真田太平記(1) ★★★★★

池波正太郎さん

真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)

を読了しました。

 

評価は、星5つです。


◇内容:

天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍によって戦国随一の精強さを誇った武田軍団が滅ぼされ、宿将真田昌幸は上・信二州に孤立、試練の時を迎えたところからこの長い物語は始まる。武勇と知謀に長けた昌幸は、天下の帰趨を探るべく手飼いの真田忍びたちを四方に飛ばせ、新しい時代の主・織田信長にいったんは臣従するのだが、その夏、またも驚天動地の事態が待ちうけていた。

 

本書は、

むかーしむかし、

一度だけ読みかけたことがあるのですが、

たしか途中で頓挫してしまって、

内容はもはやおぼえておりません。

 

全12巻ですから、

わりと大作です。

 

池波正太郎さんの著書をちゃんと読むのも、

おそらくこれが初めて。

 

12巻すべて完読したら、

そのときはまた、

まとめてレビューしたいと思いますが、

逆にまた頓挫してしまったら、

この単巻レビューは泡と消えるでしょう…(汗)。

 

でも、

最初の感想としては、

おもしろかった!!

──これに尽きます。

 

なんで以前、

途中でやめてしまったのか?

と不思議なくらい、

読みだしたら止まりません。

(たぶん幼すぎた…?)

 

いわゆる「忍者モノ」で、

戦国~江戸時代にかけて、

上・信州をおさめた真田一族のお話。

 

第一巻は、

武田家滅亡(1582年3月)~本能寺の変(同年6月)まで。

 

武田家に臣従していた真田家が、

武田家滅亡ののち、

一族の存続をかけて東奔西走するさまが描かれています。

 

ときの当主は、

三代目・真田昌幸

 

彼は父・真田幸隆と、

かつての主君である武田信玄の影響を受け、

「忍びの者」による間諜網を駆使することで、

真田家の危機を乗り越えようとする。

 

そこで登場するのが、

「お江」という「女忍び」や、

「壺谷又五郎」という伊那忍びたち。

 

彼らの諜報活動で、

どの権力者に、

どのように接していけばよいかを模索する昌幸。

 

南は北条氏政

西は徳川家康織田信長

 

様々なツテを頼り、

忍びの者を使って、

身の置き所を定めていくわけですが、

その試行錯誤がなかなか面白い!

 

歴史小説は好きですが、

「忍者モノ」は正直はじめてで、

彼らの活躍にドキドキしちゃいました。

 

真田幸村とか真田十勇士とか、

名前だけは聞いたことがあるけれど、

一体何者?!

っていう部分がこれからきっと明らかになっていくんだろうなと思うと、

余計にワクワク。

 

登場人物が多くて大変ですが、

信長が天下をとるまでのところや、

武田家の興亡、

信長と盟友・重臣たちの関係なんかもよくわかって面白かったです。

 

第二巻に続く→

 

以下は、

私的な備忘録です。

 

※ネタバレ含みますので、ご注意ください。

 

【登場人物】

・向井佐平次:
向井猪兵衛の息子。武田家側の一兵卒として、立木四郎左衛門の長柄組に仕えていたが、高遠城陥落によって主君らを失う。壺谷又五郎の命を受けたお江らに救われ、一命を取りとめる。別所の湯で湯治中に、真田源二郎信繁(のちの真田幸村)の目にとどまり、源二郎に仕えるようになる。

 

・向井猪兵衛:
向井佐平次の父。小山田備中守の長柄足軽として奉公。高遠城が落ちる三年前に病没。

 

・小山田備中守昌辰:
武田勝頼の重臣。高遠城で当主の仁科五郎にかわって総指揮をとり、戦死。息子に小山田壱岐守がおり、真田昌幸の長女・村松どのが嫁いでいる。

 

・立木四郎左衛門:
小山田家の長柄大将で、向井佐平次の直属の上司。高遠城で戦死。

 

