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真田太平記(2) ★★★★★

池波正太郎さん

真田太平記(二)秘密 (新潮文庫)

を読み終えました。

 

評価は、星5つです。

 

前巻に続き、

相変わらず面白かった!

 

▽内容:

天下統一を目前にした織田信長が本能寺に討たれたことから、諸雄は再びいろめきたつ。上・信二州に割拠する真田昌幸は、関東の北条、東海の徳川、越後の上杉と対峙しつつ、己れの命運を上田築城に賭けた。一方、昌幸の二人の子供、兄の源三郎信幸と弟の源二郎幸村、そして従兄弟の樋口角兵衛をめぐる真田家の複雑に入り組んだ血筋が、小国の行方に微妙な影を落としてゆく。

 

第二巻は、

本能寺の変(1582年6月)以後、

真田昌幸が家康に見切りをつけて、

旧敵・上杉景勝と停戦調停を結ぶ(1585年7月)ところまで。

 

主君として仕えていた武田家が滅亡したのち、

織田信長が天下統一に向けて着々と手を広げるなか、

真田昌幸もまた東にあって、

家康に取り入りつつ、

一方で信長に認めてもらおうと準備していましたが、

 

なんと、

本能寺の変で信長が討たれてしまいます。

 

ここで、

信長を頂点とするヒエラルキーはいっきに崩れ、

天下は秀吉vs家康の覇権争いに。

 

東国でも、

徳川・北条・上杉・そして真田のあいだで

再び凌ぎ合いが多発し、

 

真田昌幸は、

家康に取り入って同盟状態を継続させるも、

北条から家康へ横槍が入ったことによって、

真田家がおさえていた「沼田」をめぐり、

徳川・北条と対立することに。

 

そこで彼は、

武田時代からの敵でもあった上杉(景勝)に助けを請います。

「援軍は出さなくてもいいから、せめて何もせず見守っていてくれ」

──と。

 

相変わらず混乱を極める戦国時代のまっただ中にあって、

上州・信州における基盤を守らんと画策する真田家(昌幸)が、

一巻に続いて、

「忍びの者」を駆使して世の趨勢を見極め、

諸侯と渡り歩いていくさまが描かれています。

 

その中で、

長年の夢でもあった上田城を築城し、

真田家の財政基盤をより強化したり、

 

一方で、

昌幸の子供たち(源三郎信幸/源二郎信繁幸村や娘の於国/御菊、そして甥である樋口角兵衛)をめぐって、

彼らの血縁に関する秘密が明かされていきます。

 

天下の動向いかに?!というマクロな動きと、

真田家のなかでうごめくミクロな動き(秘密)がクロスし、

物語にいっそう厚みが増していくので、

もう目が離せません!

 

いやー、

おもしろいね。

 

以下、備忘録がてら、

登場人物とレビューのメモになります。

 

※第一巻のレビューはこちら

【登場人物】

・向井佐平次:
武田家側の一兵卒として仕えていたが、高遠城の落城で一命をとりとめ、その後、源二郎幸村に拾われ、主従関係に。真田の忍びの者の娘である「もよ」と結ばれ、佐助をもうける。

 

・もよ:
真田家に仕える草の者(赤井喜六)の娘。父の死後、岩櫃城に引き取られ、真田源二郎や家臣らの身の回りの世話にあたっていた。その後、砥石へ移る。向井佐平次と結婚し、佐助を産む。

 

・お徳:
真田家に仕えていた足軽(岡内喜六)の元妻だったが、その後、真田昌幸の側室となる。懐妊がわかってから、正室(山手殿)や樋口角兵衛らに命を狙われるが、真田源二郎幸村に見守られながら、名胡桃城の鈴木主水に預けられ、無事、娘(於菊)を産む。

 

清水宗治
信長存命時に、中国平定に遠征中の秀吉が落とさんと攻め続けていた毛利勢の一家臣で、高松の城主。信長が本能寺の変で討死するも、その情報を知らず、秀吉に城中の人間の命と引き換えに自らの切腹を申し出、死去。高松城は秀吉の手に落ち、秀吉は城中の遺臣らを毛利側に送り返して、休戦状態に持ち込む。同時に中国地方の一部を織田側に譲り渡すという条件をつけて講和が成立。

 

