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真田太平記(3) ★★★★★

池波正太郎さん

真田太平記(三)上田攻め (新潮文庫)

を読み終えました。

 

評価は、星5つです。

 

これまで一巻二巻と、

圧倒的なおもしろさで、

見事にハマってしまいましたが、

ここにきて少し中だるみ?してきた感もあります。

 

とはいえ、

やっぱり面白い。

 

徳川と北条を敵にまわしてしまった真田家が、

このピンチをどう脱するのか?

 

そして天下を治めた豊臣秀吉と、

どう渡り歩いていくのか?

 

当主である真田昌幸はもちろんのこと、

信幸(兄)・幸村(弟)が辿りはじめる運命はいかに?

 

──と、

気になる展開が続きます。

 

▽内容:

上州・沼田城の帰属をめぐり北条家と争う真田昌幸は、ついに徳川・北条連合軍と戦端を開く。出来たばかりの上田城に拠った昌幸父子は、捨身の決戦で数倍の敵を退ける。そして、旧態依然たる北条家のふるまいに嫌気がさした豊臣秀吉は、甲賀忍びの御伽衆・山中長俊の仕組んだ謀略を使って開戦にもちこみ小田原城を攻め落とす。こうして秀吉の天下統一はなったのだが…。

 

第三巻は、

沼田を守るために家康と手切れした真田家が、

ついに徳川・北条家と剣を交える上田合戦(1585年)

そして秀吉側に本格的に従属してからの小田原攻め(1590年)

さらにその後、

秀吉の朝鮮出兵で派兵を準備するところまで。

 

年号にして、

秀吉の朝鮮出兵は1592年とありますから、

だいたい1591年くらいでしょうかね。

 

まず、

上田合戦では、

数では決してかなわない大軍を前に、

真田家はこれを得意の謀略でもって防ぎ、

奇跡的な勝利を手にします。

 

このとき、

長男の真田信幸が、

父・昌幸に次のようにアドバイスします。

 

「このたびの戦は、一日にて、決着をつけてしまわねばなりますまい」

 

昌幸は、

そんなことわかってるよ!

──と言わんばかりに、

生意気な信幸に苦虫を噛みながらも、

 

「そうか…」

「そうか、わかったぞ、源三郎…」

 

 

と一転して破顔に。

 

まさに、

昌幸のなかで「一瞬のひらめき」が起こるわけですが、

読んでいるほうからすると、

これにはあまりに突発すぎる感がありました。笑

 

でも、

え?どうやって決着つけんだよ?

──と、

気持ちはついつい急いてしまう。

 

結論からいうと、

上田城に小細工をして、

敵を集めるだけ集めて逃げられないようにしてから、

その小細工をつかって蹴散らします。

 

──これが戦術になるのですが、

この戦術は、

実は二回りも三回りも塗り固められていて、

次から次へとさらなる作戦が展開されるわけです。

 

そこにまた心をとられてしまう。

 

そしてそれが次々に成功していくのです。

これはもう、一種の爽快感。

 

ここで、

かつてのライバル・上杉景勝が、

実はすごい強力な盟主になったことも描かれていて、

上杉景勝という人物についての興味もわいてきました。

 

一方で、

北条氏政・氏直はというと。

 

こちらも真田家にとって、

永らくライバルでしたが、

この上田合戦のあとも、

相変わらず、

沼田をよこせ、名胡桃をよこせとうるさい。

 

家康にうまく取り入り、

同盟関係を結ぶところまでは、

決してバカじゃないんだなと思っていましたが、

そのあとの時の趨勢の読み方がアホというか、見えていない。

 

秀吉がいかにすごい人物で、

さすがの家康もしたがったほどなのに、

この北条父子はなかなか意を曲げない。

 

頑固でプライドが高く、

政治的判断力や交渉力に欠ける。

 

つまり、お馬鹿さん。

 

どうも、

この小説を読む限りでは、

そのように見えてしまうのです。

 

だから、

今度は別角度から、

この北条家という人物像を覗いてみたいとも思いました。

 

そして、

最後の朝鮮出兵

 