・お江(おこう):
高遠城陥落の際に、向井佐平次を救い出した女性。真田家に仕える女忍び。甲賀忍びから武田家の伊那忍びに転籍した馬杉市蔵を父にもつ。壺谷又五郎の命で、向井佐平次の命を救うが、その後、父の仇をうちに、仇敵(猫田与助)を追って京都までたどり着く。そこで猫田らの忍びの宿を突き詰め、爆弾を投じるが、同時にまた、本能寺の変に遭遇。

 

・馬杉市蔵:
お江の父で、甲賀の豪族・山中大和守俊房のもとで甲賀忍び(=山中忍び)として仕えていたが、武田忍びの育成のために信玄がこれを雇い入れ、伊那へ赴く。その後、信長に傾く山中大和守の命で、武田から引き揚げるよう命じられたが、市蔵はこれを拒んで裏切ったため、殺される。

 

・猫田与助:
甲賀の山中忍びの一人。山中忍びから武田忍びに翻った馬杉市蔵を殺し、その氏族をも狙う忍びの者の一人。京都・室町でお江に跡をつけられ、忍びの宿に爆弾を投げ込まれる。

 

・新田庄左衛門:
甲賀の山中忍びの一人。猫田与助とともに、京都で忍びの宿に在留し、京の情勢をスパイ。

 

・壺谷又五郎
真田家の草の者(忍び)。もとは武田家の忍び(伊那の忍び)だったが、真田昌幸がもらいうけ、真田家に直属するように。お江の母とは縁戚があり、遠縁にあたる。

 

・堪五/姉山甚八/奥村弥五兵衛/小助:
いずれも武田忍びの者たち。いずれも又五郎の部下。堪五は、お江と佐平次が身を潜めていた権現山の忍びの小屋で負傷して息絶える。甚八は、又五郎とともに浜松の家康のもとにいる真田信尹(真田昌幸の弟)に、昌幸からの密書を届けに。その後、京都でお江と合流し、織田・徳川勢の動きを探る。弥五兵衛は、お江と佐平次の行方を探るために、甲斐に入り、お江より佐平次の身を託される。小助は、弥五兵衛より佐平次の身を預かり、別所の湯で湯治させる。

 

武田勝頼
武田信玄の四男。信玄亡き後の武田家の当主。織田信長の養女・由理姫を妻にしていたが、病死(息子に信勝がいる)。その後は、北条氏政実妹を妻として再婚。最後は織田信長に敗れ、天目山で信勝・北条夫人とともに自害(37歳)。

 

・松姫:
武田信玄の娘で、勝頼の妹。信玄存命時に、一度は織田信忠(信長の息子)と婚約するも、信玄亡き後、武田家と織田家が反目するようになってからは婚約破棄。その後、尼僧となり、勝頼に同伴したが、最後は逃げ切って<信松尼(しんしょうに)>と号し、生き永らえる。

 

・仁科五郎盛信:
武田信玄の五男、武田勝頼の異母弟。高遠城の城主。もともとは、信玄の弟(信廉)が城主だったが、信玄亡き後、叔父を嫌っていた勝頼によって、城主に据えられる。高遠城で織田信忠の軍に敗れ、討死。

 

・木曾義昌:
信濃の木曾谷を領有していた木曾氏の当主。木曾義仲以来、武田家の麾下にあったが、この義昌が織田信長に内応。武田勝頼の四女を妻にめとっていたため、勝頼の義弟になっていたが、反旗を翻したために、人質としてとられていた母や子を勝頼によって殺されている。武田家滅亡後の論功行賞で、信長から高く評価。


小山田信茂
武田勝頼の重臣。岩殿城(大月)の城主。新府城を後にする勝頼を岩殿城に招くも、急遽謀叛を起こし、勝頼を捕えようとする。のちにこれを知った信長の怒りを買い、殺される。

 

