聖徳太子 日と影の王子  ★★★★☆

黒岩重吾さんの歴史小説

聖徳太子 日と影の王子

を読み終えました。

 

評価は、星4つです。

 

文庫本で全4巻から成るのですが、

蘇我馬子聖徳太子の権力争いの実態とか、

いつの時代にも必ずある男女の嫉妬のいざこざとか、

普通におもしろかったです。

 

▽内容:

第1巻

父・橘豊日大王(用明)の死後まもない587年7月、14歳の厩戸皇子は、大臣蘇我馬子に請われ、物部守屋討伐戦に従軍した。その戦旅の間に天性の才質を現した皇子は、三年後、馬子の娘・刀自古郎女と結婚した。馬子は蘇我氏の血を大王家に入れることにより、蘇我王朝を成立させようと夢見ていたのである。

 

第2巻

蘇我馬子は、女婿となった厩戸皇子を皇太子に立て、いずれ自分の意のままになる大王に仕立てようとする。しかし厩戸は、傀儡大王なら大王ならなくともよい、と側近たちに名言。馬子と対抗するために、馬子も一目置く大后(のちの推古)の娘・莵道貝蛸皇女を正妃に迎えようと決意し、開明派の豪族たちと結びはじめた。

 

第3巻

大臣蘇我馬子は、泊瀬部大王(崇峻)を次第に軽んじる。廐戸皇子は両者の調停をはかるが、592年、大王はついに馬子の手の者によって暗殺された。翌年、推古女帝が即位すると、廐戸は馬子に推されてやむなく皇太子となる。だがこの聡明な皇子は、氏族制の打破と人間平等主義という破天荒な思想を持っていた…。

 

第4巻

皇太子廐戸皇子は、つぎつぎに新しい政策を打ち出した。斑鳩宮の造営、冠位十二階の制定、飛鳥寺の建立、遣隋使の派遣…。さすがは皇太子、と蘇我馬子は表面上感心してみせたが、その胸の底には廐戸を傀儡として操ろうという強烈な意志が潜んでいた。廐戸の野望と挫折を描いた古代史大河小説完結篇。

 

黒岩さんといえば、

日本古代史の歴史小説家としてはおそらく右に出る人はいないほど、

その地位を確立された方だと思いますが、

もともとは古代小説以外だけでなく、

ミステリーや風俗小説も書いていたそうです。

 

あとがきを読むと、

彼の古代小説のなかでは、

本書は第5作目にあたるようで、

 

①『紅蓮の女王』→推古天皇

②『天の川の太陽』→壬申の乱大海人皇子

③『落日の王子 蘇我入鹿』→蘇我入鹿

④『天翔る白日 大津皇子』→大津皇子天智天皇の息子)

⑤『聖徳太子 日と影の王子』→厩戸皇子

 

という順番になっているとか。

 

聖徳太子推古天皇の摂政を務めたので、

内容的には①と少し重複するところもあるそうです。

①から読んでみたいなと思いました。

 

この時代は、

文献資料も少ないでしょうから、

ストーリーを組み立てるのは至難の業とも言えそうですが、

逆に、空白が多いぶん、

想像力が物を言うような気がします。

 

その意味で、

黒岩さんという人は、

考古学的な知識や研究方法と、小説には欠かせない想像力の両方を兼ね備えている

まさに2足のわらじをはいた偉大な方だなぁと敬服せずにはいられませんでした。

 

あとがきで、

文芸評論家の尾崎秀雄さんがこのように書いていました。

 

社会派推理の書き手としてデビューし、ミステリーから風俗小説と、幅広い分野で仕事を続け、現代人の欲望のさまざまな側面に光をあてた作品を多く描いてきた黒岩重吾が、昭和五十年代に入ってからこのような活躍をはじめたのは、彼が住んだり、若い時から暮らした土地がいずれも古代史の舞台となっていたことにあらためて気づいたのも動機のひとつになったに違いないが、私たち日本人の祖先を知りたいという欲求が基礎になっていたのもたしかである。

 

なんと彼は、

私が生まれた昭和50年代に、

古代史を紐解く作業を始めたそうです。

 

本書のなかでは、

日本書紀』では~とか『隋書』では~というふうに、

古代書や中国の書物などが幾度となく登場するのですが、

インターネットもない時代に、

これだけの史料を読み解いて、物語化するという行為には、

まさに脱帽です。

 

あくまで私個人の感想にすぎませんが、

これは「大作」というに値するのではないかと思いました。

 

彼はまた同志社大学在学中に、

学徒出陣で満州に赴き、

敗戦の逃避行を経験した一人でもありますが、

 