実際にはその手前までなんですが、

秀吉がなぜかトチ狂って、

朝鮮を足掛かりに、

明まで手中におさめようと息巻いています。

 

信長存命中から、

もともとその気はあったようですが、

彼の野望がもはや現実的でなくなってしまったのは、

愛する家族や腹心を失い、

もはや心ここにあらずだったから、

──と(本作のなかでは)書かれています。

 

異父弟の秀長、

愛息の鶴松、

そして千利休がまさにそれです。

 

秀吉は千利休を自害させていますが、

なぜ彼が懇意にしていた千利休をそうさせたのか、

それについて本作では、

「愛と憎しみは紙一重のもの」

という言葉で説明していましたが、

 

要は、

千利休に対し)

「深く信頼していたからこそ信奉してほしかった」

というおもいが秀吉のなかにあって、

結局はそれが強すぎてついにかなわなかったから、

その反動にでてしまった、

──ということなのでしょうかね。

 

秀吉と千利休の関係については、

他にもいろいろ小説や文献が出ているでしょうから、

こちらも今度、

是非読んでみたいと思っています。

 

秀吉と利休 (新潮文庫)

小説 千利休 秀吉との命を賭けた闘い (PHP文庫)

 

──とまあ、

この第三巻も、

何かと興味をそそられる内容が盛りだくさんでした。

 

ついでにいうと、

登場人物もこれまで以上に多かった気が。

(これは結構、大変だった…)

 

そして、

真田信幸と幸村の兄弟が

それぞれ別々の運命をたどることになるであろう伏線が、

この巻からわりと明確に引かれています。

 

兄弟の行方はいかに…?!

 

次回も楽しみです。

 

※第一巻のレビューはこちら

※第二巻のレビューはこちら

 

【登場人物】

本多忠勝
徳川家康の第一級の重臣。秀吉と対決した小牧・長久手の戦いでは、秀吉の追撃部隊を阻むべく、小勢で果敢に秀吉に挑む。徳川・真田の政略結婚で、忠勝の娘(稲姫)を真田源三郎信幸に嫁がせる(1588年)。

 

鳥居元忠
徳川家康の第二級の武将。上田攻めの先手大将をつとめる。

 

大久保忠世
徳川家康の第二級の武将。上田攻めの先手大将をつとめる。家康の祖父(松平清康)のころから徳川家に仕える譜代で、二俣城主。弟に、大久保彦左衛門忠教(ただたか)がいる。

 

・柴田康忠/菅沼重直:
徳川家康の家臣。上田攻めでは、大久保忠世を補佐。

 

平岩親吉
徳川家康の第二級の武将。上田攻めの先手大将をつとめる。家康の長男・信康が切腹したとき、その補佐役であったことから、永らく謹慎を言い渡されていたが、上田攻めで汚名挽回をはかろうと躍起。

 

・諏訪頼忠:
母が武田信玄の妹であったため、かつては武田家に仕えていたが、武田家滅亡後は家康に仕えるも、信州をめぐって、徳川・北条が対立すると、北条氏直に与し、同盟後には再び家康に仕える。上田合戦にも参加。徳川軍の先鋒を務めるも、いきなり真田軍の奇襲攻撃に蹴散らされる。

 

・池田長門
真田家随一の奇襲の名人。上田合戦では、源三郎信幸とともに真田軍の先鋒をつとめ、信幸の本軍と別働隊を率いて、徳川軍を狙撃・かく乱する。

 

今川氏真(うじざね):
故・今川義元の嗣子。父・義元が信長に討たれてからは、武田信玄徳川家康の攻勢に堪えられず、駿府を出て京都で静かに余生を送る。蹴鞠の天才で、性格的には戦国大名というより、公家寄りだった。

 

・鈴木主水:
名胡桃城主。上杉謙信に仕えていたが、謙信の死後、真田幸村に属し、上田合戦では吾妻・中山城の北条軍と対立し、防戦。猪俣邦憲と義弟・中山九兵衛の内通によって妻子と名胡桃城を奪われ、城下の寺で自死

 

・丸子三左衛門:
信州・丸子城主で、真田昌幸に従属。昌幸がうまく重用したことで、昌幸を深く信頼するようになり、家康の上田攻めの誘いにものらなかった。

 

