政教分離の原則に準じて

あらためて靖国神社と国家の決別を宣言する!

 

と謳っていれば、

事態はもう少し好転していたのかもしれません。

 

中国や韓国にとって、

あくまで日本はアメリカから言われたから

しぶしぶ国家神道を解体させたにすぎず、

内実はそうではなかった・そうしたくなかった

と(故意に)受け取っているかもしれません。

 

そんなかつての軍国主義国家のシンボルでもある靖国神社に、

戦争の首謀者を祀り、

それを政府公人が参拝するなんていうのは、

日本はいまだに

軍国主義の土壌を払拭しきれずにいるのも同然だ…

 

そんなふうに解釈する隙を、

彼らに与えてしまっているかもしれません。

 

このあたりの著者の考察には、

私のようなドシロウトには到底考えも及ばないような

鋭さがあると感じ入りました。

 

それはあくまで、

将来の中韓の追及を避けるためにも、

”あったらよかった”的な歴史上の「もしも」に過ぎませんが、

 

著者いわく、

 

こうした歴史上の「もしも」ではなく、

そもそも靖国神社がどういった存在で、

戦後どういう変遷を辿ってきたか、

その本質・歴史を知らない人が日本人のなかにもいて、

それが不用意に靖国問題の揚げ足をとっている

とも言わんばかりです。

 

たとえば靖国神社の境内には、

遊就館という博物館がありますが、

それについて著者は以下のように述べています。

 

識者のなかには、戦争を鼓舞する展示館のようにいう人があるが、私はそうは思わない。(中略)戦時下の空気は承知しながらも戦場を知らぬ私にとって、遊就館は他に類をみない博物館である。主観のちがいによって、遊就館は人々を軍国主義に駆り立てる場所だと誹謗、中傷するのは自由だが、そういう人々は歴史に全く無関心なのであろうか。ヨーロッパの博物館にはギロチン(断頭台)が展示されているが、これを誹謗したという話を、少なくとも私は聞いたことがない。

 

遊就館零戦がならび、人間魚雷が展示されているから軍国主義だという論理は、通用しない。当時の日本には堂々たる軍隊があり、国家として戦争を行なう権利、つまり交戦権が認められており、戦う自由が保障されていたのである。あのころの日本の姿を歴史から抹消することの方が不自然だ。

 

要は、

靖国にせよ遊就館にせよ、

その存在意義や歴史を知っていたら、

 

それらが、

戦争関係者の功労を称える場ではなく、

あくまで慰霊の場であると同時に、

歴史の事実を認めるのにも必要な場であるという見解に至るはず!

…とこう言いたいのかと思うのです。

 

彼女としては、

そういう本質へのアプローチが欠けているから

靖国を戦争礼賛の観点で斜めに見る傾向があるのだと

おっしゃりたいんだと思います。

 

じゃあまず、

本質(靖国神社の存在意義や歴史)から見ていこうじゃないの

というふうに始まり、

 

そのうえで、

靖国=戦争礼賛」の視点をきちんと払拭してから、

問題となっている

A級戦犯の合祀や政府公人の参拝是非を問い直そうじゃないの

と続けるわけです。

 

で、

ここから戦犯の問題に入っていきます。

 

戦犯とは何ぞや?

A、B、Cの階級はどうやってわけられたのか?

その後、戦犯はどうなったのか?

…などなど。

 

ここでポイントになるのは、6つ。

 

1つめは、

(戦争の首謀者たる)A級戦犯

そもそも祀るなんてことがクレイジーだとはいうけれど、

その戦犯(=戦争犯罪人)を戦犯として規定したのは、

戦勝国側(連合国側)であり、

A、B、Cのクラス分けをしたのも戦勝国側であるということ。

 

戦犯処理として代表的なものに、

東京裁判や横浜裁判がありますが、

これを裁いたのは連合国です。

 

東京裁判は、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官を責任者として、いわゆるA級戦犯を裁いた法廷である。BC級戦犯はロバート・アイケルバーガー占領軍司令官を責任者として横浜地裁で裁かれた。

 

A級・B級・C級の階級分けについては、

以下のような基準でわけられていた

と説明がありました。

 

戦犯に対するA、B、C、のクラス分けは、私の知るかぎりアメリカ軍の機関紙の「スターズ・アンド・ストライプス」が言いだしたと思うが、A級は平和に対する罪を問うというものであった。当時、各国に交戦権があって、それぞれに国家の方針にしたがって平和を乱しているから、日本にのみその罪を問うのは言いがかりである。B級はたとえば捕虜虐待の監督、命令に当たった者、C級はそれを具体的に実行した者とされた。

 

2つめは、

その戦犯を裁くやり方自体、

戦勝国による報復裁判そのもので、

合法性を欠いており、

 

結局、

戦勝国の都合のいいように裁かれたということ。

 

このあたりは、

先日読んだ『父が子に教える昭和史』でも

指摘されていました。

 

※31.東京裁判 / 連合軍の報復か正義か?(保坂正康)