「敗戦直後から働き蜂のように働き続け、祖国を復興させ、高成長期を経て、不安定を伴った平和の中でほっと一息ついた人達が、祖国の本当の歴史や文化を知りたいと望み始めた」

 

と仰られており、

 

解説の尾崎さんが言うとおり、

自らの出生地や過ごした場所との因果関係もさることながら(※)、

 

彼のこうした戦争経験が、

古代という歴史に、日本人のルーツを探るきっかけを与えた

ということも言えそうですね。

 

※黒岩さんご自身は大阪で生まれ育ちましたが、ご先祖は和歌山の新宮で廻船問屋を営んでいたとか

 

前半(1・2巻)は、

聖徳太子の14歳の幼少期から18歳の思春期までを描いており、

 

後半(3・4巻)は、

19歳くらいの青年期から30歳手前の成人期を描いています。

 

私たちが歴史の教科書などで知っている聖徳太子は、

とかく「聖人」として扱われることが多いのですが、

 

この小説の全体から伝わってくる聖徳太子像は、

彼もまた一人の凡庸な人間として、邪悪な気持ちも持っていた反面、

生まれながら頭脳明晰で感受性が高く、思慮深い人間でもあった。

 

つまり、

人間なら誰しもがもつ

鬼神と仏の2つの面を兼ね備えてもっていた人物

として描かれています。

 

副タイトルの「日と影の王子」とは、

まさにこの二面性のことを指しているのでしょう。

 

以前、

篠崎紘一氏が書いた

悪行の聖者 聖徳太子

続・悪行の聖者聖徳太子

を読んだことがありますが、

 

こちらの小説もまた、

俗に言われているように彼を聖人化せず、

人間的な面からアプローチしたもので、

趣向としては黒岩さんの描く聖徳太子像と似ているものがあります。

 

前出の尾崎さんは、

黒岩重吾の創作にかけるスタンスを以下のように論じていますが、

 

小説家として彼には、現代でも古代でも人間が本来の人間性を発揮し、人間らしく生きる姿がほんとうだという認識があり、それを創作の基礎においている。

 

ここでいう「人間らしさ」とは、

その善悪の両面を指していて、

(古代であろうと現代であろうと)

人間は常にそのはざまで葛藤しながら生きているんだ!

その姿こそ人間の真の生き方なんだ!

といっているのだと解釈しました。

 

聖徳太子は、少年として普通に、

母(穴穂部間人皇女)の再婚相手(田目皇子)にも嫉妬するし、

性欲に翻弄もされていた。

 

皇族の血筋を引きつつも、

ときの実力者(蘇我氏)の血をも引くという、

避けられない出自のために、

蘇我馬子との権力抗争に巻き込まれれば、

策略家としての頭角もおのずと生まれてくるわけです。

 

一方で、

幼い頃から物部守屋との戦いをじかに経験し、

戦争の悲惨さを痛切に感じとる繊細さ、

 

自らの鬼神を心得つつも、

その情動に流されまいと理性を持ち続けるチカラももっており、

それがゆえに仏教に深く帰依していくわけですが、

 

当時としては珍しいほどに、

人間平等主義・平和思想・成果主義といった

ニュートラルな考えをもつ人物でもあった

ということがよくわかります。

 

私は、

彼の持つこのニュートラルさが、

聖徳太子という「聖人」のゆえんだと思っていて、

 

もともと小さい頃から素質としてもっていたし、

仏教によってより一層その性質が増大したのかと思います。

 

聖徳太子は、

家族や舎人、師匠などとの人間関係を大事にしたことが

この小説全体からも伝わってきますが、

 

彼のもつニュートラルさが、

近臣(秦河勝・迹見赤檮・調使麻呂)たちや、

家族(刀自古郎女・莵道貝蛸皇女・菩岐岐美郎女)をはじめ、

師匠(恵弁・恵慈)など多くの人を虜にしていってたのかと思います。

 

もちろん、

そのニュートラルさが時代的に危険すぎて、

側近にたしなめられるシーンが多々ありましたが。

 

こうした聖徳太子の人物像を細かく描きつつ、

黒岩さんは同時にまた、

彼を取り巻く周辺人物たちの特徴をかなり細かく描いています。

 

たとえば…

蘇我馬子は、

ものすごく狡猾な政治家であると同時に、

「耐える」ことにも強い人物であったこと、

 

泊瀬部大王(崇峻天皇)は、

名誉欲が強くて自尊心が高いけれど、

思慮深さに欠けることが仇になったこと、

 