上杉景勝
故・上杉謙信の養子で、景虎との家督争いに勝ち、上杉家の当主となる。信玄・信長の亡き後、川中島へ出兵し、森長可を追い払って海津城を手中に治める。過去、真田家と対立もしていたが、上田合戦では真田側を援護。はやくから秀吉に従属。真田幸村を人質としてあずかるも、その人柄を高評価し厚遇。

 

・須田満親(みつちか):
上杉景勝に仕える武将で、海津城代。上田合戦で、真田家に助勢し、徳川勢による上田陥落を防ぐ。

 

・藤田能登守:
上杉景勝に仕える武将。上田合戦における真田軍の先勝を受けて、さらに援護を厚くすべく、景勝より出兵を命じられる。

 

井伊直政
徳川家康の重臣。上田合戦で先陣の四武将(大久保・鳥居・諏訪・平岩)が苦戦したため、家康の命を受けて参戦。

 

・向井佐平次:
武田家側の一兵卒として仕えていたが、高遠城の落城で壺谷又五郎とお江により一命をとりとめ、真田幸村に仕える。幸村が上杉景勝の人質となったときも、春日山へ随行し、身の回りの世話をする。幸村が秀吉のもとに移送されると、壺谷又五郎とともに大阪へ。

 

・もよ:
真田家に仕える草の者(赤井喜六)の娘。父の死後、岩櫃城に引き取られ、真田幸村らの身の回りの世話にあたっていた。その後、砥石へ移り、向井佐平次と結婚して、佐助を産む。

 

北条氏直
北条氏政の長男。一時は東信濃をめぐって上杉景勝と対立し、真田昌幸と同盟するも、沼田の領有権をめぐって真田家と対立。徳川と同盟し、沼田城を攻めんと、北条氏邦(叔父)・太田氏房(弟)を大将とする征伐軍を編成するが、矢沢頼綱の防戦に阻まれ失敗。その後、秀吉の仲介で沼田城を手中におさめるが、名胡桃城の領有権についても主張。秀吉への隷属をガンとして拒んだため、小田原攻めにあい、最後は一命をとりとめるも、高野山に放逐される。父・北条氏政と叔父・氏照は打ち首。

 

・矢沢薩摩守頼綱:
真田昌幸の叔父で、矢沢(但馬守)頼康の父。沼田城代として、これまでに何度も北条軍を防戦してきたが、上田合戦の際も、氏邦・太田氏房率いる北条軍に反撃。秀吉の仲介で北条家に沼田城を明け渡したのちは、岩櫃城代に。

 

・矢沢但馬守頼康(三十郎):
真田昌幸の従弟で、岩櫃城の元城代。上田合戦では岩櫃を離れ、矢沢の砦に入り、徳川軍の上田攻めを防戦。

 

・樋口角兵衛政輝:
武田家に仕えていた樋口鑑久と久野(真田昌幸の義妹)の子とされるが、実は真田昌幸と久野の子。幼い頃から強力無双。お徳(真田昌幸の妾)殺害を企てるも失敗し、行方をくらませていたが、上田合戦にあたり、上田城に帰還。永らく真田信幸を信奉し、幸村を疎んでいたが、国俊の短刀事件を機に、精神的にも成長した幸村と和解し急接近。

 

石川数正
岡崎城主で、家康の重臣だったが、秀吉への使節を務めるうちに秀吉に懐柔され、天正13年(1586年)妻子一族を連れて秀吉のもとに逃走。家康が上田攻めを諦める押しの一手になる。

 

・真田源三郎信幸:
真田昌幸の山手殿との間の長男。第三巻では、上田合戦で大活躍。自ら決死隊を率いて徳川軍に奇襲を仕掛け、攻防。真田家が秀吉陣営に入って、徳川と和解すると、家康の養女で本多平八郎忠重の娘(稲姫)をもらいうける。その後、小田原攻めで、沼田城が北条方から戻ってくると、真田家初の城主に。

 

