斑鳩王の慟哭  ★★★★☆

黒岩重吾さんの歴史小説

斑鳩王の慟哭』

を読み終えました。

 

評価は、星4つです。

 

先月読了した、

黒岩さんの『聖徳太子 日と影の王子

が面白くて、

 

思わずこちらのほうも手に取ってしまったという経緯があります。

 

▽内容:

博愛主義の政治という理想がはばまれる中で、聖徳太子はしだいに厭世観を募らせていた。一方、強靱な生命力を持つ推古女帝は血の怨念から大王位に固執し、蘇我馬子と組んで太子の疎外を画策する。やがて太子、女帝が逝き、大王位をめぐる確執は、山背大兄王と蝦夷が引継ぐ―。上宮王家滅亡を壮大に描く長篇。

聖徳太子の死と上宮王家滅亡の謎を解く迫真の描写。古代史小説の第一人者である著者が、丸山古墳の石室の写真から構想、聖徳太子と推古女帝の権威と権力の関係の謎に迫り、歴史ドラマとして描き上げる。

 

 

聖徳太子 日と影の王子』では、

少年期から30代前半までの厩戸皇子の全盛期を描いており、

彼が目指した理想の政治に向けて、

数々の偉業が大成していった様子が描かれています。

十七条憲法の策定、冠位十二階の制定、斑鳩宮の設営、遣隋使の派遣など。

 

読了後に

どうせなら一生を描いて欲しかった!

と感想に書いていたのですが、

 

まさにこの要求に応じたものがありました!

それがこの『斑鳩王の慟哭』です。

 

前者の続編のような感じですかね。

 

こちらは、

厩戸皇子が30代後半から49歳で病死するまでの衰退期を描いており、

そのニュートラルすぎる言動ゆえに、

飛鳥朝(推古天皇蘇我馬子)から疎まれ、

政治の舞台から遠ざけられていくさまが描かれています。

 

そして、

ついに厩戸は皇太子から大王位に就くこともなく、

まさかの一日違いで、

正妃・菩岐岐美郎女のあとを追って他界するわけですが、

 

息子の山背大兄王が皇太子候補となるも、

やはり朝廷(推古・皇極)や蘇我氏蝦夷・入鹿)に疎んじられ、

最期は斑鳩寺(法隆寺)において、

一族二十三人ともども自害という悲痛な死を遂げる…

ということになるのですが、

そこまでのストーリーが小説にまとめられているのが、

この『斑鳩王の慟哭』でした。

 

特徴的だったのは、

厩戸・山背父子の描写のほかに、

(とくに晩年の)推古天皇の権力に対する執着心とか、

父が愛した母以外の女性(小姉君)への積年の恨みと、

それに対する生母(堅塩媛)への強い慕情が、

女性ならではの厄介さを帯びながら描かれていました。

 

それがお墓の問題でいっきに露呈します。

お墓の問題とは何か?

 

お母さん(堅塩媛)は、

ずっーとほかの女(小姉君)のせいでわりをくって生きてきた、

そんなお母さん(堅塩媛)が可愛そう、

お父さん(欽明天皇)も亡くなったし、

いまこそお母さんをお父さんの正妃として一緒に合葬してあげよう、

それだけではなくこの際だから墓石もお母さん名義にしてしまおう!

 

こんなことを推古天皇はやったというわけです。

 

墓石の名義というのは、

実際には石室の石棺の場所を、

お母さん(堅塩媛)のほうを前に出すということでしたが、

 

この時代に2つを並べるならともかく、

妃の棺のほうを天皇の棺よりも前に出すということはありえない話で、

天皇を冒涜しているようなものらしいです。

(いまでいう名義をかえてしまうようなものになるのかな、

と勝手に想像したまでですが…)

 

今も昔も女性ってかわらないなー

と思いました。

 

父親のほかの女性に対する汚らわしさと

逆にそれが後押しすることになる生母へのいっそうの憐憫さ。

これは現代でも息子より娘のほうが強いと思いますし、

 

母親の墓へのこだわりは、

お父さん・お母さん、あの世でも仲よく幸せにね☆

というロマンチストの域を超え、

この期に及んでも長年の母の悲願を叶えてあげたいという

血への執着としか思えません。

こういうのも(今も昔も)娘の方が敏感だと思います。

 