「正義」の大義名分のもと、実際は連合国の報復感情を満足させることが第一の目的だったが、それ以外に、その後の日本占領における非軍事化と民主化を日本国民に徹底する役割もあった。

 

上坂さんも、

 

東京裁判で)処刑されたのは七名だがA級戦犯として指名されたのは、ほぼ二百五十名とされている。

 

という事実を紹介しており、

 

それなのに、

実際に処刑されたのは7人、

BC級その他をあわせても合計59人だったと言っています。

 

国内外で戦犯として命を落とした人は千六十八人(含獄中死)とされているが、日本国内の巣鴨プリズンで絞首刑が執行されたのは東条元首相をはじめとするA級戦犯七人、BC級戦犯五十二人、合計五十九人で他に銃殺刑が一人いる。

 

刑が執行されなかった理由のひとつには、

東西冷戦(朝鮮戦争)があったといいますが、

彼女もそこは逃さず、

次のように述べています。

 

国内での処刑は一九五〇(昭和二十五)年四月七日で終わり、以後、いっさい行われていない。絞首刑を宣告された者も、この日を境に生き長らえた。この年の六月二十五日に朝鮮戦争が勃発したことを考えると納得がいく。朝鮮戦争勃発二カ月前に、アメリカは日本の協力なくしては戦えないと見越して処刑を中止したものと思われる。

 

生かすも殺すも、

アメリカ(連合国)次第

 

著者はまた、

アメリカが裁判の全貌をフィルムにおさめていたものを

後年、

講談社がドキュメントでまとめた

東京裁判」という映画を紹介していますが、

 

ドキュメンタリー映画「東京裁判」は、日本が戦勝国から何を問われたかということはもとより、あの裁判の不法性をも実によくあらわしている。あの映画によって、公正を欠く裁判であったことは一目瞭然である

 

と言っています。

 

そこで、

以下のようなシーンを取りあげ、

天皇の処罰すら、

戦勝国の都合のいいように扱われていたことを指摘しています。

 

オーストラリアのウェップ裁判長は天皇を戦犯にしたいと意図していた。アメリカのキーナン検事は、日本占領を順調に推進するために天皇を犯罪人にしたくない。これが対立して裁判長は裁判の途中で一カ月、いわばストライキをおこして帰国してしまう。

 

先の『父が子に教える昭和史』を読むと、

 

厳密には、

天皇の国体護持にあたっては、

日本側からも

連合国側に天皇の身柄の確保・皇室の安泰を申し入れたようですが、

※20.昭和天皇 / 戦争責任とは何か?(半藤一利

 

結果的に、

日本の占領政策をスムーズに推進するため、

アメリカはこれを受け入れたようです。

 

くわえて著者は、

これらの裁判がいかに戦勝国の一方的な断罪によるものだったか

をあらわすエピソードとして、

判決後に刑が確定した東条元首相と

外国記者団のやりとりを取り上げています。

 

外国記者の求めに応じた東条が、証言を述べた心境を次のように公表したのも実に興味深い。「この際特に申し上げることはありませんが、私の心境はたんたんなるものでただ私は靖国神社の祭霊と戦争により戦災をこうむられた方々の心になって述べたつもりです(中略)。もし私にここで希望をいうことが許されるならば(中略)、この裁判の事件は昭和三年来の事件に限って審理しているが(中略)、少なくとも阿片戦争までにさかのぼって調査されたら事件の原因結果がよく判ると思う(後略)」

 

いうまでもなく阿片戦争とは、清朝時代の阿片輸入禁止に対してイギリスが仕掛けた侵略戦争で、外国記者団にとって痛烈な皮肉であったろう。これだけではない。「戦争にしろ外交にしろすべて相手のあることであり相手の人々、相手の政府と共に審理の対象になったならば事件の本質は一層明確になるでしょう」と、東条は勝者による敗者の裁きの不当をついていた。

 

ちなみに、

靖国問題やあの戦争を語るとき、

東条英機の責任論については

これまた避けて通れない道で、

 

前掲『父が子に教える昭和史』の

【19.東條英機 / 日本の独裁者だったのか?】で、

保坂正康は次のようなことを言っていました。

 

※概略です。

元首相・東條英機は、戦時下は”救国の英雄”として扱われたが、戦後は一転して”極悪人”のレッテルを貼られ、現在でも極悪非道な独裁者というイメージが根強い。実際の東条は、真面目で臆病、任務に忠実な、いわゆる融通の利かないガリ勉タイプで、その彼が独善的に日本を戦争に導いたとは言い難い。東條のマイナスイメージは、連合国が戦後処理・占領政策の一環として、東京裁判や世論誘導で作為的に導いたもの。戦争責任をすべて軍指導者に転嫁することで、実際には戦勝国として敗戦国をさばく報復行為をカモフラージュしていた。

 

本書でも、

上坂さんは東条のことを、

 

独善的・過信的な面もあったが、

その裏には臆病で自信のない本性が隠されており、

近衛内閣の後継に自らが首相となるのはとても不安で、

彼自身は東久邇宮内閣を推していた

 