・真田源二郎幸村:
真田昌幸の次男で、妾腹の子とされる。第三巻では、上田合戦の勝利の約束として、上杉景勝のもとに人質として身を寄せる。その後、真田昌幸・信幸の大阪城上洛の際、秀吉のもとに移送されることが決定。

 

新発田治時(はるとき)/芦名盛重:
新発田は越後、芦名は会津の武将で、上杉景勝に従属していたが、1586年に景勝に反旗を翻して挙兵。真田昌幸は矢沢頼康に命じて景勝を援護。

 

長宗我部元親
四国の大名。家康と織田信雄の呼びかけに応じて、永らく秀吉と対立してきたが、降伏。その後、秀吉は関白に任ぜられる。

 

今出川(菊亭)晴季:
真田昌幸の正妻・山手殿(典子)と、その妹・久野の父。右大臣にあり、秀吉の関白就任に尽力。これで、秀吉は近衛前久(さきひさ)の猶子となり、関白・藤原秀吉となるも、藤原一族の反感を疎い、天皇より直接、豊臣姓を賜って太政大臣の地位に。

 

佐々成政
柴田勝家の与力、富山城主。家康と織田信雄の呼びかけに応じて、永らく秀吉と対立してきたが、長宗我部元親に続き、こちらも降伏。

 

織田信雄
信長の次男、清州城主。異母弟の信孝と反目、信孝&譜代派(柴田勝家滝川一益)と対抗し、一時は秀吉につくも、その後離反。家康を頼って小牧・長久手の戦いで秀吉に快勝したが、その後、秀吉の和議申し入れに応じ、完全に秀吉の幕下に入る。佐々成政へ降伏を仲介したのも信雄。

 

織田長益
信長の弟。秀吉の旗下にあり、家康に上洛をすすめる使者となる。

 

・於義丸:
家康の二男。11歳で秀吉のもとに人質として出される。

 

・朝日姫:
秀吉の異父妹。もとは尾張・中村の百姓の妻だったが、秀吉の出世にともない、夫婦の身分も上がるが、夫を亡くし、再婚・三婚をするも、秀吉→家康の懐柔策のために離縁、家康のもとに嫁ぐ。

 

徳川秀忠(長丸):
家康の三男で世継ぎ。小田原攻めの前に、12歳で秀吉のもとに人質として出されるが、秀吉はこれを京都で厚遇してから駿府に戻す。

 

・大政所(仲):
秀吉の生母、もとは尾張・中村の百姓で織田家の足軽をつとめる木下弥右衛門に嫁いでいたが、夫を亡くしてから織田家の茶同胞をつとめていた筑阿弥(ちくあみ)と再婚。家康の懐柔策のため、一時は家康のもとに送られたが、家康の上洛後、丁重に送り返される。

 

・智子(とも):
秀吉の実姉。仲と木下弥右衛門の間に産まれる。

 

豊臣秀長
秀吉の異父弟で、朝日姫の実兄。仲と筑阿弥の間に産まれる。はやくから秀吉を支え、秀吉の天下統一を助けるも、朝鮮出兵の前に病死。

 

・寧々(ねね):
秀吉の正妻(北政所)。

 

稲姫(小松殿):
本多忠勝の娘。徳川・真田の和睦にあたり、家康の計で、真田信幸と政略結婚。その際、家康の養女となる。

 

・お徳:
真田家に仕えていた足軽(岡内喜六)の元妻だったが、その後、真田昌幸の側室となる。名胡桃城の鈴木主水に預けられ、娘(於菊)を産む。北条方による名胡桃攻めで運よく脱出するも、傷が治らず、死去。

 

島津義久
薩摩の大名。最後まで秀吉に対抗していたが、降伏。

 

大友宗麟
豊後の大名。はやくから秀吉に屈し、秀吉の薩摩平定においても協力。

 

・鈴木小太郎忠重(右近):
鈴木主水と栄子の息子。幼少時より病弱・色白だったが、85歳の長寿をまっとう。北条方に名胡桃城を攻められ、母と共に北条勢に捕えられるも、その後、解放され、真田信幸に仕えて沼田城に移る。信幸・小松殿の好意で、於順との縁談がとりもたれていたが、好意を失意ととらえ、沼田より姿をくらます。

