あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。 ★★☆☆☆
日野瑛太郎さん著、
『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』
を読了しました。
評価は、星2つです。
▽内容:
「たかが仕事」でそんなに苦しむのは、アホらしいと思いませんか?
みんな、「働くこと」に悩んでいます。「やりがい」って、そんなに必要なのでしょうか?「お金のために働く」って割り切ることは、そんなに悪いことなのでしょうか?
本書では、大人気ブログ「脱社畜ブログ」の管理人が、みんなが心の中では「おかしい」と感じている働き方をぶった切り、日本人にかけられた「社畜」の呪いを解消します。
「働くこと」に悩んでいるビジネスパーソンはもちろん、就活中の学生にもおすすめです。
もう少し内容をかみくだいて説明すると、
本書はまず、
日本の働き方の実情と、
その働き方がいかに異質なものか(ガラパゴス化しているか)を説明し、
そしてその働き方が、
会社と自分を切り離して考えることができない「社畜」にあること、
そうした「社畜」が生まれる背景はどこにあるのか?
どうやったら「社畜」にならずに済むか?
という構成になっています。
評価が星2つに留まってしまったのは、
「確かにー!わかる」とうなずける部分は多かったものの、
自分にとっては新しい視点が少なかったうえ、
「じゃあ、実際どうやって働けばいいんだよ?」という実践部分が薄かった。
最終章で、
どうすれば脱「社畜」=会社と自分を切り離すことができるか?
について述べられているのですが、
その中身は、
ざっと以下のようなものになっています。
①やりがいにとらわれてはいけない、
②つらくなったら逃げたってかまわない、
③経営者視線なんて会社にとって都合いいように作られたものなんだから「従業者視線」を持ち続けよう、
④会社の人間関係なんて絶対じゃない、
⑤会社はあくまで「取引先」であり「身内」ではない、
⑥自分の市場価値を高めておけ、
⑦住宅ローンやシングルインカムなど負債はできるだけ背負うな、
⑧自分の価値観を大切にしよう、
…などなど。
どれもわりと観念的なことが多く、
正直、
「言ってることはわかるけど、現実的にこの考えに則って働こうとしたら、ほとんど働く場所なんてないんじゃないか?」
と思う人も多いのではないかと思いました。
この本だけでは、
それに対する回答が得られないのです。
⑥自分の市場価値を高めておくこと
⑦負債を極力背負わないこと
などは、
まだ現実的な解決策と言えますが、
それでも
パッションだけがやたらと肥大化していて、
たとえばこんなふうに(具体的に)働いてみるとか
こんな仕事を探してみて、
それがだめだったらこんなふうに進路変更してみるとか、
なにかもっと脱社畜の具体的な働き方・生き方を提示すると
根拠があってよいかなと思いました。
もちろん、
「おわりに」で述べられているように、
この本の目的は、一人でも多くの人に会社独自のいわゆる「社畜」的な価値観から脱却してもらい、「あたりまえ」のことを「あたりまえ」だと認識してもらうこと
この「認識」をもっておくことは、
とても大切だと思います。
でも、
ただその「認識」をもっておくだけでは、
所詮は、絵に描いた餅に過ぎない。
読み手は、ともすれば頭でっかちになるだけ。
そういう認識を持っておきながら、
具体的にどんな働き方・生き方をすればよいのか?
著者として勧めるのか?
を知りたいです。
もちろんそこに正解はないというのが前提です。
日野瑛太郎さん、
このhatenaブログで
というブログを書いていらっしゃいました。
1985年生まれの東大卒。
まだお若い方だったんですね。
著書の紹介にもありましたが、
プロフィールを拝見させて頂くと、
1985年生まれ。東京大学工学部卒業。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。
大学院在学中、就職するのが嫌でWebサービスの開発をはじめ、それがきっかけとなって起業をするが、あえなく失敗。結局、嫌で嫌で仕方がなかった就職をすることになる。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)がある。
と書かれています。
「社畜」になりたくなくて、
一度は経営者になった身ならば、
そしてその事業に失敗して会社組織も経験されているならば、
余計に、
そのご経歴を踏まえて、
具体的な脱社畜的な働き方を知りたかったです。
「脱社畜サラリーマンのリーマンな一日」みたいな。
結論、
この本の感想としては、
理想はそうだよね、わかる。
でも、現実どうするんだ?