…というようなことを紹介していましたが、

 

東京裁判における東条の発言に対しては、

ある意味、

彼への敬意というか、

一定の評価をしているようなコメントを残していて、

印象的でした。

 

戦争は天皇の意志で始まったのかというキーナン検事の問い掛けに答えて東条は、天皇は最後の一瞬まで平和愛好の精神をもっていたが、しぶしぶ御同意になったとして、その御意志「宣戦の詔勅」の第三項に「朕の意志にあらずという御言葉」が書かれていると述べている。敗戦日本の空気を多少なりとも知っている私の立場からすると、もし天皇が戦犯となった場合、日本は騒乱の渦に巻き込まれたであろうと思うにつけても、あの時点で東条がどれほど日本にとって重大な役目を引き受けたことかと考えずにはいられない。

 

そして3つめは、

1つめにせよ2つめにせよ、

敗戦で立場を失った日本は、

その裁定について有無をいうことはできなかったということです。

 

つまり、

戦勝国は有無を言わさず判決をのませ、

日本はただただ彼らの判決にのっとり、

しかるべき処罰は受けたということ。

 

一方的な裁判だったのに、

戦勝国から都合のいいように裁かれたのに、

 

戦犯とされた多くの人たちは、

戦争の責任をとって言われるがままに刑に遇して、

 

そうして

日本は平和を迎えたわけです。

 

戦争が終わってから千人を越える一家の主や息子の命が奪われて、はじめて日本は平和を取り戻したのである。戦犯の命と引き換えに平和がやってきたという以外に表現のしようがない。でなければ、彼らの死は何であったのか。

 

それなのに!

と彼女は続けます。

 

どんな罪にしろ、裁判ののち判決を受け、判決通り処刑されれば、その罪は一件落着である。一事不再理(一度判決が確定した事件については、それ以上公訴を起こすことができないという原則)は秩序ある社会の鉄則だ。六十年も過ぎてから、A級とBC級戦犯を勝手に振り分け、A級戦犯を祀るところへ首相が参拝するのはナラヌなどと、外国からいわれてたまるか。アジアの平穏を乱しているのは、一体どっちだ。

 

 

4つめは、

その戦犯を裁く場に、

中国も韓国もいなかったのに、

いまさらイチャモンをつけてくるのは

オカド違いだということ。

 

このあたりは、

著者の熱が一番こもっている部分なので、

原文をそのまま引用しておきたいと思います。

 

中国は執拗に東条はじめA級戦犯の祀ってある靖国神社に参拝するなと日本に抗議するけれど、A級戦犯を裁いた法廷に関わった人は中国にいないはずである。いうまでもなく、すべては建国以前に終わったたからだ。裁判に参加した十一か国にはそれなりに記録は残っているだろうが、中国は当時の記録すら持っているはずがない。この中国にとって、建国前に処刑された他国の首脳の霊に首相が参拝することに意義をはさむ資格があるのだろうか。

 

中華人民共和国は建国二年目のあわただしさの中で、(戦後独立してはじめておこなわれた)日本の首相の靖国参拝など無関心であったのだろう。それを半世紀も経過したいまになって、なぜこれほどまでにして糾弾せねばならないのか、常識レベルで判断して理解に苦しむ。もし日本のA級戦犯を完膚なきまでに抹殺しなければ、自国内の反日勢力が納得しないというのなら、国家として国内世論に対する公正な解決策を見出すべきで、いわば国内問題ではないか。自国の民衆が納得しないからといって、いきなり問題を他国に持ち込んで、両国間の歴史認識の問題に結びつけて他国に謝罪と反省を迫るというのは、どう考えても設定に無理があり論理として無茶だ。

 

連合国四十八ヵ国と日本との合計四十九ヵ国が、サンフランシスコ平和条約に署名、批准し、晴れて日本は独立にこぎつけた。(中略)この平和条約締結に中華人民共和国中華民国(台湾)も韓国も参加していない。二つの中国の代表権問題でアメリカとイギリスの意見が一致しなかったため、大陸側も台湾側も召集されなかったのである。これだけではない。さらに注目すべき問題は、サンフランシスコ平和条約第二十五条だ。ここには、この条約に署名、批准していない国には、この条約に関するいかなる権利も権限も与えないと明記されている。だとすれば、何を根拠に中・韓はA級戦犯にまつわる靖国参拝にくちばしを入れるのであろうか。中国も韓国も、あの時点でサンフランシスコ平和条約の門外漢だったのだから、A級戦犯およびそれにまつわる靖国問題に対する発言権はまったくない。いわば発言失格国である。

 

上坂さんのご意見を

別の視点から解釈すると、

 

中国や韓国は、

戦犯問題について日本にどうこう言う前に、

同じ連合国側として

審議する機会を設けてくれなかったアメリカに

文句をいうべきでは?