織田信忠
信長の長子。武田家征伐の際の、織田軍の総大将。高遠城→諏訪城→古府中(甲府)→新府城(韮崎)と、次々に武田家の拠点を攻略。生前に信長より家督を譲られるも、本能寺の変で自害(享年26歳)。父・信長と同様、首は見つかっていない。

 

・真田安房守昌幸:
真田幸隆の三男。兄は信綱・正輝。二人の兄を長篠の合戦(織田信長vs武田勝頼)で亡くし、真田家の当主に。沼津城・砥石城のほか、岩櫃城を居城とし、上州(群馬)を治める。祖父の代より、武田家に仕え、幼いころは人質として信玄のもとで奉公(幼名は源五郎、別名を武藤喜兵衛)。信玄亡き後は、勝頼に仕え、追いつめられた勝頼に岩櫃城への身寄せ・退去を勧めるも、(勝頼の重臣たちから織田・徳川に内通している嫌疑をかけられ)断られる。武田家滅亡後は、真田家の存亡をかけて、北条家(古くから交誼のある北条氏邦を頼って)・徳川家(弟の信尹を介して)・織田家(矢沢頼康を大使にして)との同盟に乗り出す。意には反するものの、信長に取り入るため、上州に下ってきた滝川一益に忠誠を尽くすべく、沼田城を開けわたす。父・幸隆のあとを継ぎ、真田家の間諜網の整備に注力。沼田城を攻略した際に、武田家が有する伊那の忍びを勝頼に請うてもらいうける。

 

真田幸隆
昌幸の父。武田信玄に仕え、信玄の意向で岩櫃城を攻め落とし、斎藤憲広(のりひろ)にかわって城主となる。斎藤憲広が上杉謙信を頼り、再び岩櫃城をとり戻したのち、度重なる連戦を重ね、争奪戦を繰り返した。信玄に敬服していたが、信玄の突然の病死にショックを受け、1週間食を断つ。信玄のあとを追うように、その翌年、病死(62歳)。信玄の影響を受け、真田家の間諜網を整備・拡張。

 

北条氏政
小田原を拠点として関東を席巻する北条家の当主。曽祖父に早雲、祖父は氏綱、父は氏康。北条家のなかでは最も才覚に欠ける人物。かつては、上杉謙信の関東進出を阻止すべく、実妹を勝頼の妻に入れて武田家と同盟していたが、信玄・謙信亡き後、徳川家康と同盟し、織田・徳川陣営につく。武田家征伐の際は、信長からの打診があったにもかかわらず、ギリギリまで出兵せず、大きな功績を残していない。長男は北条氏直、弟に北条氏邦真田昌幸とは古くから交誼あり)。

 

滝川一益
織田信長麾下の猛将で鉄砲の名手。武田家征伐において、織田信忠のもとで戦果をあげ、武田家滅亡後に、信長より上州一国と信州の一部(小県・佐久)を与えられる。小県は一部が真田家と重複するため、真田昌幸が麾下に入る。真田昌幸より沼田城を譲り受け、甥の滝川儀太夫益重を城代に置くが、岩櫃や砥石・真田などの旧領地については、そのまま真田昌幸に統治をまかせる。

 

・土屋惣蔵:
武田勝頼の最期(天目山)の家来。追跡してくる織田軍(滝川一益ら)と最後まで格闘し、討死。

 

・小畑亀之助:
土屋惣蔵同様、勝頼が最期を迎えるために、惣蔵とともに織田軍(滝川一益ら)と格闘。最後は勝頼らと自害。

 

・樋口下総守鑑久:
武田勝頼の侍臣で、勝頼とともに天目山で殉死。真田昌幸の妻(山手殿)の
妹(久野)を妻に迎えているため、真田昌幸義弟にあたる。

 

・樋口角兵衛政輝:
樋口下総守鑑久と久野(真田昌幸の妻の妹)の一子。幼い頃から強力無双。実は、真田昌幸と久野の子?