・明智日向守光秀:
信長の重臣だったが、謀叛を起こして本能寺で信長を討ち取る。天下再建に向けて諸侯や朝廷へ協力を呼びかけ、一時は安土城を占拠するも、協力が得られず、また秀吉のスピード帰還で猛攻にあい、山崎の合戦であえなく敗退。本拠の近江・坂本城へ落ちのびる途中、小栗栖の竹藪で土民らに殺された(と言われている)。

 

穴山梅雪斎:
武田勝頼の伯父で武田家の一員だったが、武田を裏切り、家康に取り入って、家康の甲州攻めの案内人を務める。家康とともに上京していたが、本能寺の変で明智勢の追撃を避けて逃避行していたところ、伊賀の山中で土民らによって殺害される(家康は命からがら逃げきることができた)。

 

細川藤孝・忠興:
明智光秀の親友。忠興は藤孝の子どもで、光秀の娘(玉子=のちの細川ガラシャ夫人)を正室に迎えている。本能寺の変以降、光秀に味方せず、これを見送る。

 

筒井順慶
大和郡山を領有する武将。明智光秀の友人で、光秀とは縁戚関係にもあり(光秀の妻の妹を正室に迎えている)、光秀の口利きで信長の後ろ盾を得られることになり、大和における所領を守ったが、山崎の合戦では再三の要請にもかかわらず光秀側に出兵することを最後まで見送る。山崎の合戦後は、秀吉側につき、臣従。

 

足利義昭
室町第15代将軍。一時は光秀を側近として仕えさせていたため、光秀の口利きで信長の庇護を受けるも、その後、信長によって京都から追放される。中国の毛利を頼り、信長打倒を画策。光秀は、この足利義昭の線を頼りに、毛利勢の加勢を当てにしていたが、これらを待たずして滅び去る。賤ヶ岳の戦いで、秀吉が織田譜代派(柴田勝家滝川一益)と対立するようになると、柴田勝家らに肩入れし、足利将軍家と毛利家の再興を狙って毛利輝元を動かそうとそそのかすが、毛利はこれに乗らず。

 

北条氏直
北条氏政の長男。小田原を拠点に関東の領地拡大に息巻く。本能寺の変のあと、上州へ進出、神流川の戦い滝川一益を追いやってこれを占拠。続いて、東信濃に入り上杉景勝と対立、真田昌幸はいったんここで北条側に与し、上杉軍を駆逐。昌幸の力量を買う一方で、脅威にも感じており、徳川家康と休戦・同盟を申し入れる。甲斐を家康に譲るかわりに、上州・沼田の領有を主張。真田家の上・信州における基盤拡大(上田城築城や沼田への定着)を阻止せんと図るも、真田昌幸は築城を強行。真田と対立するようになる。

 

・督姫:
徳川家康の娘。徳川・北条の同盟締結において、北条氏直に嫁ぐ。

 

滝川一益
織田信長傘下の武将。信長亡き後、上州から撤退し、本国の伊勢・長島に戻る。信長亡き後の清州会議では、柴田勝家に同盟し織田信孝を跡継ぎに据え、秀吉と対立。秀吉の天下横取りを阻止する織田譜代派の中で、作戦参謀としての役割を果たす。柴田勝家が冬の積雪で越前にこもっている間、秀吉軍に伊勢に攻め入られるが、柴田勝家の死後、秀吉に降伏。越前・大野へ引退し、三年後に死去。

 

真田昌幸
本能寺の変ののち、滝川一益から沼田城(城代は甥の滝川義太夫益重)を奪回し、再び矢沢頼綱(昌幸の叔父)を城代に置く。信長亡き後、領有する上・信州を、徳川/北条/上杉から守らんと奔走。一時は徳川・北条に与し、上杉と敵対するも、沼田をめぐって今度は徳川・北条と対立。上杉と停戦。第二巻では、念願の上田城を築き、彼の子供たちの出自に関わるヒミツが、次々と明らかになっていく。

 

村上義清
かつて武田信玄真田幸隆を悩ませた北信濃の武将。砥石城を築いた。真田幸隆の謀略で、村上の家臣の内応があり、砥石城は真田家に渡る。その子・村上影国は上杉景勝に従属し、(信長存命中に、この地を与えられた森長可を追い出して)信州:川中島海津城の城代をつとめる。

 