…と私なんぞは思ってしまいます。

 

これも上坂論でいうところの、

一事不再理」の原則に基づけば、

当時に立ち戻ることすら許されないわけですが。

 

ただ、

上坂さんの論述で、

唯一腑に落ちないというか、

決して間違ってはいないんだけれども、

中国や韓国が一言物申したいのも

わからないこともなく。

 

国がまだ建国途上だったからにせよ、

欧米が恣意的に彼らを外したにせよ、

日本の戦争責任・戦犯処理について、

国際的な場で審査する機会が得られなかったことは、

彼らからすれば悔しいでしょうし、

俺らも報復裁判したかったよ!

って思うのは当然かなと。

 

「根拠がない」「資格がない」と

上坂さんは言いますが、

 

それを決めたのは当時の連合国側であって、

中国も韓国も、

「有無を言わせず」「連合国の都合のいいように」

根拠や資格を奪われたような気がしないでもなく。

 

だからといって、

今、彼らが主張してきているような

領土問題や賠償責任問題を

擁護するつもりは毛頭ないのですが、

 

ある意味、

日本の戦後処理では

彼らもうまくあしらわれた犠牲者

という一面もあるような気がして、

 

だからこそ、

彼らが異を唱えるべき先は、

日本ではなく欧米ではないか?

と思った次第です。

 

自分としては、

ここが最後まで

著者の論調に納得ができなかった点でした。

 

でもここは、

私がまだまだ勉強不足なだけかもしれないです。

 

だから、

中国や韓国との戦争責任問題については、

追ってまた調べていきたいと思いました。

 

戦犯問題のポイントの5つめは、

日本は独立二年目にして、

国内で解決済ということ。

 

サンフランシスコ平和条約に調停してから、

日本は独立を果たし、

主権国家として自国での戦犯処理を許されたので、

政府はすべての戦犯を国の犠牲者と位置づけて、

保障の対象にしたとしています。

 

戦死も戦傷病死も戦犯による刑死も、すべて国家のために犠牲になったとして、厚生大臣の認定により、その扱いに一切の差をつけないと決定したのである(援護法附則第二十項)。いい換えればここで、日本から戦犯という存在はなくなったと見てよい。戦犯処刑という言葉は消えて、公文書では「法務死」と書かれるようになった。さらに翌1954(昭和29)年六月三十日には恩給法の改正によって、戦犯として処刑される以前の拘留中に獄死した人も、その遺族たちに同様の保障が約束されたのである。

 

当時の国会の議事録には、戦犯は戦勝国からみれば犯罪人であろうが、日本にとっては犠牲者だという発言が繰り返されている。

 

日本としては、

何かルールを犯したようなことはしていないし、

もうずっと前に戦犯のカタはつけている。

 

それなのに、

今さらつべこべ言ってくんじゃねーよ!

と彼女は主張しているわけです。

 

戦犯の問題は日本の総力をあげて昭和二十八年、すなわち独立二年目にすべて解決済といってよい。いまさら、正当な根拠もなく感覚的な言いがかりのみで、日本の首相の靖国参拝に対する姿勢を殊更にあげつらうのは、中国の日本に対するいわれなき蔑視、あるいは何らかの悪意に満ちた意図があると疑わざるを得ない。

 

国家の判断にもとづいて靖国神社に祀ったA級戦犯を、侵略だの、歴史認識だのという、つかみどころのない言いがかりによって分祀するよう迫られて、無抵抗であっていいはずがない。しかも、独立二年目の日本が総力をあげてきっちり国内法的に決着をつけた問題に対して、その経緯も知らずにこれを根底からくつがえせといわんばかりの要求をしてくるのは、無神経にして不勉強な内政干渉以外のなにものでもあるまい。

 

さて、 

戦犯問題のポイントの6つめ。

 

最後は、

日本は加害者なのか?

いやいや違うでしょ日本だけじゃないでしょ!

ということ。

 

おさらいになりますが、

靖国問題には2つの側面があって、

1つは戦犯問題のこと、

もう1つは国家元首(首相)の公式参拝です。

 

先述したことをそのまま重用しますが、

靖国問題とは、

(戦争の首謀者たる)A級戦犯をそもそも祀るなんてことがクレイジーで、

そのA級戦犯が祀られている靖国神社を、

一国の首相ともある人たちが参拝するとはふざけている、

戦争の反省をまったくしていないのと同然だと、

諸外国(特に中国・韓国)がクレームをつけてきていることで、

外交問題にまで発展している事象です。

 

で、

この戦犯を祀ることについてどうこういわれる際に

検討すべきポイントの6つめが、

そもそも日本は戦争の加害者なのかということで、

 

著書のスタンスとしては、

戦争は関わった国すべてが悪いとしていて、

日本だけが責められる立場にはないとしていることが

このポイントの肝心なところです。

 

満州事変日中戦争支那事変)にしても、私には日本が全面的に異民族支配に乗り出すべくしてはじめたものとは考えられない。1932(昭和7)年に日本が満州を建国したのを犯罪のように言う人もいるが、吉野作蔵博士が蒙古の奥までも統治すべきだといわんばかりの随筆を述べたのは、一つには列強の侵略を意識してのことだろうとも思われる。昭和初期の時流を考えると私としても日本が出ていかなければ列強が出ていって、満州は必ずしも平穏だったとは思えない。それにつけても見落としてならないのは、何度もいうように時の流れと世の趨勢だ。『マッカーサー回想記』にでさえ、日本は自衛戦争を戦ったかのように読み取れる記述がある。