 

・矢沢但馬守頼康:
真田昌幸の従弟で、岩櫃城の城代。若名は、三十郎。信長の傘下に入るべく、(源三郎の提案で)真田昌幸から馬一匹を贈呈する役を承る。

 

・矢沢薩摩守頼綱:
矢沢頼康の父。真田幸隆の実弟で、昌幸の叔父。沼津城の城代。昌幸が次男・源二郎を溺愛するばかり、強引に手元に引き取り、8歳から12歳まで養育。のちに源三郎も12歳から引き取る。

 

・真田源三郎信幸:
真田昌幸の長男。母・山手殿に似てスマートな顔立ち、寡黙で落ち着きある性格。

 

・真田源二郎信繁:
真田昌幸の次男。のちの真田幸村。父・昌幸に似て老け顔、豪快で気さくな性格。別所の湯で向井佐平次を看止め、自身の側近にする。生来、勘が鋭く、幼年のころから予言めいたことをもらしていた。

 

・山手殿/久野
真田昌幸の正室とその妹。ともに京都の天皇の側近・今出川晴季(いまでがわ はるすえ)を父とし、その妾腹からうまれた姉妹。姉は美女、久野はぽっちゃり系。山手殿は、嫉妬深く、気位が高いため、昌幸との夫婦仲は悪化。

 

・真田隠岐守信尹(のぶただ):
真田昌幸のすぐ下の弟。信玄存命時に、甲斐の名家・加津野氏をつぎ、加津野市右衛門(かづの いちうえもん)を名乗るも、武田家滅亡後は、真田姓に戻り、ひそかに徳川家康と通じる。武田家亡き後、真田家の身の振り方にあたって、昌幸を説得し、家康を通じて信長の傘下に入らしむよう仲介する。

 

・徳川三郎信康:
家康がもっとも信頼し、将来を嘱望していた長男。元妻・築山殿との間に産まれた子。信長の娘・徳姫を妻にめとるも、その徳姫が信長に対し、築山殿と武田勝頼が通じ、夫・信康を引き入れて謀叛を企んでいると密告したため、家康に責任をとらせ、信康を自害させる(築山殿は離縁ののち、殺害)。

 

・築山殿:
家康の妻で、信康の生母。今川家の生まれ。気位が高く、こころ乱れがちの女で、信康を生んでからは家康との夫婦仲も冷め、別居。長男(信康)の嫁で、信長の娘でもある徳姫により、武田家と通じていることを密告され、家康によって離縁・殺害される。

 

酒井忠次
家康の重臣。信長に呼ばれ、築山殿・信康と武田家の謀叛について証言したが、その背景に、信康と反目していたという噂も。

 

・沼田万鬼斎:
上州・沼田城をおさめていた沼田氏の十二代当主。正室の子(沼田弥七郎朝憲)を謀殺し、妾腹(ゆのみ)の子(平八郎景義)を世継ぎに立てるも、旧臣や正室の実家の反撃にあい、沼田を追われる。

 

・沼田平八郎景義:
沼田万鬼斎と愛妾ゆのみの子。両親の死後、織田信長傘下で上州は金山の城主・由良国繁のもとに身を寄せ、信長の意向を受けて、由良とともに武田家より沼田城奪回を図る。かねてより豪勇の名を轟かせており、前哨戦でも真田昌幸に勝利。昌幸と壺谷又五郎の作戦で、祖父・金子新左衛門と旧臣・山名弥惣に利用され、沼田城にてあえなく謀殺。これで完全に沼田家の血筋が途絶える。

 

・金子新左衛門:
沼田万鬼斎の愛妾ゆみのの実父で、平八郎の祖父。ゆみのと一緒に万鬼斎をそそのかし、沼田家を滅亡に追い込む。沼田家滅亡後は、巧妙に立ち回り、真田昌幸の沼田城入城後にも、取り入って臣従。沼田平八郎・由良国繁による沼田城奪回の際に、真田昌幸に利用され、孫・平八郎らが謀殺される。

 