柴田勝家
織田信長の筆頭の老臣で、越前の国主。信長亡き後、清州会議では三男の信孝を跡継ぎとして主張、彼を支える。信長の妹で浅井長政の未亡人・お市の方を娶り、織田家との血縁を得る。秀吉より近江・長浜城をもらいうけ、養子の勝豊におさめさせるが、その後、すぐに長浜が秀吉の手に落ちる。また、上州より引き上げてきた滝川一益越中の佐々木成政を味方に引き入れ、信孝勢を強化。賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前に戻るも、最後は北の庄の城に火を放って自害。

 

・柴田勝豊:
柴田勝家の養子。勝家が秀吉から貰い受けた近江・長浜城に城代として入る。勝家が佐久間勝敏(勝家の甥)・佐久間盛政(勝敏の兄)を重宝したため、柴田家で冷遇されていたところを、秀吉がうまく利用。すぐに柴田家を離れ、秀吉側に寝返り、長浜城を明け渡す。1583年の柴田vs秀吉の戦闘には加わらず、京との東福寺で病没。

 

・佐久間盛政:
柴田勝家の甥。弟の佐久間勝敏は、勝家の養子に入る。近江・長浜城の城代として入城するはずだったが、秀吉によって柴田勝豊(同じく勝家の養子)が城代に据えられる。賤ヶ岳の戦いで、秀吉が戦線を離れ、岐阜入りした隙に秀吉軍に攻め入り、中川清秀を急襲、これを討ち取る。のちに秀吉に敗れ、処刑される。

 

織田信雄
織田信長の次男。信長亡き後は尾張を占有し、清州城主となる。異母弟の織田信孝と反目していたため、信孝&譜代派(柴田勝家滝川一益)に対抗して、一時は秀吉側に付くも、賤ヶ岳の合戦で秀吉と柴田勝家が対峙するあいだに秀吉から離反。信孝&柴田勝家らの死後、三法師をかついで信長の跡をつがんとする秀吉と対立し、家康を頼みとする。小牧山の戦いや長久手の戦いで秀吉軍に快勝したのち、本国を秀吉に攻撃され、伊勢に戻る。その後、(家康に相談もせず)秀吉の和議申し入れに応じる。

 

織田信孝
織田信長の三男。信長亡き後の清州会議では、柴田勝家の庇護のもと、織田家の跡継ぎに立候補し、秀吉と対立。美濃(岐阜城)を占有。信雄の異母弟にあたり、妾腹の子であったことから、昔から兄(信雄)とは不仲。柴田勝家の死後、一時は秀吉に降伏するも、信雄の命で岐阜城を明け渡し、割腹自殺。

 

・三法師:
織田信長の長男・信忠の遺子。信長の孫。信長が死んだとき、三歳。清州会議で、秀吉にかつがれ、織田家の跡継ぎに指名される。秀吉は、三法師をかつぐことで、自分がその替わりになって天下統一の役目を果たそうと企む。

 

丹羽長秀
織田信長の重臣。信長亡き後は、秀吉に味方。

 

お市
信長の妹で、政略結婚により浅井長政に嫁ぐも、浅井家が信長によって滅ぼされてからは、清州に戻る。その後、三男・信孝のはからいで柴田勝家と再婚。

 

羽柴秀勝
織田信長の四男。秀吉が養子に貰い受ける。信長亡き後は、丹波を譲り受け、領有。

 

羽柴秀長
秀吉の異父弟。賤ヶ岳の戦いに参加し、秀吉とともに柴田勝家に勝利。徳川vs秀吉の戦で、徳川側についた長宗我部元親を討つべく、四国平定の総司令官に任命される。

 

・岡田重孝/津川義冬/浅井長時/滝川三郎兵衛:
織田信雄の重臣。秀吉に懐柔され、秀吉と密かに通じていたことから、滝川三郎兵衛がこれを織田信雄に密告、他の三老臣は信雄によって討ち取られる。

 

森長可(ながよし)/堀秀政
森長可は美濃城、堀秀政彦根城の城主。いずれも故・織田信長の旗下にあった武将。家康&信雄vs秀吉の戦いでは、家康らの呼びかけに反し、秀吉につく。長久手の戦いで森長可は戦死、長可の三人の弟に長定(蘭丸)・長隆・長氏がいるが、いずれも本能寺の変で殉死している。

 

佐々成政/長宗我部元親
佐々成政は、柴田勝家の与力で、富山城主。長宗我部元親は、四国を領有する武将。家康&信雄の呼びかけに呼応し、秀吉に反旗を翻すも、織田信雄の勝手な和議調停により、出鼻をくじかれる。のちに、佐々成政は秀吉に降伏、その傘下におさまる。