 

・栄子:
鈴木主水の妻で、上州・中山城主:中山安芸守の娘。実家の中山城は北条家に奪われる。猪俣邦憲と弟・九兵衛の内通で名胡桃城を落とされ、北条勢に捕えられる。忠重とともに沼田城へ移って間もなく病没。

 

・中山九兵衛実光:
栄子の弟で、鈴木主水の義弟。中山城にいたが、北条家に攻め入られ、名胡桃城に身を寄せる。その後、名胡桃城を狙う北条側と密かに通じ、猪俣邦憲に協力して、北条方による名胡桃城奪取に内応。のちに事情を知った北条氏直から猪俣邦憲をそそのかしたと疑われ、沼田城へ身柄を移されて謹慎。

 

・諸田頼母(たのも):
鈴木主水の重臣。北条方で沼田城代の猪俣邦憲と中山九兵衛の内通により、名胡桃城が落城した際、討死。

 

直江兼続(かねつぐ):
上杉景勝の寵臣。景勝と共に秀吉に謁見した際、早くから秀吉にその才幹ぶりを見初められ、後年、豊臣姓を与えられる。のちに天下を争う大戦の立役者に。

 

・豊臣(三好)秀次:
秀吉の甥。三好吉房と秀吉の姉(智子)の息子。実子がいない秀吉の養子となる。秀長(秀吉の弟)・鶴丸(秀吉の息子)亡き後、跡継ぎに決まるも(関白の地位も譲られる)、周囲の期待は薄かった。

 

・茶々(淀殿):
於市の方(信長の妹)と故・浅井長政との間に産まれた娘。於市の方は、柴田勝家と再婚し、三女をもうけるも、賤ヶ岳の戦いで死去。遺子を秀吉が引き取り、茶々を側室にする。小田原攻めの前に男子(鶴松)を産むも、わずか三歳で病死。しかしその二年後に秀頼を産む。

 

本多正信
もともとは家康の鷹匠三河一向一揆の大将として家康に歯向かったこともあるが、上田城稲姫が嫁ぐ際には、その行列を先導。

 

・禰津長右衛門/河原右京亮:
ともに、真田昌幸の側近。上田から小諸に出向いて、稲姫の輿入れを出迎える。

 

・山中内匠長俊(やまなかたくみながとし):
秀吉の御伽衆(側近)の一人で、策士。山中俊房の又従弟で甲賀出身。秀吉の諜報組織の筆頭。

 

・督姫:
徳川家康の娘。徳川・北条の同盟締結において、北条氏直に嫁ぐ。よって、家康は北条氏直の岳父にあたる。

 

・富田知信/津田信勝:
秀吉の家臣。真田から北条へ沼田城を明け渡す際、秀吉の仲介代理として立ち会う。徳川家康は、重臣・榊原康政を派遣。

 

・猪俣能登守邦憲(くにのり):
真田から北条への沼田開城で、北条方の沼田城代として入城した武将。秀吉と山中長俊の謀略で、名胡桃城を攻めてしまい、秀吉に小田原攻めの口実を与えることに。

 

・柏木吉兵衛:
もとは甲賀忍び。山中長俊を古くから慕う老熟の忍び。山中の命を、北条に忍び入っている酒巻才蔵(住吉慶春)に伝える。

 

・山中大和守俊房:
甲賀の豪族で、武田信玄織田信長徳川家康に協力。徳川の間諜網の重要ポストに就く。お江の父(馬杉市蔵)の上司でもあった。

 

竹中半兵衛重治:
もとは、斎藤道三の孫・斉藤竜興(たつおき)の家来。竜興を見限って浪人になったところを秀吉が召し抱え、軍師とする。山中長俊を秀吉に紹介。

 

・心山和尚:
小田原城下の法城院(=山中長俊の基地)の和尚。長俊の叔父でもあり、甲賀出身の忍びの一人。少年時より仏門に入門。

 