 

アメリカは石油の輸出を禁止して日本を兵糧攻めにし、追い詰められた日本が窮鼠猫を噛む思いで開戦となったわけで、(中略)戦争はお互い様なのだ。(中略)私は日本がアジアを一方的に侵略した加害者だという見方には安易に同調できない。ましてやいま、被害者と加害者を簡単にふるい分けて自虐的に日本を責めまくる人々の度はずれた”善意”には辟易させられるのみだ。

 

以上、

戦犯問題に関する

1~6のポイント(著者の主張)をまとめると、

こんな感じだと思います。

 

日本だってある意味被害者なのに、

 

やれ日本だけが悪い、

こいつらが戦争を引き起こしたA級戦犯だと

一方的に(都合のいいように)裁かれ、

 

それを泣く泣く受け入れ、

しかるべき刑も受けたのちに、

独立二年後に戦犯処理は終わっている、

 

それをいまになって、

A級戦犯を祀るなんてどうなのよ?と

 

その場にいなかった中国や韓国に

どうこう言われる筋合いは絶対におかしい!

内政干渉も甚だしい!

 

 

さて、

ここからは、

靖国問題における2つめの側面、

すなわち、

国家元首(首相)の公式参拝について。

 

A級戦犯が祀られている靖国神社を、

一国の首相ともある人たちが参拝するとはふざけている、

戦争の反省をまったくしていないのと同然だと、

いう点ですね。

 

まず、

きっかけは何だったのでしょうか?

 

首相の靖国参拝は、

過去何度かあるわけですが、

いつからこんなにもめるようになったのか。

 

上坂さんは、

次のように述べております。

 

きっかけは1985(昭和60)年8月15日の中曽根康弘首相の公式参拝であった。それまでは、政府の統一見解として首相や国務大臣が公務として靖国を参拝するのは、政教分離を説いた「憲法第二十条との関係で違憲の疑いがある」としてきたのだが、中曽根首相は周到に戦後四十年を控えたころ、内閣官房長官の私的な諮問機関「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」を設け、首相の公式参拝の方法について一年がかりで検討させている。そしてその報告書にもとづいて戦没者に対する追悼を目的とし、神式の拝礼ではなく社頭で一礼するだけなら公職の資格での参拝も問題ないとしたのであった。(中略)1986(昭和61)年に、折しも北京入りした新日鉄の稲山嘉寛名誉会長に、中曽根首相が要人に会ったら靖国問題について意見を聞いてほしいと頼んだ。その結果、稲山会長の帰国間際に、知日派の中国人が深刻な顔でホテルへ来て、「(首相の靖国参拝は)ぜひ止めるように中曽根首相に伝えてくれ」といったため、あえて避けたというのである。(中略)このほかに中曽根首相の態度いかんでは中曽根首相と親交のあった胡錦濤総書記の立場が危うくなるおそれもあったので、「国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも」配慮して靖国参拝はやめたとのことであった。

 

要は、

最初は政教分離の原則に反する違憲問題として、

あくまで内々(国内)のイシューだったものが、

 

不用意にも、

中国のご機嫌とりなんてしちゃったもんだから、

国際問題にすり替わってしまった、と。

 

彼女は、

時の首相の対応を、

こう批判しています。

 

小泉首相は、自民党総選で八月十五日靖国参拝の”冒険”を公約にしたものの、本番の二〇〇一年八月十五日の参拝をなぜか二日繰り上げて八月十三日に行っている。かたずを飲んで見守っていた国民は、拍子抜けしたものだ。

 

懇談会まで設置して目的達成を狙ったにしては、中曽根首相は腰が弱すぎたのではないか。また、靖国参拝を総裁選の目玉にしたにもかかわらず、小泉首相がほんの二日ズラしたのも姑息すぎる。私には両首相とも国家の代表として腰がきまっていないという点で、同罪に思われてならない。

 

そして、

こうした対応が引き金となって、

以後必ずといっていいほど、

中国や韓国は、

日本政府にクレームをつけてきているのだ、と。

 

日本の首相のこの態度につけこんだかのように以後、中国はA級戦犯の合祀されている靖国神社に日本の首相が参拝するのは、中国人民の感情を傷つけると強力にいい募るようになった。

 

根本的な原因としては、

先の「戦犯問題」に関する、

中国・韓国の不勉強があるわけですが、

 

上坂さんとしては、

国内の不勉強もまた、

問題を煽り立てる一因になっていると指摘しています。

 

これに応じて日本の政治家のなかにも、(中略)日本政府が独立直後に、すでにこの問題に決着をつけたにも拘らず、以後の政治家の勉強不足を丸出しにした発言がつづいて、こんにちにいたっているのである。

 