 

池田恒興
故・信長の乳母の子で、信長の宿老四人(勝家・秀吉・長秀)の一人とされるが、思慮浅く、短絡的。秀吉の圧力に屈し、信雄ではなく秀吉について、信雄勢の配下にある犬山城を攻め落とす。小牧山に陣取る信雄・家康勢を尻目に、三河岡崎城)を急襲しようとしたところ、岩崎城で丹羽氏重にあおられ、岩崎城攻めに着手。ここで家康・信雄の追撃軍に襲われ、長久手の戦いで戦死。

 

池田輝政
池田恒興の二男。兄で長男の池田元助は、父・恒興とともに、長久手の戦いで戦死。輝政は脱出して生き永らえ、後年、秀吉から重用される。

 

榊原康政
徳川家康の家臣。小牧山に急行・陣取り、秀吉と対立。以後の戦局を大きくリード。家康が岡崎城に戻ったあとも小牧山の本陣を守る。

 

・丹羽氏次(兄)/氏重(弟):
徳川勢の武将。兄・氏次は小牧へ出陣、弟・氏重は三河の岩崎城を守る。岡崎に攻め入らんとする池田恒興ら羽柴勢をあおり、戦に持ち込むも、討死。

 

酒井忠次/本多忠勝
家康の重臣。家康・信雄にかわり、小牧山を守る。本多忠勝は、長久手の援護に駆け付けようとする秀吉の大軍をとどめようと、小勢で果敢に秀吉に挑む。のちに、忠勝の娘を真田源三郎信幸が妻に迎える。

 

・三好秀次:
秀吉の甥。父は三好吉房で母が秀吉の姉。池田恒興について三河に攻め入るも、家康&信雄の追撃軍に蹴散らされ、命からがら帰還。のちに子に恵まれない秀吉の嗣子となり、関白職に就く。

 

・富田知信/津田信勝:
秀吉の家臣。津田信勝は、織田家の一族だったが、故信長の怒りにふれて信長のもとを離れ、家康→秀吉の庇護を受ける。家康の戦略戦術を秀吉に教授していたと言われる。

 

上杉景勝
上杉謙信の養子。父・上杉政景は、上杉謙信の従兄にあたる。同じく北条家から迎えられた養子に上杉景虎がいるが、家督争いで景虎に勝ち、景勝が上杉家の当主となる。武田信玄織田信長亡き後、川中島へ出兵し、森長可を追い払って海津城を手に入れると、東信濃へ侵攻、同じく東信濃を狙う北条氏政・氏直父子と対立。いったん北条側についた真田昌幸とは、何度も小競り合いを続ける。徳川vs秀吉の戦では、秀吉側につく。

 

・羽尾源六郎:
丸岩城をおさめていた羽尾幸全(ゆきまさ)の遺子。しばらく真田家と同盟関係にあったが、上杉景勝の援助を受けて丸岩城に攻め入り、ここを奪回。上杉軍の先鋒として、中棚の戦いで真田家がおさめる岩櫃城に攻め入るも、源三郎信幸による見事な返り討ちにあって丸岩に退去。その後、兵の脱走や、上杉景勝の援助が追い付かず、完全に孤立するが、上杉景勝真田昌幸の停戦調停によって、景勝のもと(春日山)に戻ることが叶う。


・樋口角兵衛政輝:

樋口下総守鑑久と久野(真田昌幸の妻の妹)の一子。幼い頃から強力無双。実は、真田昌幸と久野の子。真田源三郎を信奉し、真田家で重宝される源二郎幸村を疎むように。また、懐妊したお徳を殺害しようと企むも、源二郎幸村に阻まれる。その後、失踪し、源二郎を襲うも、再び行方をくらます。

 

・矢沢但馬守頼康(三十郎):
真田昌幸の従弟で、岩櫃城の城代。真田昌幸上田城築城の許可を仰ぐべく、浜松(家康)に赴くも、築城の許可が下りず、岩櫃に戻る。

 

・矢沢薩摩守頼綱:
矢沢頼康の父。真田幸隆の実弟で、昌幸の叔父。沼津城の城代。

 

・真田源三郎信幸:
真田昌幸の山手殿との間の長男。第二巻では、母とともに岩櫃に居住。矢沢頼康が浜松にあって不在の際、羽尾源六郎との対立で、頼康にかわって岩櫃を守る。頼康帰着後は、中棚の砦の救済にあたり、羽尾勢を追い払う。