・住吉慶春(酒巻才蔵):
北条父子の御伽衆の一人で、絵師。北条父子に気に入られ、小田原城内に居住を許されるも、実体は秀吉のスパイの一人。もとは甲賀忍びで山中長俊に仕え、お江の父(馬杉市蔵)と同じく、武田家に雇われていたことも。山中長俊の密命で、小田原から沼田城へ出向き、ニセの密書を猪俣邦憲に手渡す。

 

・お江(おこう):
真田家に仕える女忍び。第三巻では、住吉慶春(酒巻才蔵)に接近し、昔の(父の)よしみで、秀吉と山中長俊の小田原討伐作戦を入手。主家(真田昌幸)にこれを伝える。

 

・寺尾新兵衛:
沼田城の北条方と中山城の中山九兵衛を密かにとりもっていた連絡係。

 

石田三成(治部少輔):
滋賀・長浜の出身。幼少時より学問に通じ、寺子に出されていた際、秀吉の目にかなって出仕。若くして出世し、水口城主を務め、貿易奉行にも抜擢。真田幸村にも目をかけ厚遇。

 

北条氏邦
北条氏直の叔父で、鉢形城主。秀吉勢より先に沼津城に攻め入り、ここを牙城とすることを提言。小田原開城の際には、秀吉より目をかけられ、加賀の前田利家のもとに預けられる。

 

・松田憲秀:
北条家の老臣。北条氏邦の積極抗戦論をたしなめ、小田原で防戦一方を説くも、裏で秀吉と通じていた。息子・左馬之助にこれを勘付かれ、自害。

 

・大道寺政繁:
北条家の老臣で、松井田城主。本能寺の変滝川一益が上州から退いた隙に、すぐ松井田城に入る。秀吉・真田の小田原攻めの際に、おびき寄せ作戦を遂行し、一時は真田信幸を追い込むも、樋口角兵衛の援護で失敗。その後、前田利家上杉景勝の本軍に攻められ、松井田城に立てこもるも、降伏。

 

・渡辺勘兵衛:
別名「槍の勘兵衛」ともよばれるほどの、槍の名手。秀吉の小田原攻めの際、箱根の山中城を一日で落としたが、主君・中村一氏がその論功を我が物にしたため、小田原攻めが終わらぬうちに中村一氏のもとを離れ、浪人となる。これを真田昌幸が召し抱えようと画策したが、先に増田長盛に見出され、一足違いで獲得できず。

 

・太田氏房:
北条氏直の弟で、守将。秀吉方の宇喜多秀家に懐柔され、早くから北条家に降伏を説くも、北条父子(とくに父・氏政)の反対で長期化。

 

北条氏規(うじのり):
伊豆・韮山城主。たてこもって奮戦を続ける。

 

伊達政宗
奥州の勇将。18歳で家督を継いでから、近辺の諸氏を相手に勇戦を繰り返し、宿敵・芦名義広を討ち取る。芦名が秀吉に従属していたため、秀吉を敵に回すことになり、北条家との同盟も検討していたが、秀吉の呼びかけに応じ、小田原攻めに参加。

 

・保春院:
伊達政宗の母。政宗の片目を嫌悪し、弟(小次郎)を当主にせんと、政宗が小田原に出向く前日、彼を毒殺しようとはかる。これにて弟(小次郎)は打ち首、保春院は兄・最上義光のもとへ放逐。

 

最上義光(よしあき):
出羽・山形城主で、保春院の兄。保春院による政宗毒殺について、影で糸を引いていたといわれる。

 

・滝川雄利:
秀吉方にあって、かねてより北条方と無血開城の工作にあたっていた人物。北条氏直が弟・太田氏房をともなって家康のもとに投降してきた際、家康が滝川のもとに差し向け、滝川がこれを秀吉に仲介。

 

・杉野源右衛門:
もとは鈴木主水の家臣だったが、主水亡き後、真田昌幸に仕え、上田に移る。

 

・於順:
杉野源右衛門の次女。沼田城で、信幸夫人・小松殿の待女をつとめる。しばらく子を授からなかった小松殿の策で、一時は真田信幸の側室候補となったが、鈴木右近忠重の仲裁でこの線はなくなる。

 