黒岩さんは、

両者が合葬されている(見瀬)丸山古墳=檜隈大陵(ひのくまのおおみささぎ)の

実際の石室写真からこの構想を得たようですが、

このストーリーの運び方には、

うまいなぁと感心してしまいました。

 

晩年の推古天皇厩戸皇子皇位を譲らなかったのは、

1つ目に権力への執着、

2つ目に血への執着があり、

 

この血への執着が、

母(堅塩媛)への強い慕情と

小姉君とその子(穴穂部皇子・宅部皇子・泊瀬部皇子・間人大后)や孫(厩戸)への怨恨を生んだとしています。

 

そして、

お墓事件をきっかけに、

理想家だけれども理論家でもある厩戸は、

推古天皇の横暴を批判します。

 

それがまた推古さんの怒りをあおってしまい、

厩戸を中心とする上宮王家は、

やたらと中央から煙たがれていき、

馬子をはじめとする蘇我氏からもそっぽを向かれてしまう。

 

遣隋使の派遣や隋使の対応では、

やっぱり厩戸は出しゃばりすぎだ!

とか、

お母さん(堅塩媛)の合葬にいちいちいちゃもんつけてくるなんて、

あんたも結局はお母さんの敵(小姉君派)でしょ!

とか。

 

それでも厩戸は、

さまざまな理不尽を受け容れながら、

自らの意思としても、

政界から退いていったという形で書かれていました。

 

女帝が堅塩媛を欽明大王陵に合葬し、女帝と馬子がお互いを褒める歌を詠み合った頃から、厩戸派の群臣は減っていったのだ。

人間は権力や保身のために右顧左眄する。そういう浅ましさを、厩戸は自分の眼で見、また体験もしてきた。かつての厩戸なら苦々しいという思いだけで眺めた。だが今の厩戸は違った。それも人間の弱さであると頷くだけの器が出来ていた。

 

すべては仕方ないことだと。

 

晩年の厩戸は、

もはや悟りの境地ですね。

 

厩戸皇子は、

後世になって「聖徳太子」と言われているとおり、

多分に聖人化されて伝わっているのですが、

 

黒岩さん曰く、

厩戸皇子もあくまで一人の人間であって、

彼の人柄・信仰心の深さ・学識の高さ・ニュートラルさが

彼を聖人化せしめたと言っています。

 

厩戸信仰が深くなるにつれ、厩戸は神秘化され、聖人のように記述されたが、厩戸は普通の人間なのだ。ただ深く仏教を信仰し、学識に優れ、新しい思想や文化を吸収する能力が、当時の人々の水準を遥かに抜いていたことが、厩戸聖人化の一つの動機となった。

 

本書内では

これを「人間の器」として、

随所で一括りにして表しているのですが、

 

それが最も顕著なのは、

やはり息子・山背大兄王と父・厩戸皇子との対比でしょう。

 

厩戸と違って、

はじめから甘やかされて育ち、

苦労を知らない山背くん。

 

父・厩戸からは、

ともすれば周囲から危険視されがちな人間平等主義だけを

引き継いでしまい、

 

一方で、

現実社会の政治の泥臭さや、

理想を達成するための細かな駆け引きについては、

(厩戸のように)身をもって学んでこなかったがゆえに、

 

単なる危険思想の持ち主で、

言うことだけはデカい、

何かあれば二言目には厩戸の遺志ですと、

父の肩書きにすがる。

 

そんな山背くんの「人間の器」は、

厩戸大先輩の器には到底及ばないわけで。

 

馬子の墳墓設営にあたり、

難癖をつけたことで蘇我氏から追放されることになった蘇我摩理勢を

山背大兄王はそれが蝦夷の罠とも知らず斑鳩宮に匿うのですが、

これがまた安直で浅はかな「器」の一面だとして描かれています。

 

山背大兄王は、厩戸皇太子が亡くなると、背伸びをし、自分の実力を示すべく勝手にことを運んだ。

厩戸の名声に押えられていたが、吾にも父や群臣が知らない力がるのだ、と胸を張った。

 

さらに山背はその後、

王位への執着が捨てきれず、

田村皇子(舒明天皇)に譲位を迫り、

飛鳥朝(舒明と皇極皇后)からも嫌煙され、

 

譲位がもはやないとわかった瞬間、

山背大兄王は、

今度は蘇我氏に対して牙をむきます。

 

蝦夷・入鹿親子がやっていることは自らを天皇化していることと一緒だ!