 

・真田源二郎信繁:
真田昌幸の次男。のちの真田幸村。源三郎より一つ年下とされるが、実は同い年(?)。妾腹の子とされる。真田家のなかでは、お徳の警護や角兵衛の拿捕に尽力。外では、小県の平定にあたり、丸子城(丸子三左衛門)攻めで初陣を果たす。第二巻では、ほとんど砥石に居住。

 

・於国(村松どの):
真田昌幸の長女で、源三郎・源二郎兄弟の姉。小山田壱岐守茂誠(しげまさ)に嫁ぐ。武田家滅亡の際に、真田家に送り返され、のちに同じく真田家に身を寄せた夫とともに、小県の村松にて余生を送る。

 

・小山田壱岐守茂誠(しげまさ):
武田家に仕えた小山田備中守昌辰の子。信州・内山城を守っていたが、主君・武田勝頼と生死を共にしようと甲斐入りしたが、勝頼自害と聞いて、真田昌幸のもとに身を寄せる。のちに、昌幸より小県郡の「村松」というところを領地として与えられたため、妻であり昌幸の長女である「御国」は、「村松どの」と呼ばれるように。

 

・池田長門守綱重:
砥石城の旧城代で、真田昌幸に仕える家臣の一人。

 

・山手殿:
真田昌幸の正室で、源三郎信幸の母。昌幸と山手殿の結婚は、武田信玄の主命によるものだったため、昌幸とは深く結ばれていない。気位が高く、嫉妬深いため、懐妊したお徳を密かに殺そうと企むも、失敗。

 

・久野:
山手殿の妹で、樋口角兵衛の母。真田昌幸と情を交わしており、角兵衛は実は昌幸と久野の子(?)。

 

・真田隠岐守信尹(のぶただ):
真田昌幸のすぐ下の弟。信玄存命時に、甲斐の名家・加津野氏をつぎ、加津野市右衛門(かづの いちうえもん)を名乗り、徳川家康と通じる。徳川勢の動きを密かに真田昌幸へ伝える。

 

・福場八郎左衛門:
真田の出城である中棚の砦を守っていた武将。上杉勢の羽尾源六郎の急襲に気づかず、警戒を怠った責任をとって自害。かわりに、真田源三郎のもとで兵を率いた高森藤兵衛が着任。

 

・お江(おこう):
真田の庄の草の者(忍者)の一人。第二巻では、京都における信長急死や、浜松に赴いて家康の動向を探る矢沢頼康の伝言などを、真田昌幸に知らせる。また、真田源二郎幸村を樋口角兵衛の急襲から守り、別所の湯で源二郎に初めて女性を教える。

 

・壺谷又五郎
真田家の草の者(忍び)。真田の草の者を統括する責任者。

 

・姉山甚八/奥村弥五兵衛:
いずれも又五郎の部下で、第二巻では大阪や浜松に入り、秀吉や家康の動向をスパイして真田家に報告。

 

・山田弥助:
真田の忍びの者の一人。お徳のそばに仕えると同時に、山手殿にも通じる。これが真田源二郎にバレ、切り捨てられる。

 

・平左:
下忍びと呼ばれる忍びの者の末端の一人。山田弥助のもとで、山手殿との伝達係をつとめる。

 

・鞍掛八郎:
砥石の居館に詰めている草の者の一人。真田源二郎とともに、懐妊中のお徳を、樋口角兵衛や山手殿の密命を受けた山田弥助から守る。その後、源二郎の密命で、失踪した角兵衛の追跡にあたる。

 

・才助:
鞍掛八郎に仕える下忍び。八郎の命で、樋口角兵衛の消息を追っていたが、角兵衛に撲殺される。

 

・間野兵介:
真田の忍びの者で、沼田に詰めている一人。沼田城代・矢沢頼綱の命を受け、砥石から名胡桃に向かうお徳一行を護衛。

 

・鈴木主水:
もともと沼田氏の家臣だったが、沼田家の内紛後、上杉謙信のもとで、名胡桃城の城代を務める。謙信の死後、旧沼田領を真田昌幸が奪うが、その後、沼田平八郎がこれを奪い返さんと攻め込む。名胡桃城をおさめていた鈴木主水は、このときの沼田氏の呼びかけには答えず、そのまま真田昌幸に従属したため、真田家との信頼を深める。