彼女はむしろ、

A級戦犯BC級戦犯の合祀以来、

二十年間も靖国に祀られなかったことのほうが

不自然で不可解だと言っているのですが、

 

その一因には、

「不勉強な政治家」たちの反対があったからだと

述べています。

 

なぜA級戦犯が合祀されなかったかというと、一つには前述通り不勉強な政治家が口々にA級戦犯の合祀に反対するかのごとき発言を行っていたからである。もう一つは、一九六九(昭和四十四)年から靖国神社の国家護持法案(靖国神社法案)が国会で審議され、厳しい反論にさらされて五年後に廃案になった経緯があったため、時期的に神社側としては紛糾を避けて合祀を差し控えたのであろうことも考えられる。

 

上坂さんが

彼らを「不勉強」と批判する要因として、

まず挙げられるのは、

戦争責任に対する考え方の違い。

 

先の戦犯問題でも取り上げましたが、

著者のスタンスとしては、

日本は加害者なのか?

いやいや違うでしょ日本だけじゃないでしょ!

という考えです。

 

ところが、

一部の識者は違ったりする。

やっぱ日本が悪いっしょ!

的な。

 

彼女はそれを

「単純すぎ」と言っていて、

そうした言説や世論が政府を甘やかしているんだ、

と指摘していました。

 

敗戦国日本は あくまでも加害者で、戦勝国としていまや国連の中枢を担う中華人民共和国は被害者だと、一刀両断の下に決めつけたかのような論陣を張る日本の識者の方に、私は反発を感じずにはいられない。あまりに転換が単純すぎないか。

 

”被害者”の希望にそって靖国参拝を取り止め、教科書の中の迷惑になりそうな記述には配慮しろという論理は、国家としてあるべき主張と姿勢の欠如を示し、腰抜けぶりをされけ出したというほかない。(中略)私は日本という国家の甘さ、だらしなさ、主体性の欠如に苛立っており、靖国問題の元凶はここにありと思わざるを得ない。

 

 

国内が「不勉強」に陥る要因の2つめは、

歴史認識の誤ち。

 

1つの歴史認識が、

後世の歴史観(評価)を決定づけるということは、

非常に重要なことで、

 

間違った歴史認識は、

間違った歴史観を植え付けることになります。

 

私は『父が子に教える昭和史』を読んで、

この歴史認識歴史観というものが

いかに重要なのかを、

はじめてちゃんと理解することになりました。

 

日本人(あるいは中国人・韓国人)の「歴史観」こそ、

その後の日本人の国民的アイデンティティを形成し、

ひいては外交にも影響を及ぼす

 

ここでは、

ひとつの報道・ひとつの言説が歴史認識をつくりあげ、

それが後世の歴史観につながってくという点において、

メディアや言論人の責任は非常に大きい。

 

だから、

朝日新聞による従軍慰安婦の誤報が

いまになってあれだけ叩かれているわけです。

 

上坂さんも、

南京事件で有名な「百人斬り競争」の報道について、

以下のように世論を間違った方向に扇動したと

述べられておりました。

 

(「中国百人斬り」を褒め称えた記事がまことしやかに報じられたように)戦時中に、この種の曖昧な記事が大々的に掲載され、これらが一因で”アジアに対するご迷惑”論になっていることも見落としてはならない。

 

こんにちの靖国問題に関わる、

間違った歴史観を形成したという点においては、

サンフランシスコ平和条約における「誤訳」

重要なファクターだと彼女は言っています。

 

どういうことかというと、

サンフランシスコ平和条約の第十一条には、

日本は戦争裁判の”判決”を受け入れるべし

ということが書かれているそうですが、

これを”判決”ではなく”裁判”と誤訳してしまい、

後世に大きな誤解を残すことになったそうです。

 

”判決”と”裁判”とではどう違うのか。

 

それは、

実際の判決のみならず、

裁判の内容まで含めて、

全部受け入れろということになります。

 

戦勝国が敗戦国を裁いたあの裁判の理不尽な報復の構図を認めろということになり、日本は未来永劫にわたって東京裁判の内容について異議をはさめなくなった。

 

そして、

これが起因となって、

 

実際に、戦後四十年近く、誤訳にしたがって日本ではあの”裁判”を正当なものとして受け入れなければならぬかのように取り沙汰され、戦勝国の行った裁判について一切批判、糾弾することはならぬといわんばかりの受け取り方をしてきた時期があった。

 

…だそうです。

 

実際に、

後藤田正晴さん(官房長官)は、

この論調にしたがった形で、

中曽根首相の靖国参拝を取りやめたんだとか。

 

ひとつの言葉の取り違いが、

とんでもなく大きな問題に発展してしまう。

 

こういう現象を、

必ず誰かに話したくなる経済学』(門倉貴史)では、

バタフライ効果」と言っていました。

 

国内が「不勉強」に陥る要因の3つめ、

歴史の評価のやり方がおかしいということ。

 

よく専門家も私たちもそうですが、

歴史を振り返りながら、

勝手に評価しています。

 

たとえば、

明智光秀は裏切者の最低男!とか、

東条が悪い!とか。

 

