戦争を知らない人のための靖国問題  備忘録

こちらは、

上坂冬子さん著:

戦争を知らない人のための靖国問題

 

の備忘録です。

 

本編(感想)はこちら

 

とても面白かったので、

後学のために備忘録に残しておきたいと考えた次第です。

 

▽内容:

戦中と占領下の苦難を知らずして、靖国参拝の是非を軽々しく判断できるのか?無知と偏向を排し、先人への敬意と明快まっしぐらな議論で国内国外を説き伏せる決定版・靖国。 

 

ここでは、

感想以外に印象に残ったことを残しておきたいと思います。

 

マッカーサー神道指令で神道と国家の断絶が決定した際、占領軍側からは、靖国神社伊勢神宮明治神宮を焼却する案などもでた。神社側はこれを避けようと、境内の一部を娯楽施設のある「歓楽郷」 にするという案まで考えた。

 

東京裁判では、当初、巣鴨プリズンには絞首台は一台のみでだったが、A級戦犯七人のために五台に増やし、四人と三人に分けて処刑。

 

横浜地裁BC級戦犯法廷は、現在、神奈川県の桐蔭横浜大学に移築・保存されている。

 

・原爆製造を担当したのちのロスアラモス研究所長・ハロルド・アグニュー博士は、ヒロシマに原爆を投下したエノラ・ゲイ機に随伴して空から成果を観察したが、戦後はじめて来日した際、平和祈念資料館を参観していったが、最後まで詫びる姿勢すら見せなかった。

 

それなりの使命感を持ち勝利をめざしていたからこそ、仕事の成果を見ずにはいられずヒロシマまで同乗してきたものと思われる。あのときは戦う国民として懸命に国家の方針にしたがって原爆を製造、投下したのだから、六十年経過したからといって安易に一転して謝罪する気になれないというのは、人間の意思のあり方としてうなずける。私たちが経験した戦争とは、そういうものであった。戦争をしている国の間には罪のない人間はいないといい切った博士の論法に、戦時体制を経験した私は敵ながら天晴れとさえ思ったのである。

 

東京裁判で日本を裁いた十一か国の中で、唯一連合国の判決に異を唱えたのは、インドのラダビノード・パール博士。彼は、A級戦犯が「平和に対する罪」を犯したとして処刑されたことに、真っ向から反対。

 

「平和に対する罪」は犯罪ではないというのである。当時の国家にはそれぞれ交戦権があり、他国に対する武力行使を犯罪とする国際法は存在しなかったからだ。(中略)日本のみがこのような法廷に被告として立たされ、罪状を科せられるのは不当だとしたのである。

 

さらにパール博士は東京裁判の矛盾をもっともはっきりあらわすものとして、日本との間で中立条約を結んだソ連が、条約の有効期間であるにもかかわらず(1946年4月まで有効)前年の二月に一方的にヤルタ会談で対日参戦を決定した点をつき、そのソ連東京裁判で日本を裁く権利まで与えられていることの理不尽を、するどく指摘しているのである。

 

また、東条一派が共同謀議によって一方的に事態を開戦に持ちこんだという論議を頭から否定したのもパール博士で、東条首相は全力を尽くして外交交渉に当たったがアメリカ側はすでに調整不可能の結論を出していたと述べ、あの時点で戦争は避けられないものであったとしている。

 

博士の労作「パール判決書」は、もちろん法廷で読まれることもなく、占領政策に有害として発禁の扱いを受けている。日本で正式に発刊にこぎつけたのは東京裁判開廷二十周年に当たる1966年で、元朝日新聞政治部の佐山高雄記者が発行者となって、東京裁判研究会『共同研究 パール判決書 太平洋戦争の考え方』を刊行して世の注目を浴びた。

 

靖国神社の境内の遊就館のならびには、パール博士の写真入りの陶板が埋め込まれた石碑が建っていて、その碑文には、博士が東京裁判を担当した連合国十一ヵ国の中で、唯一人の国際法専門の判事であったことがのこされている。