というのが正直なところでした。
あと、
ちょっと考え方が極端すぎるかな
というところもありました。
私も基本的にはあまり働きたくない人間なので、
彼の言わんとするところはわかります。
サービス残業を強要するということは、会社が社員に対して窃盗を働いていることと変わりません。
とか
どんな時も忘れずに「従業員目線」を持ち続ける必要があります。
とか、
わかるけどわからない気もして。
従業員視線をもつべきなのは我々ではなく経営者であって、
私たちはどうやったって従業員なのですが、
ときに経営者視線を持つことも大事なように、
逆に経営者だって、
従業員視線をもつことが大事なんじゃないかと。
文脈的には、
会社と自分を切り離して考えるには、あえて従業員視線を持ち続けることが大事
と言いたいのだと思いますが、
これがまたさっきの疑問符に行きつくところで、
それを徹底してしまったら、何も生まれなくないか?
と思ってしまうのです。
極端すぎる=非生産的すぎる
と思ってしまう。
もちろん、
そういう視点はあっていいと思うのですが、
そういった視点をもちつつ、
現実の場でどう立ち振る舞っていくべきか?
の解答がなければ、
この極論はやはり絵に描いた餅だと思うのです。
そういう詰めの甘さが気になってしまって、
評価が少し低くなってしまったのですが、
私もひねくれ者なので、
当たり前のことを当たり前に言って何が悪い?というような、
彼の考え方自体は大好きです。
たとえば著者のこんな視点。
彼は、
日本ではとても一般的な「社会人」という言葉は、
本来は、「社会の一員」をあらわす言葉なのに、
実際は、worker=「働いている人」を指しているとして、
こうやって「働いている人」に「社会人」なんて大げさな名前をつけてしまうのは、「自分で働いてお金を稼げない人は社会の一員ではない」と言っているようで、僕はなんだか嫌な気分になります。
と批判しています。
これには「確かに!」にと頷いてしまいました。
もし「社会人」の定義を、
きちんと社会に貢献している人間
=義務を果たしている人間ということであれば、
「納税者」とでも言えばいいのに、
私たちが使う「社会人」とは、
常に「働いている人」を指しています。
考えてみれば筆者が言うように、
「社会人」ってヘンな言葉だよな、
「働いている人」だけを社会的に認められる人かのように言っている。
働いていたらそんなに偉いんだっけ?
と思いました。
信用保証の世界で、
働いている/働いていないの差違が生じるのはわかります。
でも、
以前『他人と深く関わらずに生きるには』の感想で書いたように、
人間は、
どんな仕事をしてようが、
働こうが働かまいが、
社会的人格としてのアイデンティティを承認されない、ということは全然ない
と思うのです。
かくいう私も、
かつてはザ・社畜だったと思いますし、
たちの悪いことに、
本書でいうところの「ゾンビ型社畜」だったと自負しています。
「ゾンビ型社畜」とは、
自分が社畜であるというだけでなく、他人まで社畜にしなければ気が済まないというタイプの社畜のことで(中略)、とにかく他人の行動に非寛容です。自分がサービス残業をしていれば、他人にもサービス残業をすることを強要します。定時で帰ろうとする同僚がいれば、「みんな忙しいのにお前ひとりだけかえって何とも思わないのか」と説教をしてきます。
と解説されていますが、
さすがに、
強要や説教まではしなかったものの、
心の中ではいつも同僚や部下に対して上記のように思っていたので、
自分はこの「ゾンビ型社畜」に他ならないと思います。
さらに著者は、
「ゾンビ型社畜」について、
次のように述べています。
ゾンビ型社畜を根底で支えている思想は、「俺がこんなに大変なのに、お前だけ楽をするのは許さない」というもの
先日読んだ