倭国天皇は二人いらない!

蘇我氏の専横を許すな!

と声高に飛鳥の群臣たちを説きまわります。

 

これが血気盛んな入鹿を怒らせることに。

 

蝦夷も軍人気質で短絡的ですが、

入鹿はもっと短絡的かつ急進的。

 

古くから中国の王朝では普通にあった「禅譲」を目指し、

次は蘇我氏天皇に!

と目論んでいたわけです。

 

禅譲とは、有徳の人物こそ皇帝にふさわしく、そういう人物が現れたなら、血統に関係なくその人物に皇位を譲り渡すという皇帝観で、中国では古い時代からその考えが受け継がれている。

 

そして、

律(刑法)と令(それ以外の行政法)による律令制度のうえに成り立つ

中央集権化を目指し、

 

まずは、

目の上の瘤である山背一家(上宮王家)を滅亡に追いやった。

 

上宮王家は、

在来の飛鳥王朝にとっても一応皇位継承権がある面倒な存在だし、

蘇我氏にとっても自らを糾弾する厄介な存在。

 

そしてどちらにしても、

人間は平等だなんて言いふらかしやがって、

権力者からしてみたら危険な思想に違いなく。

 

で、

上宮王家はついに入鹿・蝦夷父子によって滅ぼされてしまうわけです。

 

ところがその2年後に、

今度は真の中央集権化を目論む中大兄皇子中臣鎌足

蘇我入鹿蝦夷たちを殺し、

ついにここに、

(豪族ではなく)皇族による中央集権化の道が拓かれるのです。

 

物語はここで終わるのですが、

 

この本のタイトルにある斑鳩王とは

すなわち厩戸皇子聖徳太子)を指すわけで、

つまるところ厩戸先輩は何に慟哭していたんだろう?

と考えてみました。

 

それはひとことで言うと、

「人間の欲深さ」

だったのではないかと思います。

 

彼は理想の政治を達成するために、

数々の利権や思惑と闘わなければいけなかった。

厩戸自身も我欲と向き合うことも多かった。

人間は平等だ、家族は一緒に住むべきだと説くことさえ、

権力者や古くからの価値観を大事にする人達からは疎んじられた。

 

そこにあるのは、

すべて「人間の欲」だったのではないかと思うのです。

 

そして、

その欲深さが招いた一族の悲痛な最期。

 

厩戸が常に悩み、絶えず闘ってきた「人間の欲」。

皮肉にも、

彼の子孫たちはその欲によって、

名声や王位への執着してしまい、

一族滅亡の道を歩んでしまったのです。

 

最近、仏教の本をちらほら読みますが、

本当に欲って怖い。

欲をもつのは慢のせいだといいますが、

本当にそのとおりだと思います。

 

自分はこうでなければいけない、

こうであることが正しい、

こうすることで自分は成長するはずだ。

すべて慢(おごり)です。

 

だからあれが欲しい、

これがないといけない、

こうすることにこだわる。

欲と欲による執着。

 

厩戸先輩(斑鳩王)は、

人間のそんなドロドロした姿を

この時代にもう悟っていたんだろうなぁ。

 

次は、

紅蓮の女王―小説 推古女帝 (中公文庫)

落日の王子―蘇我入鹿 (上) (文春文庫)

このあたりを読みたいと思います。

 

■まとめ:

厩戸皇子が30代後半から49歳で病死するまでの衰退期を描いており、そのニュートラルすぎる言動ゆえに、推古や馬子から疎まれ、政治の舞台から遠ざけられていくさまが描かれている。

黒岩重吾は、見瀬丸山古墳(檜隈大陵)の石室写真から、推古と厩戸のあいだにある「血の確執」のルーツを導きだし、上宮王家が朝廷から疎んじられていくストーリーを構成している。

斑鳩王(=厩戸皇子)は、存命中、利権や思惑といった数々の「人間の欲」と闘い、自身がもつ「欲」にも悩んできたが、彼の死後、皮肉にもその欲がもたらした名声や権力への執着によって一族は滅亡の道をたどる。まさに斑鳩王の慟哭。

 

■カテゴリー:

歴史小説

 

■評価:

★★★★☆

 

▽ペーパー本は、こちら

斑鳩王の慟哭 (中公文庫)

斑鳩王の慟哭 (中公文庫)

 

 

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