 

・鈴木小太郎忠重:
鈴木主水とその妻・栄子の愛息。他にも数人の子供がいたが、すべて早くして病死し、小太郎だけ生き残る。母・栄子の血を受けて、幼少時より病弱・色白だったが、85歳の長寿をまっとう。

 

・栄子:
鈴木主水の妻で、上州・中山城主:中山安芸守の娘。実家の中山城は北条家に奪われる。

 

・中山九兵衛実光:
栄子の実弟で、鈴木主水の義弟。中山城にいたが、北条家に攻め入られ、名胡桃城に身を寄せる。

 

・諸田頼母(たのも):
鈴木主水の重臣。

 

・依田康国:
依田信蕃(のぶしげ)の長男。武田家滅亡後の、信州・小諸城の城代。徳川家康の旗下。信長の死後、ここを与えられた滝川一益が兵をひきいて去ったため、一時北条軍の手におちるが、その後、徳川勢の依田信蕃が北条勢を追い払い、入城。

 

・長野業政:
上州・箕輪城の城主。上杉謙信旗下の武将として、武田勢と攻防を繰り返す。業政の病没後、箕輪城は武田軍の手におちるが、武田家滅亡後は、滝川一益がこれをおさめる。信長の死後、滝川一益の退去にともない、北条氏堯(うじたか)が箕輪城を落とす。

 

北条氏堯(うじたか):
北条氏康の六男、氏政の弟で、氏直の叔父。武田家滅亡後、箕輪城の城主となる。

 

・大滝伍平:
向井佐平次のように、真田源二郎に仕える側近の一人。

 

【印象に残ったこと】

・信長亡き後、すんなり秀吉がその後継者の地位についたのかと思っていたが、実際はすったもんだが繰り広げられていた。信長の二男・信雄、三男・信孝、孫(長子・信忠の遺子)三法師など。そして、存命中に秀吉と家康が実際に刃を交えていたのも知らなかった(長久手の戦い・小牧の戦い)。長久手の戦いでは、家康の鉄砲隊が大活躍。

 

信雄=家康

長久手の戦いで秀吉に勝ち、小牧の戦いで決着がつかず、秀吉と単独和睦(信雄のみ)

 

信孝=譜代派(柴田勝家滝川一益

賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、消滅

 

三法師=秀吉

長久手の戦いで家康に敗れ、小牧の戦いで決着がつかず、信雄と和睦(家康とは対立)

 

真田昌幸が嫡男の源三郎信幸を冷遇していたのは、そもそも正室で源三郎の母である山手殿に愛情を交えていなかったから(武田信玄の命で、しぶしぶ結婚したから)。昌幸は山手殿の殺害すら企んでいた。そして、昌幸は相当な”好き者”であり、長女で源三郎・源二郎の姉にあたる御国(村松どの)も正室以外の女性に産ませているし、源二郎や御菊(お徳の娘)もまた妾腹の子だった。源二郎は、真田昌幸の二男で、源三郎信幸の一つ年下の弟とされているが、実は同い年。

 

柴田勝家は老齢で、古くから信長に重用されていたため、秀吉の抜擢を快く思っていなかったため、信長の後継者を決める清州会議や、賤ヶ岳の戦いで、実際に秀吉と対立することになったが、身内(柴田勝豊=勝家の養子)の不満に気づくことができず、裏切りにあって、結局、秀吉に敗れた。

 

・信長の二男(信雄)と三男(信孝)は、もともと母親が異なり、それもあって仲が悪かった。

 

・信長の死後、真田昌幸は、滝川一益を沼田から追い出し、一時は北条と同盟して上杉を駆逐、家康にも取り入っていたが、家康vs秀吉の対立があらわになると、家康と手切れして徳川・北条を敵にまわす。その際、今度は上杉景勝に停戦調停を申し入れ、春日山に呼び出されたが、景勝の深い配慮で人質をとられることもなく調停が成立。とはいえ、その後、柴田勝家に味方して秀吉と戦った滝川一益については、(上州から追い払ったとはいえ)たびたび使者を送って引退後も懇意にしていた。

 

・昌幸は性格的には、(信長や家康より)秀吉とウマが一番あうと考えていた。

 

・信長の死後、秀吉が明智光秀を討って中央へ躍り出る一方、家康は東の席巻に注力。なかでも甲斐の地盤強化に傾注した。

 