「自分だけが特別に思われたい」ということは他方で、「自分が不利になるような不公平な扱い」にも敏感だということです。「自分だけが損をするのは絶対に嫌だ」という思いが強いのです。(中略)自分だけが損をさせられているという思いを抱き、不公平な扱いは許さないと、頭のなかで考えをこねくりまわし、「慢」が傷つくのです。「こんなに大切な自分(=慢)が、不当な扱いを受けて、傷つけられている。許せない」と感じるのです。
と書いてありましたが、
この小池さんの言葉を借りれば、
人が「ゾンビ型社畜」になるのは、
「自分だけが特別に扱われたい」「特別に扱われるべき人間だ」
という慢が原因で、
これに対する対処法は「諦める」こと、
すなわち、
自分なんて特別でもなんでもない、
不当な扱いなんて最初からあって当たり前と思うことで、
慢を回避することができるとしています。
日野さんは、
「ゾンビ型社畜」に染まるか逃げるかの二択しかないと言っていましたが、
小池さん説では、
社畜的な扱いを受けたとしても受け容れて諦める、
そうしたことで他人に共依存するようなゾンビにはならない
となるのかと思います。
どちらが正しいということではなく、
私はいろんな意見(方法)を知りたいと思っており、
理不尽と思いながらも受け容れるというスタンスはありだと思いました。
(実は、ほとんどのサラリーマンはこうして受け容れて流しているんだと思います)
また著者は、
今の日本の就活における自己分析は、
「やりがいのある仕事につくことが幸せ」という教えのもと、
仕事における「やりたいこと探し」になっていて、
本当にフラットな視点で自己分析をすれば、「自分は働くことよりも趣味のほうが大事だ」とか、「自分のやりたいと思うことは、どうがんばっても職業には結びつきそうにない」という結論が出ることだってありえるはずです。
とも指摘しています。
これも当たり前で、その通りだなと思います。
私も、
日本の就職活動はとにかく気持ちが悪いとつねづね思っている一人ですが、
それはさておき、
働くことが何よりも尊くて、
仕事にやりがいを見つけることは無条件に正しいというのは、
本当にそう思っている人はそれでいいとしても、
みんながみんなそうである必要はどこにもないと思うのです。
だから彼のように、
堂々と「仕事にやりがいを求める必要なんてない」とか、
「将来の夢は毎日ゴロゴロ寝て暮らすことです!」と
声高にして言うのも、
べつに間違っていないと思う。
仕事で成功すること、
仕事で頑張ることばかりが礼賛されがちですが、
そうではない価値観があってもいいはずで。
結局、
その人がそう思うなら、
そして他人に迷惑をかけない限りにおいては、
働こうが働かまいが、
仕事に何を求めようが、
そんなことはどうだっていいと思うのです。
でも
それを言動にあらわすとバッシングされるし、
労働という場からはじき出されてしまう。
経営者が、
仕事の中にある「やりがい」の価値を前面に押し出そうとして、
働き手が、
「やりがい」という言葉を無条件ですばらしいものだと思い込んでしまうと、
「やりがいの搾取」に引っ掛かる危険性がある
とまで、
彼は表現しています。
「やりがいの搾取」。
うまい言葉だなぁと思ってしまいました。笑
結局、
自分の素直な気持ちを大事にしていいんだけども、
労働という社会でうまくいくためには、
ある程度のフリも必要なんだと思います。
本音と建前を使い分けるというか。
ただ、
これを読んでみてちょっと思ったのは、
素に近い状態で就職活動(転職活動)をしてみたらどうなるか?
ということにちょっと興味が湧いたのと、
対して、いかにしてフリを演じればうまくいくか?
これを並行して実験してみたら
結構面白いだろうなと思いました。
自分を貫き、社畜には絶対ならないようにするパターンと
演じまくって社畜になる素振りを見せるパターン。
今までの場合、
私はこの2つを混在させて就職なり転職なりをしてきたわけですが、
それを思いっきりどっちかに舵を切ったらどうなるんだろう。
これ、
意外と面白そうなので、
いつか是非やってみたいです!