・三宅清太夫:
本多平八郎忠勝の侍臣。秀吉の朝鮮出兵にあたり、家康も派兵することを使者として真田信幸に告げる。

 

・宗義調(よししげ):
対馬の領主。鎌倉期より対馬を治め、長年にわたり、朝鮮と日本を仲介。秀吉より、朝鮮国の屈服を打診されるが、国王みずから来日しないことに立腹した秀吉はこれを突っぱねたため、小西行長に相談。

 

小西行長
秀吉に仕える、肥後の大名。宗義調の岳父。宗氏の相談に応じ、秀吉を説得。これによって秀吉は朝鮮の使節団に会う。

 

大谷吉継(よしつぐ):
若いころから秀吉の小姓として奉公、武勇の誉れたかく、越前・敦賀城主に任ぜられる。らい病を患い、悪意のある噂も多かったが、かねてより真田幸村に目をかけ、好意を寄せていたため、むすめを幸村に差し出す。

 

千利休(宗易):
堺の商人だったが、武野紹鷗に茶の湯をまなび、侘び茶を大成。信長・秀吉に仕えたが、秀吉の怒りを買い、自決。

 

・真田安房守昌幸:

真田幸隆の三男。二人の兄を長篠の合戦(織田信長vs武田勝頼)で亡くし、真田家の当主に。真田信幸・幸村の父。

 

・山手殿:

真田昌幸の正室で、源三郎信幸の母。気位が高く、かつては昌幸の妾・お徳の暗殺を企てたくらいだが、お徳が娘を産んで、かつ名胡桃城で命をおとしかけてからは、同情するように。

 

・久野:
山手殿の妹で、樋口角兵衛の母。真田昌幸と情を交わしており、角兵衛は実は昌幸と久野の子。

 

・壺谷又五郎

真田家の間諜組織の筆頭。もとは武田家の忍び(伊那の忍び)だったが、真田昌幸がもらいうけ、真田家に直属するように。

 

 

【印象に残ったこと】

・家康は、大病(背中の腫瘍)を患い、生死をさまよったことで、忍耐強く・慎重になった。息子たち(秀康・秀忠)が幼く、あとを任せられないこともあり、ようやく秀吉と手を結ぶ決意をしたものの、真田に上杉が味方し、さらにその上杉は秀吉の傘下にあったため、上田合戦は再び徳川vs羽柴の代理戦争に。

 

・家康も、重臣たちも、上田攻めを甘く見ていた。上田は徳川の二級武将が、沼田は北条家が攻めるも、上田は真田昌幸・信幸父子の奇襲&挟み撃ち作戦で大きな痛手を被り、沼田は矢沢頼綱の攻防にあって戦果をあげられなかった。

 

・上田合戦で、真田軍の先鋒をつとめたのは真田信幸。上田城を守る父にかわり、城外で決死隊を指揮し、奇襲を講じて戦果をあげる。予期しない抗戦としぶとさに、家康は上田攻めを一旦諦めるが、秀吉との緊張関係が高まったこともこれを後押し。重臣の石川数正が秀吉のもとに走ったり、秀吉が関白→太政大臣に就任、名実ともに天下統一を果たし、天皇のお墨付きを得てしまったこともあって、上田出兵はしばらくお預けになる。しかし、その二度目の上田攻めを家康に諦めさせ、真田と徳川の間をとりもったのも、秀吉だった。これにより、真田昌幸は、沼田を手放すことを決意(北条へ渡る)。かわりに家康領だった伊那の一部と、岩櫃城・名胡桃城の二城の領有権(存続権)を得る。

 

・天下統一を果たした秀吉は、再三にわたり家康に上洛を促すも、家康はこれを断固拒否。秀吉の度重なる懐柔策(異父妹・朝日姫を家康の後妻として差し出したり、生母・大政所を日と人質として送ったり)に折れ、ついに上洛を果たす。

 

・秀吉は西国(四国・九州)を平定して実質的に天下統一を果たすために、東国については、徳川家康(&北条氏政+氏直)・上杉景勝真田昌幸を懐柔しておく必要があった。真田幸村を差し向けろと、直接、上杉景勝に言わなかったのは、上杉に対する遠慮のため。