一般人の場合は、

「知りもしないのに」とか

「大して勉強もしてないのに」といった、

単なる勉強不足というケースが多いですが、

 

専門家やメディアに多いのは、

上坂さんいわく、

「時の流れと世の趨勢」を考慮せずに、

いまの時点・いまの環境からしか

歴史を評価していないということ。

 

こういう姿勢が「不勉強」を引き起こし、

無意味で無責任な発言を呈しているんだ

と言わんばかりです。

 

人も国もいくつもの発展段階を経て成熟していくものだが、それにつけても見落としてはならないのは時の流れと世の趨勢であろう。人は流れに沿って現実を見据えながら精一杯の判断を下し、時流と絡みあわせながら正当と思われるものを評価して時代を乗り切る。時点を買えて別な評価を下したいなら、時点が変わったことを前提に打ち出して、あの時はあのように思ったが、いまにして思えばこのようになると、回想を込めて評価を変えるべきだ。にもかかわらずA級戦犯に関して非難、中傷するとき、回想と半世紀後の現時点での評価を、混同して論じる人が多すぎる。

 

二十八年も前に(1978〔昭和53〕年)、靖国神社に合祀されたA級戦犯をにわかに国賊あつかいして、それも中国からクレームがつけられたのがきっかけで、靖国神社から外して分祀しろだの、日本の首相の靖国参拝がアジアの平和を乱しているだのと、過去と現時点とを無分別に混同して論陣を張る人々の真意が私にはわからない。よほど根深い他意があるのではないか。

 

ちなみに、

先の『父が子に教える昭和史』では、

 

保坂正康さんが

【31.東京裁判 / 連合軍の報復か正義か?】

のセクションにおいて

下記のように述べられていましたが、

 

東京裁判における)連合国のトリックに気がつくことは、日本国民の義務である。しかし、それに気づいた上で、主体的にあの戦争の責任を考えることを試みなければ、われわれは東京裁判の呪縛から逃れることはできないだろう。

 

上坂さんは違います。

 

最近になって、状況判断を誤り無理な戦争を遂行した者の責任を、日本は日本人の手で追及すべきであったと言う人がいるが、これは占領という事態に対する無知というほかない。(中略)あらためて平和な時代に身をおいた私たちに出来ることといえば、戦争と戦後の理不尽を噛みしめることぐらいだろう。無理に時代の再現を試みれば、見当外れを招くかもしれず、論議の空転が思いやられる。

 

そのときの再現はできないし、

そもそも意味がないと言っています。

 

いまになって、日本人の日本の戦争責任追及を手掛けるというのは、どだい無茶な注文だということがわかっていない。戦勝国は(ものすごいスピードで報復裁判までたどりつき)七人のA級戦犯をこの世から抹殺した。彼らは日本の手で日本人の責任追及をさせまいと意図していたのである。その意図に逆らい、しかもこれほどタイミングのズレた時に、日本人自らの手で真摯に責任追及をなどというのは、錆びついた刀を振り上げて一刀両断を試みるかのごとき無謀を感じさせる。それよりも、戦勝国の意思に逆らうことなどできなかった占領下の体制についての分析を深めることの方が、現実味があるのではないか。

 

私はまだ、

どっちが正しいのかわからないのですが、

保坂さんと上坂さんは考え方が似ているのかなと思いきや、

要所要所で違ったりして、

それが複数の本をまたいでわかったことが、

自分にとっては収穫でした。

 

靖国問題=政府首脳の公式参拝という側面についての

著者の主張をまとめると、

ざっとこんな感じかと思います。

 

A級戦犯が祀られている靖国神社を、

一国の首相ともある人たちが参拝するとはふざけている、

戦争の反省をまったくしていないのと同然だと、

中国や韓国は言ってくるけれど、

 

彼らの不勉強もさることながら、

日本の政治家も弱腰すぎる!

 

だいたい国内の識者や報道機関が不勉強だから、

政治家や世論を間違ったほうに導いているわけで、

 

やっぱ日本が悪いっしょ!的な

戦争責任に対する不勉強、

 

そもそもの歴史認識が間違っている(間違っていた)

ということに対する不勉強、

 

「時の流れと世の趨勢」を考慮せずに、

いまの時点・いまの環境からしか

歴史を評価しようとしない不勉強。

 

こういう国内の不勉強が、

政府を甘えさせ、主体性を欠けさせ、

ヤワな外交しかできなくさせている!

 

じゃあ、

どうすればいいのか。

 

諸外国の不勉強には、

政府がもっと主張すべきだし、

何より国内の識者やメディアがもっと勉強すべきだと。

 

諸外国からの追及を避けたり、

政教分離の合憲性を全うするために、

 

政府としては、

あらたに国立追悼施設を建設し、

そこに戦争犠牲者たちの慰霊所を移設する

という計画もあるようです。

 

国家が主体となって戦争犠牲者を祀る以上、

どうしても神道(宗教)と国家の違憲性が問われるし、

現に、

靖国を国家の管理下に置くとされる靖国神社法案

1974年に破棄されています。

 

とはいえ、

戦争犠牲者=法務死と位置づけ、

本人や遺族を保障の対象にしていることや、

反戦・反省の意を忘れないためにも、

国として戦争犠牲者を弔い続ける必要はあるわけで、

 

そうなると、

靖国にかわる新たな(無宗教の)施設か?

