落日の王子  ★★★★☆

黒岩重吾さん著

『落日の王子』

を読み終えました。

 

評価は、星4つです。

 

黒岩さんの古代小説を読むのは、

聖徳太子 日と影の王子

斑鳩王の慟哭

に続いて3作目です。

 

前読『聖徳太子 日と影の王子』のほうでも記載しましたが、

 

黒岩さんの古代小説(初期)は、

以下のような順番になっていて、

 

①『紅蓮の女王』→推古天皇

②『天の川の太陽』→壬申の乱大海人皇子

③『落日の王子 蘇我入鹿』→蘇我入鹿

④『天翔る白日 大津皇子』→大津皇子天智天皇の息子)

⑤『聖徳太子 日と影の王子』→厩戸皇子

 

今回は③にあたります。

 

私は時系列に沿った形で以下のように読み進めました。

 

・『聖徳太子 日と影の王子』

厩戸皇子の全盛期を描く

 

・『斑鳩王の慟哭』

厩戸皇子の衰退期と、長子・山背皇子を中心とした上宮王家の一家滅亡までを描く

 

・『落日の王子』

蘇我入鹿の全盛から破滅までを描く

 

斑鳩王の慟哭』と本書『落日の王子』は、

時期的に重複する部分もあり、

 

前者が

主として山背皇子側から対朝廷・対蘇我勢力を見ているのに対し、

後者は

主として蘇我入鹿側から対朝廷・対山背皇子一族(上宮王家)を見ているので、

 

それぞれの見方や背景がよくわかります。

 

蘇我入鹿が馬子以上に強欲で、

いかに権力の掌握を渇望していたか、

なぜ彼は聖徳太子の子孫を絶滅に追いやったのか、

そんな入鹿・蝦夷父子が、

中大兄皇子中臣鎌足によって討伐されたのはなぜなのか。

 

このあたりの歴史がわかるお話でした。

 

読む前までは、

私は蘇我入鹿という人物についてあまり詳しくなく、

「蛙の子は蛙」ばりに、

蝦夷に似て獰猛で欲の強い人間なんだろうな

と勝手に想像していましたが、

 

この小説を読むと、

ただ強欲なばかりか実行力もあり、智謀にも長けている。

 

祖父・馬子が、

智謀には長けるが実行力という点では慎重派。

 

父・蝦夷は、

馬子の血を引き、

智謀に長けるが実行力という点ではややトロい。

 

入鹿が二人と違うのは、

こうだと思ったら必ず実行するし、

そのあとのこともきちんと計算していたりもする。

 

いずれも同じ蘇我氏の大黒柱とはいえ、

まさに三者三様です。

 

ただ、

バランス的にはやはり馬子が一番優れていたのかもしれません。

 

入鹿は勉強家で策略家でもあり、

それに加えて、

信念を貫き実行に移すという行動力もありましたが、

何せ欲が強すぎた。

 

馬子や蝦夷にも強い欲がありましたが、

彼は裏で支配していればいいという実をとっていたのに対し、

入鹿は名実共に頂点を目指した。

 

蘇我氏の全盛は稲目から始まり、

馬子・蝦夷・入鹿と続くわけですが、

この本の主人公・入鹿を最後に、

彼らの権力は途絶えます。

 

いつの時代も語られる、

「栄枯盛衰、盛者必衰」

 

読み終えて、

蘇我入鹿の人生もまさにこれだな

という感想でした。

 

欲しがり過ぎたらいけません。

 

▽内容:

皇帝になって政治を支配したい。さらに大王となって祭祀も支配したい。その両方の権威を併せ持つ座に上ろうと、蘇我入鹿は野望を燃やし、夫を亡くして間もない、年上の皇極女帝に迫る。三十歳を過ぎたばかりで、肌は茶褐色に近く、目が異様に大きいこの男は、骨太の体躯に加え、黒く太く吊り上った眉を生やし、張った顎には強い意志と生命力がみなぎり、蘇我本宗家・蘇我蝦夷の長子としての存在感を強く主張している。権勢をほしいままにする蘇我入鹿をじっと窺っていたのが、中大兄皇子中臣鎌足らの連合勢力だった。彼らは蘇我氏の専横を憎み、唐にならった中央集権国家を樹立しようと謀っていた。ついに皇位までも手に入れようとする入鹿の野望を挫くため、新羅使から皇極女帝への厳かな朝貢儀式の最中、暗殺の刀は振り上げられた。血塗られた宮に、若き入鹿の野望は脆くも潰え去った。乙巳のクーデター=大化の改新の起こるまでを、色鮮やかに描き出す、古代史傑作小説。