上杉謙信
越後の武将で、かつての武田家のライバル。信玄亡き後、武田勝頼の代になって、織田・徳川が台頭してくると、勝頼の意向で武田と同盟を結ぶも、49歳で急死。謙信亡き後は、景勝・景虎の二人の養子が相続争いをはじめ、景虎は自殺、景勝が家督を継ぐも、すでに昔日の威勢を失う。

 

穴山梅雪斎:
武田信玄の姉婿で、勝頼の伯父。早くから武田の命運に見切りをつけ、進言を聞き入れない勝頼にも愛想をつかし、主家と主人を裏切って家康のもとに身を寄せ、家康の甲州攻めの案内人を務める。信長には嫌われていたが、家康の取り計らいで信長と引見を果たすが、その直後、家康と京都に向かう途中、本能寺の変に巻き込まれ、百姓らによる落ち武者狩りに遭遇して死去。

 

・お徳:
真田家の鉄砲足軽・岡内喜六の妻。沼田平八郎との戦で夫を亡くし、その後、真田昌幸の「隠し女」となる。石女(うまずめ)で骨格が太く、ぽっちゃり女。

 

・明智日向守光秀:
美濃国斎藤道三の傘下にあったが、内紛で美濃を去り、越前の朝倉義景のもとに身を寄せる。ここで将軍家・足利義昭と縁あって、これを信長に引き合わせたことで、信長に起用されるように。学者肌で頭脳明晰だったため、信長のもとで重宝されるも、のちに冷遇を受け、信長の命で中国出兵に向けて兵備を整えるも、急遽、本能寺で信長に反旗を翻す。

 


【印象に残ったこと】

・武田家vs織田家の命運が決まったのは、長篠の合戦。信長はここで鉄砲を三千挺も駆使し、武田勝頼は大敗を喫した。


・信玄が居城としていた古府中(甲府)には、「御くつろげ所」という居間があって、その隣に「看経の間」(仏間)、さらにその奥に信玄専用の厠があった。その厠は十二畳もの広さをもつ便所で、朝晩二回必ず彼はここにこもり、思案を巡らせた。この厠には畳も敷いてあり、おそらく脇息・机・筆記用具などがあったはず。その厠の床下には忍びの者がいて、信玄はここで隠密の指令などを発していた。

 

・間諜活動は、かつてはその土地(あるいは周辺)のみで、家来たちがおこなっていたが、群雄が割拠する戦国時代になると、どこが大勢をとっていくのか・どこについていくのがよいのかを見極めることが必要になり、正規の軍隊とは別に、別の専門的な間諜網が重要視されるようになり、活動場所も諸国に広く拡大されていった。

 

武田勝頼は、偉大な父・信玄の威風をそのまま自分のものにしようと野心に燃えすぎて、無理な戦争を続けてしまった。民衆を省みず、忍びの者もさほど重要視しなかったため、せっかく信玄が培ってきた民衆からの信頼や忍びの者たちからの信頼すら失い、最後は重臣らにそっぽをむかれ、自害を遂げざるを得なかった。

 

・「関東の盟主」を名乗る北条氏政は、北条家の四代に渡る当主のなかで、一番ダメ当主。優柔不断で君主としての才覚に欠け、織田信長vs武田勝頼の戦いでは、信長側につくも、最後まで出兵を拒み、信長に嫌われていた。

 

明智光秀は、信長より才覚を買われていたが、中国・四国攻めにあたって、司令官のポストからはずされる。これが、光秀のプライドを大きく傷つけた一因に。

 

・忍びの者のなかには、忍術・武術といった闘争の技術に長じていなくても、頭脳的な探索にたずさわる者もいた。彼らは町民・僧侶・漁師などになりきって、長年敵中に潜入し、種々の情報をキャッチ・送信していた。

 

・忍びの術は、甲賀・伊賀が二大聖地とされているが、その他に数々の流派がある。そのうち、武田信玄が築いたのが伊那忍び」

 