 

東条英機は、A級戦犯として処刑されたとき63歳で、遺族としてカツ未亡人の間に七人の子どもがいる。長男は日本船舶振興会に勤務、次男は三菱自動車の社長、三男は航空自衛隊の幹部、長女は自衛隊陸幕長の後妻に、次女は敗戦の詔勅を吹き込んだ天皇玉音放送の発表を阻止しようと割腹自決した古賀秀正の嫁、三女は東映映画「大日本帝国」などの製作にたずさわたフリーの映画監督夫人、四女は戦後アメリカに留学してアメリカ人の妻となった。

 

日本船舶振興会の)笹川良一会長は自身が戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘留されたこともあって特に戦犯への思いが深く、戦犯の未亡人の集いである”白菊遺族会”への後援、協力などを惜しまなかったから、A級戦犯の長男として白眼視されている人をあえて迎えたのであろう。

 

・東条の歯には、巣鴨プリズンにいた歯科医によって「R・P・H(リメンバー・パール・ハーバー)」の文字が刻印されている。

 

教誨師の花山師によると)あるとき巣鴨プリズンの歯科医が、「東条の歯にR・P・Hと彫り込んでやった」と漏らしていたという。リメンバー・パール・ハーバーの頭文字である。処刑後に遺品として届いた入れ歯に、その文字があるかどうか花山師がカツ未亡人に問い合わせたところ、「あります、あります」と返事が返ってきたとのことだ。

 

靖国神社には戦争で命を捨てた男子のみならず、戦時下に職場を守った女子も祀ってある。よく知られているのは沖縄のひめゆり学徒隊だが、その他大勢の女子供・外国人までもが祀られている。

 

日本が降伏して五日も経過した八月二十日に、スターリン麾下のソ連軍は樺太の真岡市を不法攻撃し、真岡郵便局の電話交換手九人が職場を守って自決した。彼女らの霊も靖国神社に祀られている。ほかに空襲下に被害の拡大防止のために活動した警防団員、沖縄から本土へ疎開する途中に遭難した対馬丸の学童たち、満蒙開拓青少年義勇団など、およそ戦争の犠牲となったものは女子供にいたるまで、氏名の分かっている者に関しては合祀してある。また、かつて日本が統治していた時代の台湾、朝鮮出身者の方々も祀ってあり、台湾の李登輝元総裁の兄上も、志願兵としてフィリピン・マニラで戦死して靖国神社に祀られている。

 

・『世紀の遺書』は国内外で処刑された戦犯すべての名前と、集められる限りの遺書を集めたもので、昭和28年8月15日付で上梓された。その発行には、中山競馬場の創設にもたずさわった中村勝五郎が関与している。

 

編集と発行は巣鴨遺書編纂会となっているが、実質的には千葉県下総中山の旧家の中村勝五郎氏が中心となり、生き残りの戦犯有志の協力によって完成した。この中村勝五郎氏は競馬界の発展にも貢献しており、中山競馬場には彼の銅像が建っている。

 

■まとめ:

靖国問題とは何なのか、靖国神社とはそもそもどういう存在なのか、なぜ中国や韓国はいちゃもんをつけてくるのかといった、初心者への疑問もクリアにしてくれる。

・著者自身、戦中・戦後を経験してきただけに、言っていることに説得力があったのと、歯に衣きせぬ言いようが爽快。また、目の付け所や考察も鋭く、意見のオリジナリティも強い。深くて鋭くて力強い考察の多い一冊。

・ 著者のスタンスとしては、靖国問題は国際問題ではなく(他国にどうこう言われる筋合いはなく)、あくまで国内の問題であり、これまでそれをビシッと国内外に示してこなかった政治家が悪い!という考え。

 

■カテゴリー:

歴史

 

■評価:

★★★★☆

 

▽ペーパー本は、こちら

戦争を知らない人のための靖国問題 (文春新書)

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