 

今回は文庫本で読んだので、

上巻・下巻の2巻に分かれていたのですが、

 

上巻は、

舒明12年(640年)~皇極2年(643年)の3年間、

蘇我入鹿が丈夫から大臣になるまで、

蝦夷にかわって政治権力の中枢を担い、

(大王を頂点とするのではなく)蘇我氏を頂点とした中央集権体制をつくろうと

着々と準備を進めていくまでを描いています。

 

下巻は、

皇極2年(643年)~皇極4年(645年)の2年間、

大臣の位についた入鹿が、

山背大兄皇子ら上宮王家を滅ぼしたものの、

自らもまた中大兄皇子中臣鎌足らによって殺されるまでを描いてます。

 

ちょうどこの本を読んでいたとき、

BS日テレで「階伯(ケベク)」という韓国時代劇が放映されていて、

私も毎日録画して観ているのですが、

 

『落日の王子』を読み始めたとき、

この「階伯(ケベク)」の登場人物が本書のなかに出てきたりして、

おっ!と思ったものです。

 

お隣の朝鮮半島は、

高句麗百済新羅の三国乱立時代で、

「階伯(ケベク)」の舞台である百済では、

ちょうど641年に義慈王が武王の跡をついで即位、

彼は642年に、

継母であり王妃と義弟(翹岐王子)ら王族を島流しにしています。

 

『落日の王子』のなかで、

 

蘇我蝦夷が翹岐王子を日本に連れてきて百済に代理政権を立て、

百済からの使者は必ず翹岐に謁見させることで、

日本が百済をも掌握しているかのように示したこと

 

これに対して義慈王が大佐平(日本でいう大臣)をよこしながら、

百済王=義慈王蝦夷が認めれば、

百済倭国王蘇我蝦夷と認める

という交換条件を出してきたこと

 

などが描かれており、

「階伯(ケベク)」と物語がリンクしています。

 

ドラマでは、

義慈王は前王妃(沙宅妃)と翹岐王子は強欲非情で、

自らが権力を握るために武王と義慈王を陥れ、

それがバレて一族島流しになった、

ということになっていますが、

 

本書では、

好戦的な武王が新羅ばっかり攻めていて、

平和的な前王妃(沙宅妃)らがこれに嫌気が差していたために、

武王の死後、

沙宅妃と翹岐王子らが貴族と結託して武王の血を引く義慈王を排除しようとしたが、

これがバレて一族処罰を受けることになった、

とされています。

 

そうしたディテールの違いはあるものの、

いずれにしても当時の日本は朝鮮との関係が深く、

逆に緊張状態にあったりもするわけですが、

黒岩さんは朝鮮史にも精通しているのがすごい。

 

当時の朝鮮情勢あるいは中国情勢を知らずに日本古代史は語れない

というところが彼をそうさせているとはいえ、

たとえば「日本書紀」と朝鮮の歴史書を紐解き、

こっちではこう書いているけれど、

こっちではこのように書いていて、

こういう理由から信憑性はこっちのほうが高い、

などと比較検討しながら時代考証しているところなんかは、

もう立派な学者です。

 

彼の小説は、

小説としてストーリーを語る一方で、

様々な歴史文献や史跡を持ち出し、

著者なりの見解を添えて、

「こういうところからこう考えられる」

「こういった形跡から著者はこう見ている」

という解説を加えており、

 

単なる想像ではない、

史実に則した物語だとして、

そのリアルさを肉付けしていることが多いのですが、

 

その技術がまた学術的というか、

妙に説得力があって、

彼の取材力・考古学への知見の高さには、

読めば読むほど驚かされます。

 

恐るべし、黒岩重吾

 

解説で、

尾崎秀樹さんが黒岩さんを

このように評していました。

 

他の古代史ものと同様に、作者は新しい歴史学をふまえながら、主な登場人物たちに小説にふさわしい肉づけを行い、その意識や行動をいきいきと描き出し、歴史ロマンとしての彩りを添えている。豊富な学問的蓄積と同時に、彼の空想力や想像力の豊かさを感じさせる

 

まさにそのとおり! 