 

・最初は、上杉景勝のもとに、その後、秀吉のもとに人質として送られた真田幸村だったが、景勝からも秀吉からも大いに可愛がられた。

 

・「関東の支配者」を自負する北条氏政・氏直父子は、最後までプライドを捨てることができなかったため、秀吉の怒りや家康の呆れを買い、ついに秀吉によって征伐された。また、自らが居住する小田原城を「天下の堅城」と豪語し、そう簡単には落ちないと思い込んでいたことも、大きな誤算だった。

 

・家康は家臣のマネジメントにすぐれていたし、良い家臣をもっていた。

 

徳川家の、(中略)老臣たちは主家を自分の家と考え、領国を自分の国とも思って、家来ではあっても、主人の家族のひとりだという意識が強い。(中略)徳川家が栄えるならば、取りも直さず、それは自分の家の栄えになる。これが、徳川譜代の重臣たちの考え方なのである。

 

真田昌幸・幸村親子にとって、上杉景勝の寛容と石田光成の厚意は、強く印象付けられ、のちのちまで影響。

 

一は、真田が浮くか沈むかの苦境に立ったときに受けた恩恵であり、一は、危急を知っていながら、あえて、「見殺しにした…」いや、見殺しにせざるを得なかった名胡桃城と鈴木主水の遺族の安否を(三成から)知ることができたという安心。そして、わがむすめ生存をたしかめたよろこびである。

 

真田昌幸の隠し子で、信幸・幸村の異母弟にあたる樋口角兵衛は、当初は信幸にぞっこんで幸村を目の仇にしていたが、人質となって他家を渡り歩く幸村が精神的に成長したことで、角兵衛をうまく懐柔。角兵衛は掌を返したように、幸村にぞっこんになる。

 

大阪の豊臣秀吉の許で暮らした二年の歳月が、幸村を成長させ、角兵衛に対する心が変わるにつれ、それが粗暴な角兵衛の胸中へもつたわったのであろうか…。幼少のころから、幸村には、さんざんに嘲弄され、力くらべでは負けぬ角兵衛も、幸村の才智に結局は屈服せざるを得なかった。

 

・信長は、武人としてだけでなく、モダンな芸術家(芸術を愛する)としても有名だったが、秀吉もまたその信長のもとで洗練され、建築・芸術・衣服などに財を投ずるのを惜しまなかった。

 

・小田原討伐後、家康は関東へ移ることを命ぜられ、かつて家康の領国だった駿河三河遠江には、秀吉の子飼いの家臣に任せてしまった。この人事配置がのちのち失策となって裏目にでてしまった。

 

秀吉は自分と家康との間に〔緩衝地帯〕をもうけ、信頼のできる自分の勢力を入れ、この〔地帯〕を、しっかりと経営させる。これが、秀吉のねらいであることはいうまでもない。

 

(しかしながら)豊臣秀吉が亡くなったのち、豊臣の残存勢力は、関東(徳川家康)の進出に対し、複雑微妙におくれをとってゆくことになる。それもこれも東海の三国が、豊臣家のものとして、しっかりとうちかためられていなかったからだ。

 

■まとめ:

・第三巻は、沼田を守るために家康と手切れした真田家が、ついに徳川・北条家と剣を交える上田合戦(1585年)、そして秀吉側に本格的に従属してからの小田原攻め(1590年)、さらにその後、秀吉の朝鮮出兵で派兵を準備するところまで。登場人物が多くて複雑だが、真田信幸・幸村兄弟がそれぞれ別の運命を辿り始める、いわゆる「分かれ目」がここからスタート。

・上田合戦における真田昌幸・信行親子の作戦・奮闘ぶりには目を見張られる。そしてその作戦や奇襲が次々と成功するので、一種の爽快感を感じた。

・また、上田合戦における上杉景勝の寛容さや、小田原攻めにおける北条父子(氏政・氏直)の愚鈍さ、秀吉と千利休の関係など、本作とはまた別の角度からその人物像や人間関係を見てみたいという興味がわいた。


■カテゴリー:

歴史小説

 

 

■評価:

★★★★★

 


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