家康は、旧武田の家臣たちを手厚く迎え入れ、これを原動力にして甲州調略に立ち向かい、大きな収穫を得たのであった。

 

また、そのために家康は、東の基盤を安定すべく、北条と真田に二枚舌を使っていた。北条には(真田の)沼田をあげるから同盟を続けよう・だから三河に攻め入ったりしないでね…、真田には上田築城を認めよう・だから北条を牽制しておいてね…というふうに。そういう意味では、真田昌幸は家康を狡猾な男とみていた。

 

・兵をめぐらす速さでは随一だった秀吉も、小牧・長久手における家康の布陣や戦法には舌を巻いた。結果として、家康に軍配があがる。そして、家康は、諜報網をうまく活用して先読みすることに長けていた長久手の戦い以降、秀吉が迂闊に家康に戦を仕掛けることができなくなったのは、家康の迅速果敢な動きや戦闘力を見直したから。

 

武田家がほろびたのち、その下につかえていた忍びたちの一部が、徳川家へ吸収されているらしい。考えて見れば、家康の庇護をうけている武田の遺臣も、すくなくないのだから、それも当然といえよう。

 

・家康は、背中(脊髄?)に腫瘍ができ、一時、死亡説が流れたが、ひそかに招かれた中国人によって息を吹き返した(という噂もある)。

 

・源三郎信幸は樋口角兵衛を大きく買い、また角兵衛も彼を慕っていたが、源二郎幸村はその怪力さと短絡的すぎる角兵衛の特徴を危惧、忌み嫌い、両者は互いに憎みあう。

真田昌幸上田城を築いた目的は、防衛上の理由もあるが、城下町をひらき財政基盤を一層強化するため。上田は「ひろびろとした台地に築かれた平城」で、温かく住みやすい。そうした地の利を利用して、経済発展を目論み、国防費を賄おうとした。

 

近年は〔鉄砲〕という火器が、戦闘には「欠くべかざるもの」となってきて、この最新兵器を購うためには莫大な費用がかかる。日本の戦争も政治も、中央へしぼられてきてスケールが大きくなり、中央のくわしい情報が、どうしても必要になってくる。真田昌幸が、故主・武田信玄を見ならい、草の者を中心とする情報網をととのえるための費用も、「一戦も二戦もできる…」ほどに大きいのだ。だから、どうしても財力がなくては、「生き残れぬ…」のである。城のまわりに町をひらき、商工業を発展させ、領内の耕地を増やして収穫をはかる。それでなくては、もはや大名・武将の存続はないといってよい。

 

・上記もその一例に該当するが、ところどころに作者の分析が入っていて、それがまた「ナルホドなぁ」と納得できるから面白い。

 

戦国の大名や武将たちは、その生国と、その領国の如何によって、おのれの力量を左右される。武田信玄上杉謙信ほどの英傑が、天下人たるべき器量と実力をそなえていながら、ついに、ちからつきて、若い織田信長の独走をゆるしたのは、日本の首都(京都)への最短距離に信長いたからであった。このように、風土は、国と人とに強い影響をあたえずにはおかぬ。

 

また、その場所を実際に歩いた作者の感想や幼少時の記憶などが作中に入るのも、この作品の特徴。そのときは、いっきに現代に時間が戻されるから、歴史小説として珍しいケースだと思う(でも決してイヤじゃない)。

 

 

■まとめ:

・第二巻は、本能寺の変(1582年6月)以後、真田昌幸が家康に見切りをつけて、旧敵・上杉景勝と停戦調停を結ぶ(1585年7月)ところまで。信長亡きあとも、混乱を極める戦国時代のまっただ中にあって、上・信州における基盤を守らんと画策する真田家(昌幸)が、一巻に続き、「忍びの者」を駆使して世の趨勢を見極め、諸侯と渡り歩いていくさまが描かれている。一方で、真田家の子供たちをめぐって、彼らの血縁に関する秘密が明かされていく。

・天下の動向いかに?!というマクロな動きと、真田家のなかでうごめくミクロな動き(秘密)がクロスし、物語にいっそう厚みが増していくため、目が離せない。

・作者独自の分析がいちいち納得で感心してしまったり、ところどころに、作者が実際にその町を歩いた感想や幼少時の思い出などが挿入されているので、突然、時間が元に戻されて(歴史小説としてはなんだかレアなケースで)面白い。


■カテゴリー:

歴史小説 

 

■評価:

★★★★★


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