 

主人公の蘇我入鹿もまた、

彼の手腕によっていきいきと描かれた一人ですが、

その生き方というか考え方に、

私も1つだけ、

共感できる部分がありました。

 

入鹿は大王の血を引く聖徳太子の子孫たちを殲滅させたので、

これが入鹿の冷酷非道で強欲な一面のシンボルとして、

後世まで語り継がれていくわけですが、

 

著者はこの事件については、

入鹿だけが責められるべきではなく、

実は聖徳太子の長子・山背皇子にも非があった

ととらえているようです。

 

彼は物語の中で、

下記のように述べています。

 

(父足しが没して二十余年たつが)この二十余年間、山背大兄皇子は斑鳩宮に籠り、太子の一族と共に、政治には関与せず、仏教、道教の混合した寿国を夢見ながら過ごして来たのだ。斑鳩宮に争いはない。そして斑鳩宮の半分は女人達だった。美しい大勢の女人達、それに太子の思想で結ばれた弟妹、自分と弟妹の子供達、はっきりいって斑鳩宮には、山背大兄皇子を鍛える荒々しいものがなかった。それに山背大兄皇子には行動力、権謀術数を弄する手腕もない。二十余年間、入鹿などには想像もできない平和な世界に住んでいたのだ。穏やかで平和な世界にどっぷり浸かっていた、ともいえる。しかも山背大兄皇子には聖徳太子ほどの宗教心、学究心もない。口にしている仏教王国も建前といって良い。はっきりいって今の山背大兄皇子は気位ばかり高い享楽主義者だった。

 

これは、

黒岩氏による山背皇子への批判ととらえてよいかと思います。

 

斑鳩王の慟哭』でも書きましたが、

 

黒岩氏の描く山背皇子は、

父親の威光を借りて、

言うことだけはデカいけれど、

その「器」は父親には到底及ばない。

 

だから周りからは、

単なる危険思想の持ち主としてしか見られない。

 

ぬるま湯に浸かってきたので、

身の振り方が下手だし、

実がともなっていない頭でっかちのお馬鹿さん。

 

きわめつけに、

著者は、

入鹿にこのように言わせています

 

「吾が、斑鳩宮の皇子が嫌いなのは、現世の快楽を貪欲にむさぼりながら浄土を口にしていることだ、また自分達だけ贅沢な生活を味わいながら、民、百姓も自分達と同じ人間だと喚いている、本心からそう思うなら宮を捨て、子供、女人を捨て、田畑を耕せば良い」

 

この一言は、

黒岩さんが山背皇子を、

「気位ばかり高い享楽主義者」ととらえており、

形式ばかりで内実が伴っていないと見ているのが、

端的にあらわれている表現だなと思いました。

 

私もこういう人は嫌いなので、

このときばかりは、

「入鹿、よく言った!」

と心の中で喝采を送りました。

 

入鹿や蝦夷、山背皇子の性格がよくわかる一冊でしたが、

大化の改新の首謀者になった中臣鎌足の、

頭脳明晰で智謀に長け、

目的のためには情を断ち切る非情な一面も知ることができる本でした。

 

もう一人の首謀者・中大兄皇子もまた、

元来の激情家に加え、

非情さを併せもつことになったようですが、

これは鎌足から大きな影響を受けているのだとか。

 

何より衝撃だったのは、

入鹿と皇極天皇がデキていて、

なんと子供まで産まれていて、

その子(漢皇子)は中大兄皇子たちに暗殺された!

というストーリーでした。

 

先ほどの尾崎さんの評を借りると、

歴史学をふまえながら、主な登場人物たちに小説にふさわしい肉づけを行い」

という黒岩マジックで、

 

これも、

まんざらフィクションではないんじゃないか?