はたまた靖国の存続か?

という話になってきます。

 

上坂さんとしては、

後者のほうを推していて、

 

国立追悼施設など近隣諸国におもねって予算を獲得する前に、もし可能なら靖国神社の形式を変えて国家による護持を考えられないか。(中略)国家による護持については、一九六九(昭和四十四)年に検討をはじめて五年後に廃案になったが、あれから三十余年が経過して時代も世論も変わりつつあるいま、改めて慎重に話し合って、これまでの国家護持論議の論点を地ならしすることはできぬものだろうか。もし、それが可能なら靖国は最も無理なく安定した慰霊の場となろう。

 

と述べられています。

 

実際、彼女は、

福田官房長官時代に、

「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」

のメンバーに選定され、

政府にも助言する立場にありましたが、

 

そのときのことを

次のように振り返っていました。

 

神道靖国神社の形式を変えて国家による施設として無理のない方式が生み出せるなら、それが自然だとひそかに結論づけていた。そのためには靖国神社の正面に燦然と輝く天皇家の菊の紋章や大鳥居を外すことは可能なのだろうか、などと口には出さなかったが、ひとり夢想したりした。

 

いまこの時期にずるずると別の国立追悼施設に食指を動かす政治家の動きに対して、健在の老遺族を切り捨てたかのような冷酷さを感じ、国家の責任において護持することを提案せずにはいられないのである。

 

彼女の言い分としては、

 

信教の自由という立場からすると、神道をかかげたまま国民のための慰霊の場所にするには限界がある気がするのだ。(中略)全国民を納得させる慰霊の場とするには特定の宗教枠を外した祈りの場とすべきだろう。

 

として、

 

いまのままの靖国では無理だろう

という見解を示しながら、

 

ただし、時の流れに合わせて国民のコンセンサスをまとめ、「靖国神社」を例えば「やすくに」といい換えるなどして、日本の伝統的慰霊の場として継続的に維持する方法などは考えられるのではないか。

 

といった変形案を提示しています。

 

国内のコンセンサスをとるとはいえ、

それはとても大変なことだけれど、

国も靖国もその努力は惜しんではならず、

 

難儀することが目に見えているからといって

安易に国立追悼施設を新設するのは、

 

靖国に祀られている人々や遺族への冒瀆だと

強く言い切っています。

 

延々百三十年にわたって国家のためにいのちを捨てた人々を祀ってきた靖国に代わる施設が、安易にできてたまるか。

 

これは、

歴史に造詣が深いだけでなく、

その時代を生きてきた上坂さんだからこそ言えた

当人としての言葉だと思います。

 

また、

枠組みだけでなく、

靖国内部の細かい規定も見直すべきだと

彼女は続けています。

 

細かい規定とは、

祭神の資格や基準のことで、

 

上坂さんによると、

靖国のそれは、

 

日本国のために命を落とした人という大枠はあるものの、あまりに漠然としすぎている。

 

のだそうです。

 

上記の規定だったら、

PKOの殉職者や国際協力事業で命を落とした人も、

靖国に祀られてもよいはずなのに

そんな例はなかったり、

 

一方で、

境内の「鎮霊社」には、

白虎隊の少年や西郷隆盛が祀られていたり、

湾岸戦争コソボ紛争の犠牲になった外国人が

祀られていたりと、

 

それはもう、

チグハグな状態だそうです。

 

祀ることに異議があるわけではないが、余りに無秩序すぎないか。

 

別に私自身、

靖国たいしてなんら特別な思いはありませんが、

 

いまの枠組みのままなら、

かえってチグハグなところを残しておいたほうが、

諸外国が突っついてくる

戦争礼賛視点 は回避できるような気もしています。

 

さて、

長くなりましたが、

上坂冬子さんの靖国問題

とっても勉強になりました!! 

 

ここに書ききれなかったことは、

別途、備忘録として残しておきたいと思います。

 

■まとめ:

靖国問題とは何なのか、靖国神社とはそもそもどういう存在なのか、なぜ中国や韓国はいちゃもんをつけてくるのかといった、初心者への疑問もクリアにしてくれる。

・著者自身、戦中・戦後を経験してきただけに、言っていることに説得力があったのと、歯に衣きせぬ言いようが爽快。また、目の付け所や考察も鋭く、意見のオリジナリティも強い。深くて鋭くて力強い考察の多い一冊。

・ 著者のスタンスとしては、靖国問題は国際問題ではなく(他国にどうこう言われる筋合いはなく)、あくまで国内の問題であり、これまでそれをビシッと国内外に示してこなかった政治家が悪い!という考え。

 

■カテゴリー:

歴史

 

■評価:

★★★★☆

 

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