豊御食炊屋姫(推古天皇)は、

プライドが高く(宗教的な)権威にはこだわるが、

政治的な実権には関心を退けていたこと、

 

厩戸の主たる三人の妃たちは、

刀自古郎女は菩岐岐美郎女を嫉妬し、

菟道貝蛸皇女は(自らの血統から)刀自古を嫉妬、

菩岐岐美郎女は純朴で清らかな心の持ち主だったこと

 

…などなど。

 

とくに、

馬子の狡猾さをあらわすエピソードとして、

飛鳥寺放火事件と聖徳太子の母(穴穂部間人)の再婚が印象的でした。

 

前者は、

飛鳥寺を放火したのは泊瀬部大王として大王が弾劾されるわけですが、

飛鳥寺を放火したのは実は馬子で、

これが泊瀬部大王を陥れるための名分づくりだったと語られています。

 

しかも、

その秘密を唯一知る馬子の側近、

東漢駒がこの暗殺に手を下し、

見返りとして自身の娘で大王に嫁がせていた河上娘を与えるも、

これを反逆罪として馬子は赤檮に殺させていました。

 

これだけ読んでも、

馬子の謀略深さがリアルに伝わってきます。

 

後者は、

馬子が時期大王の人参をぶら下げて田目皇子と穴穂部間人を再婚させ、

(泊瀬部大王の存在を弱めるために

穴穂部間人を泊瀬部大王と遠ざけたとしており、

これも馬子の謀略の一つとして描かれています。

 

このように狡賢い馬子と渡り歩きながら、

聖徳太子は、

十七条憲法の策定、冠位十二階の制定、斑鳩宮の設営、遣隋使の派遣といった大業を成し遂げていくのです。

 

地位や名誉なんてカンケーないね!

大事なのは実をとることよ!

といって、

摂政・皇太子の地位にとどまり、

自らの理想を政治で実現していく姿は、

現代人の私たちも見習っていいかもしれないですねー。

 

物語は、

その権威が最高潮に高まる全盛期で終わっており、

 

残念ながら、

小野妹子の第二回遣隋使派遣や斑鳩寺(法隆寺)建設、

晩年の衰退期までは描かれていません。

 

聖徳太子は、

30代後半あたりから馬子から疎外されるようになったらしく、

晩年は仏教の研鑽・布教に専念したそうです。

 

49歳で死亡しており、

まさかの一日前に菩岐岐美を亡くしているそうですが、

毒殺をおそれ、

彼は末期の水を与えなかったとか。

 

これらはいずれも

終章で黒岩さんが解説がてらに書いていた内容ですが、

どうせなら一生を描いて欲しかった!

と正直思ってしまいました。笑

 

黒岩さんはまた、

数々の人物像のディテール描写もさることながら、

 

当時の時代背景として、

地理情勢や対外情勢、

儒教道教・仏教といった思想背景などにも詳しく、

黒岩さん自らが要所要所で解説を入れていて、

(専門的すぎて難解な部分もありましたが)

全体的にわかりやすかったです。

 

第一巻では、

物部守屋との争いで蘇我氏が天下をとっていくところの経緯も

詳しく描かれていましたし、

 

ところどころに登場する、

狩りや戦、武術仕合などの臨場感もすごいです。

 

なんだろうこの作家?!

と思いました。

 

他の作品も是非読みたいです。

おもしろかったなぁー!

 

以下、備忘録です。

 

・当時は17、18歳で成人とみなされ、結婚して子供がいるのが当たり前だった

・厳しい階級社会で、今と違って皇族であっても個人の自由はほとんどなかった

・氏族意識が高く、身分差別も格段に大きかった

・冬の寒さは格別で、風邪は命取りだった

・近くの国とうまくいかないときは、遠くの国と親しくすべしという兵法の教えから、遣隋使派遣を決行。朝鮮三国の平定を目論むと同時に、隋との国交をもつことで先端文化の吸収につとめた。

 

 

■まとめ:

黒岩重吾氏の古代小説第5作。作者が、考古学的な知識や研究方法と、小説には欠かせない想像力の両方を兼ね備えていたことがよくわかる。

聖徳太子は、人間なら誰しもがもつ鬼神と仏の2つの面を兼ね備えてもっていた人物として描かれており、当時としては珍しいほどに、人間平等主義・平和思想・成果主義といったニュートラルな考えをもつ人物でもあった。

・歯切れのよい文章と、時代考証を兼ねた作者の適切な解説が入り、わかりやすかった。

 

■カテゴリ:

歴史小説

 

■評価:

★★★★☆

 

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