と思ってしまいます。

 

司馬遼太郎さんの『龍馬がゆく』を読んだ読者が、

百パーセント史実だと思ってしまうのに似たような感覚かもしれませんが、

こちらのほうが客観的根拠が挙げられていたりするので、

いっそうリアリティがあると思います。

 

やっぱりすごい、黒岩重吾

 

 

以下は、要点をまとめておきます。

 

・馬子が築いた蘇我氏の政治権力一本化は、馬子の死後、統制力が弱まる。蘇我氏のなかでも支族が分かれたり、本宗家(蝦夷・入鹿)に反対する勢力も生まれる。

 

・入鹿がこれを再度統一しようと強力に推進。馬子以上の権力を追い求め、中国の皇帝制度にならい、(大王ではなく)蘇我本宗家を皇帝とする中央集権国家への移行を目論む。蘇我氏が政治権力だけでなく天子としても頂点に立つことを目指す。

 

聖徳太子の長子・山背皇子は、王位継承権を有していたが、聖徳太子が説いていた人間平等主義・博愛主義を理想に掲げていたために、民を牛馬のごとく使役し支配する朝廷・群臣らからは危険思想の持ち主と見なされていた。

 

・そのため、推古天皇の後を継ぐ王位継承時には、蝦夷・入鹿のサポートで田村皇子(舒明天皇)にその座をとられ、舒明天皇の死後は宝皇女(皇極天皇)が王座を得ることとなり、山背皇子は完全に王位から遠ざけられる

 

・舒明は蘇我氏の傀儡として即位していたが、大人しかった舒明も、内心は蘇我氏を嫌悪しており、晩年はかつてのライバル山背皇子に味方していた。舒明は飛鳥から離れたところに宮(百済宮)を設けていたが、百済大寺の建立を山背皇子が支援していたため、恩義もあった。自身の死後は山背皇子を王位にという遺言を蝦夷に残して崩御

 

蝦夷&入鹿を中心とする反山背勢力と、次世代の王位継承を狙う軽王(皇極天皇の弟)らがこれを阻止、舒明の死後はその妃が皇極天皇となる。さらに入鹿は皇極天皇に取り入り、情を交わす仲に。皇極の新しい宮(板葺宮)の設営も入鹿が進める。

 

・神祇を司る長官で中臣御食子(みけこ)の養子だった中臣鎌足は、留学僧として唐より帰国した旻(みん)より、天皇による中央集権体制の整備を学び、中大兄皇子に接近して蘇我氏から政治権力を奪回しようと画策。

 

中大兄皇子もまた、唐に留学していた高向玄理より、唐の中央集権制度を学び、生母・皇極を穢され、政治権力を欲しいままにしていた蘇我入鹿に対して、敵対心を育む

 

・入鹿にとって中央集権を推し進めるにあたり、まず邪魔なのは山背皇子(上宮王家)。蝦夷と自らの墳墓(梅山古墳)造営にあたり、上宮王家が支配する東国武蔵の乳部(みぶ)の民を勝手に使役したり、夜な夜な奇襲することで上宮王家に戦の準備をさせ、朝廷に対して謀反を企んでいるという事実をでっち上げ、彼らを征伐する口実をつくる。

 

・入鹿は、自らが皇帝として、天皇を超越する地位に就くことを企んでいたが、彼の野望に大きな影響を及ぼしたのは、高句麗の将校:泉蓋蘇文がおこしたクーデーター。ただ、泉蓋蘇文の場合は、現実に唐や新羅の脅威があったからこそ、祖国を守るために他の将校・貴族らが一致団結し、彼に独裁権力を与えたが、倭国においては、現実的な危機感が薄いため、入鹿のもとに泉蓋蘇文のような独裁権力が生まれる土壌は狭い。ちなみに、ドラマ「階伯(ケベク)」では、ヨン・ゲソムンという名前で登場している。

 

・643年、高句麗(泉蓋蘇文)と百済義慈王)は手を組み、新羅を攻める百済も唐に朝貢していたが、新羅はもっと唐と密着していたので、唐の太宗に救援軍の派遣を要請。善徳女王・真徳女王を経て、宰相・金春秋が武烈王として即位したのち、将校・金庾信とともに唐と同盟を結んで、660年に百済を、668年に高句麗を滅ぼして三国統一。金庾信は妹・文姫を金春秋の妃にして、タッグを組む。

 

仏教の伝来によって、旧来の神事も仏教に負けないような形式と学問が必要になった。異国の神(=仏教)は豪華で神秘的で経典という学問があったが、旧来の大王家の神はこれがなかったので、異国の神に追い払われてしまう。神事を司る中臣家は、僧侶に負けない優秀な人材を求めており、それに当てはまったのが、鹿島神宮の神童・鎌子(鎌足)。彼は中臣家に養子として迎えられる。

 