話は変わりまして、
この本のなかでも紹介されていた、
「ホワイトカラーエグゼンプション」については、
数年前に、このサービス残業を合法化してしまおうという「ホワイトカラーエグゼンプション」という制度の法案が国会に提出されて、波紋を呼んだりもしました。
この法案はさすがに労働組合などの大反対で廃案となりましたが、いまだに導入を画策している人たちはいるようです。特に、経団連をはじめとする経営者側の立場の人たちは、この制度を強く支持している場合が多いです。
と説明されていましたが、
これが今日、
ちょうどニュースにも上がっていました。
「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
この「ホワイトカラーエグゼンプション」、
私は恥ずかしながら初耳だったのですが、
調べてみると「日本型新裁量労働制」とも言われているそうです。
一見、
企業のブラック化を加速するように見えますが、
働き手側にもメリットがあるという意見もあります。
働く側からすると、
いくら残業しても残業代がゼロなわけですから、
仕事を早く切り上げようとする力が働くのだとか。
これは一理ありますが、
このチカラが働くのは、
残業代がもともときちんと支払われていた会社であって、
基本的に「一週間に○時間は、みなし残業とする」として、
一定の残業代を給与に含めてしまっている企業においては、
おそらく従業員側には何のメリットもないでしょう。
もともと支払われていないわけだから、
あらたに残業代ゼロが制度化されたところで、
痛くもかゆくもない。
まだ知識が浅いので、
即断するには早すぎますが、
現段階では経営者側にたった制度だと私も思ってしまいました。
また著者は、
「日本的雇用システム」は、
会社に一生を保証してもらう代わりに、「社畜」になることを受け入れるシステムでもあるとして、
マイホームを買った直後に支社への転勤を命じられ、泣く泣く単身赴任せざるを得なくなったという悲惨な話を聞いたことがないでしょうか。
と述べていましたが、
たしかにこれは、
大手電器メーカーの東芝などでもよく聞く話です。
ローンを背負った以上、会社を辞めるわけにはいかないので、
東芝では家を購入した従業員に辞令を出すとか。
これはあくまで噂であり、
真偽のほどは正直わかりませんが、
どこの会社がどうだとかはおいといて、
弱みを握られながら働くなんて、
私は絶対できないなぁ。。。
企業側にそういう意図はなくても、
私たち自身が会社にしがみついて生きざるを得ない状況に
陥りがちなのは事実なので、
極力そうならないよう、
私自身は働くこと自体にあまり重きをおかないように、
これからもこのスタンスを貫いていきたいと思っています。
(というか、ただ働きたくないだけ…)
最後に、
本の左上に、読者からの声がいくつも紹介されていましたが、
ほとんどがどこかで聞いたことのある・自分も経験したことのある、
懐かしいものばかりで、
おもわず笑ってしまいました。
「就職して1年たったが、この会社の『定時』は大体22時ぐらいだということがよくわかった」
「体調を崩して会社を休む人が多くなると、『体調管理には十分気をつけろ』と上司から言われるが、業務量自体は別に減らない」
「もらっている給料を時給に換算すると悲しくなるので絶対にしない」
「有給取得の前後は『仕事がんばってますアピール』をするために、特に仕事がなくてもいつもより遅くまで会社に残るようにしている」
「業務時間外に、それが当然であるかのように会議の予定を入れられる」
「会社で『飲みニケーション』を支援するための飲み会に補助金が出ることになったが、そんなことよりも給料を上げてほしい」
「就活で、採用担当人事が『人が成長するのを見るのが好きだ』と言っていたが、私はアサガオじゃないぞ」
「会社にミサイルが落ちて休みなればいいのにな」
「毎朝、通勤電車に乗ると脳内で『ドナドナ』が再生される」
「毎日毎日、週末までの残り日数を数えながら仕事をしている」
あーやっぱり、仕事したくない!笑
■まとめ:
・「うんうん、わかるわかる」とうなずける部分は多かったものの、自分にとっては新しい視点が少なかったのと、「じゃあ、実際どうやって働けばいいんだよ?」という実践部分の根拠が薄かった。極端すぎる=非生産的な考え方もあり、自分としては共感できない部分もあった。
・世間に逆行していても、当たり前のことを当たり前に言って何が悪い?!という姿勢は共感できた。筆者が言うように、働き方・生き方に、もっと多様な価値観があってよいと思う。やりがいがすべてではない。
・それでも労働社会のシステムに乗っかってある程度うまくやっていくには、(筆者はここには触れていなかったけれど)フリや諦め・妥協も結局は必要なんじゃないかと思った。
■カテゴリー:
■評価:
★★☆☆☆
▽ペーパー本は、こちら
あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。
- 作者: 日野瑛太郎
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2014/01/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (3件) を見る
▽Kindle本は、こちら
あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。
- 作者: 日野瑛太郎
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2014/01/10
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (2件) を見る