豊臣秀吉の才能は、図々しいまでの頭脳・あけっぴろげな性格・目の色ひとつで人を見極める洞察力が挙げられる。彼はこれらを駆使して、立ち回りがうまかった。

 

・向井佐平次の息子・佐助は「草の者」として活躍。猿飛佐助のモデルとなった人物。

 

・『真田太平記』はもともと三年くらいの連載を予定していたが、いざ週刊朝日で連載が始まると、おわるまでに8年以上続いた。

 

物語は豊臣秀吉徳川家康という二大勢力のあいだにあって、信州の小さな領国を守る真田家の命運を基調にして雄大に繰り広げられていく。敵と味方に分かれることになった源三郎信幸(後の信之)と源二郎信繁(後の幸村)の兄弟は大阪冬の陣のあと再会するが、幸村は夏の陣で戦死、信之は徳川秀忠によって上田から松代へ移っていく。

 

・池波さんは、「時代小説」について次のように書いている。

 

<昔も今も、人間のあり方というものが、それほど違っていないことに気がつくと同時に、一つだけ大変に違っていることも出てくる。それは「死」に対する考え方である。昔の人々は「死」を考えぬときがなかった。いつでも「死」を考えている。それほど、世の中はすさまじい圧力をもって、(中略)あらゆる人間たちの頭上を押さえつけていたのである。現代でもしかり。人間ほど確実に「死」へ向かって進んでいるものはない。しかし、現代は「死」をおそれ「生」を讃美する時代である。そして「死」があればこそ「生」があるのだということを忘れてしまっている時代なのである。戦国の世の人たちは天下統一の平和をめざし、絶えず「生」と「死」の両方を見つめて生きている。そこにテーマが生まれてくる。=『新年の二つの別れ』・朝日新聞社刊>

 

これは、黒岩さんの古代小説も同じ。『斑鳩宮始末記』の解説で、同じようなことが書かれていた気がする。

 

ただ、”人間ほど確実に「死」へ向かって進んでいるものはない”というのは、ちょっと語弊があると思う。生きとし生けるものはみな、死に向かって確実に進んでいる。重要なのは、それを自覚しているか・認知できているかどうか。そういう意味では、人間がおそらく唯一できているのだろうけれど、実は動物だって本能的に死を察知できているかもしれないよね。

 

・また、解説には次のような表現もあった。

 

この『真田太平記』には、さまざまな生と死が描かれ、そこには権謀、怨念、忍従、忠誠、功名、愛憎など、人間が持つ性と業、欲望と本能の裏表があますところなく表白されている。

 

これは本書に限らず、時代小説の面白いところはここにあるといってもいい。言い換えると、時代小説なのに、この「人間臭さ」が描かれていない・偏りがあって足りないものは、読んでいてつまらないと思う。

 

・池波さんといえば、時代小説だけでなく、紀行文やグルメエッセイでも有名だが、解説者(重金敦之=常磐大学教授)によると、彼のこうした「人生のゆとりが、作品の深みと奥行きを生み出している」んだとか。

 

これって、「人生のゆとり」によるものなのか?「ゆとり」がなくても、人間観察力があれば、登場人物やシチュエーションに生命力・リアリティをもたらすことは可能だと思うけど…。ちょっと上手くかこつけすぎと思った。

 

 

■まとめ:

池波正太郎の長編歴史小説。いわゆる「忍者モノ」で、戦国~江戸時代にかけて、上・信州をおさめた真田一族の話。

・第一巻は、武田家滅亡(1582年3月)~本能寺の変(同年6月)まで。武田家に臣従していた真田家が、武田家滅亡ののち、一族の存続をかけて東奔西走するさまが描かれている。

・様々なツテ・諜報網(忍びの者)を使って、身の置き所を定めていく試行錯誤が面白く、読みだしたら止まらない。登場人物が多くて大変だが、信長が天下をとるまでの経緯や、武田家の興亡、信長と盟友・重臣たちの関係なんかもよくわかって面白かった。


■カテゴリー:

時代小説

 

■評価:

★★★★★

 

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