・上宮王家殲滅後、飛鳥連合軍による斑鳩宮攻撃を批判したという理由で、入鹿は僧旻の講堂を閉鎖。天皇による中央集権国家を説く僧旻は蘇我家に睨まれる。また、蘇我氏のやり方を批判する中堅官人たちを間諜を放って捕え、容赦なく弾劾。

 

中臣鎌子は、蘇我本宗家に批判的だった蘇我倉山田石川麻呂に接近して、南淵請安を講師とする講堂を立ててもらい、これを蘇我氏の独裁と重臣たちの既得権益に対して不満を持っていた中堅官人を一致団結させるための場に利用。中大兄皇子もこの講堂に通わせ、二人はクーデーターの計画を画策しはじめる。

 

石川麻呂の娘・遠智媛を中大兄皇子の妃にしたのも、中臣鎌足の入れ知恵によるもの。本当は、造媛(みやつこひめ)が入妃する予定だったが、石川麻呂の異母弟・日向とすでに関係があったため、遠智媛を迎えることに。石川麻呂は軍事勢力・東漢氏を味方につけていたので、石川麻呂と中大兄皇子を組ませることは重要だった。

 

中大兄皇子と遠智媛の間に産まれたのが、大田皇女(大津皇子の母)と鸕野讃良皇女(天武の后で、のちの持統天皇。のちに姉の造媛も妃にしているが、彼女には復讐心から子供を産ませていない。石川麻呂自身も、日向の讒言によって謀反の罪を着せられ、妻子・部下と山田寺で自決。大化の改新に協力した蘇我氏の支族たちは、後年、政敵として殲滅させられる(鎌足の策謀)

 

・644年、皇極天皇は板葺宮で漢皇子(あやのみこ)を出産。入鹿との間にできた子とされる。これにより入鹿によるいっそうの専制が敷かれるという脅威と不満が群臣のあいだで広まる。また、対朝鮮有事から都を守るという名目で、皇居(板葺宮)よりも高い甘橿丘に要塞兼屋形を建立(645年)。これにより、これまで蘇我氏側につき、次期大王を目論んでいた軽王(のちの孝徳天皇)も、入鹿から離れる。軽王は、軍事氏族・阿部倉梯麻呂の娘・小足媛(おたらしひめ)を妻に娶っており、軽王と小足媛の間に産まれたのが有間皇子

 

 ・中大兄皇子中臣鎌足は、まず、漢皇子を暗殺。また、新羅朝貢の儀式を開催し、新羅使の中に刺客を送り込む。この場に入鹿を招いて殺害(乙巳の変)。蝦夷もまた、甘橿丘の屋形に火を放ち自決。この大化の改新は、首謀者の中大兄皇子中臣鎌足蘇我倉山田石川麻呂のほか、数々の群臣の協力のもと達成された。高向国押は石川麻呂が入鹿のもとに放ったスパイ、宮廷警護長・佐伯連子麻呂はかねてから入鹿に反発、海犬養連勝麻呂は漢皇子の暗殺に関った舎人。

 

 ・入鹿殺害後、皇極天皇は軽王(孝徳天皇)に大王位を譲るが、655年に重祚斉明天皇)。661年、百済復興軍の救援のため、筑紫に向かったが、筑紫朝倉宮で亡くなる。死ぬ間際の女帝は、入鹿誅殺の光景に悩まされ、精神錯乱状態になって死亡。朝倉宮の傍の八幡神社は、中大兄皇子が母と入鹿の鎮魂のために建てたものと考えられる。

 

■まとめ:

蘇我入鹿が馬子以上に強欲で、かつ智謀にも長け、いかに権力の掌握を渇望していたか。なぜ彼は聖徳太子の子孫を絶滅に追いやったのか。そんな入鹿・蝦夷父子が、中大兄皇子中臣鎌足によって討伐されたのはなぜなのか。これらがわかる一冊。

・日本古代の史書や史跡を検証するだけでなく、当時の朝鮮史・中国史にも精通し、さまざまな文献をたどりながら時代考証をして物語を描くサマは、もはや小説家の域にとどまらず、学者レベル!黒岩重吾、恐るべし。

大化の改新にあたって、入鹿と皇極天皇がデキていて、なんと子供まで産まれていて、その子(漢皇子)は中大兄皇子たちに暗殺されたというストーリーは、衝撃的だった。

 

■カテゴリー:

歴史小説

 

■評価:

★★★★☆

 

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