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あん ★★★★☆

 

ドリアン助川さん

あん

を読みました。

 

([と]1-2)あん (ポプラ文庫)

 

評価は、星4つです。

(厳密には、3.5くらい)

 

映画の予告だか番宣だかで、

樹木希林さんが出演されていたのをチラッと見たことがありましたが、

まさか作者がドリアン助川だとは!

 

ドリアン助川といえば、

若かりし青春時代に、

ラジオの深夜放送で何度お世話になったことか。

 

たしか、

正義のラジオ、ジャン・バルジャン

とかいう番組だったかと思いますが、

まぁその内容が、

重い重い…。

 

世の中には、

自分以外にも、

こうも深刻な悩みを抱えている中高生がいるのかと、

勝手にシンパシーを感じ、

それに対するドリアンの励ましや助言に、

勝手に助けられたものです。

 

いまみたいに、

インターネットがまだ普及していない時代だったので、

縁もゆかりもない同世代の人たちの悩みを、

こんなにリアルに知る手段もあまりありませんでした。

 

自分のように、

家族が寝静まったころ、

暗い部屋のなかで布団にくるまって、

ラジオから流れてくるこれまた暗いドリアンの声に、

耳をそばだてていた人は結構いるんじゃないでしょうか。

 

きっとテレビでも、

そういう(中高生の)お悩み相談的な番組はあったと思いますが、

テレビって家族がいる場所に置いていることが多いので、

なかなか真剣に視聴できない。

 

それに対して、

当時ラジオはパーソナライズされていました。

 

もちろん、

雑誌や書籍なども、

家族に知られず読めたりしましたが、

 

ラジオには、

あの言葉と言葉をつなぐまでの間や、

相談者の涙をすする音、

果てはドリアンの涙声なんかもあって、

そこには絶対、

紙面では触れることのできないリアリティーがあり、

我々はそのリアリティーに心を動かされていたわけです。

 

ドリアン助川といえば、

私はこのラジオ番組くらいしか知らなかったんですが、

本業は作家やミュージシャンのようで、

いまはNYに拠点を移して創作活動をおこなっているそうです。

 

あん』は、

そんなドリアンさんが2013年に上梓したヒューマン小説で、

テーマは「生きるとは?」です。

 

生きていると、

ひどく疲れたり、

すべてがイヤになることが往々にしてあって、

 

そんなときに誰でも一度は、

「こんな自分、生きている意味あるのか?」とか、

「なんで生まれてきちゃったんだろう?」とか、

 

それはもう、

ひどく後ろ向きな気持ちになることがあって、

 

その答えを見つけ出そうと

正面から向き合うこともあれば、

それすら考えるのが面倒で、

いつしか日常に忙殺され、

考えることを忘れたりします。

 

どうして生きるのか。

そこに何か意味はあるのか。

なぜ生まれてきたのか。

 

この小説もまた、

登場人物たちのふれあいや生き様を通じて、

この永遠のテーマを問いかけてくるわけですが、

 

この小説が示す答えは、

結論からいうと、

「生きてるだけで、まるもうけ」

です。

 

これに尽きると思います。

 

軽くオチを言っちゃいましたが、

物語をとおして、

この結論に共感できるかどうかが、

本書に対する評価につながるかと思います。

 

自分は、

そういう意味で星3.5でした。

 

わかりやすく5段階評価を言葉にすると、

下記3と4の中間くらいですかね。

 

5:めちゃくちゃ共感できる

4:わりと共感できる

3:どちらでもない

2:あまり共感できない

1:まったく共感できない

 

これも言葉になおすと、

まぁまぁ共感できる」くらいになるのかなと。

 

詳細は、のちほど。

 

▽内容:

町の小さなどら焼き店に働き口を求めてやってきたのは、徳江という名の高齢の女性だった。徳江のつくる「あん」は評判になり、店は繁盛するのだが…。壮絶な人生を経てきた徳江が、未来ある者たちに伝えようとした「生きる意味」とはなにか。深い余韻が残る、現代の名作。

 

登場人物は、

おもに以下の5人です。

 

・千太郎:

若い頃に怠惰な生き方をしてきて、借金を背負い、麻薬取引にも手を出して、監獄生活を送る。出所したのち、かつて知己でもあった大将のもとで、どら焼き屋に勤めるように。このとき、借金の面倒をみてもらったため、大将の急逝後も、その返済のため、どら焼き屋の店主を続ける。監獄生活時代に、母が急死し、父にもその後、何十年も会っていない。

 

・徳江:

ハンセン病を患い14歳から強制隔離され、外部と完全に仕切られた塀の中(=療養所)で人生の大半を過ごす。病気は寛解したが、後遺症により、顔や指に奇形が残る。療養所時代に菓子職人だった夫とめぐり逢い、製菓の技術をおぼえ、製菓部を立ち上げる。

 

・ワカナ:

どらやき屋に通う女子中学生。両親が離婚し、母子家庭に。

 

・森山さん:

徳江と同じ療養所で、苦楽を共にしてきた仲間。徳江とともに、製菓部のメンバーだった。

 

・奥さん:

千太郎が店主を務める、どらやき屋の経営者。大将(=夫)が亡くなったあと、経営を継ぐ。

 

この小説、

文字も大きいし、

平易な文章でつづられているので、

非常に読みやすいのですが、

 

その読みやすさに貢献しているのが、

登場人物の少なさ。

 

いいですねー。

私は好きです、こういうの。

 

ミステリーや歴史小説ではありがちですけど、

もう多すぎると、

何がなんだかわからなくなる。。。

 

ミステリーにおいては、

それがテクニックというケースもありますが、

そりゃあ複雑にしたら、

謎が解けにくくなるに決まってるじゃん!

と難癖の1つもつけたくなるほうです。

 

その点で、

内容はさておき、

本嫌いな人でもさくっと読めるのが本書の良い所です。

 

実際、

自分も数時間で読み終えてしまいました。

 

さて、

物語はおもに、

どら焼きやの店長である「千太郎」と

ハンセン病を患ってきた「徳江ばあちゃん」と

親が離婚して心に傷を負っている「ワカナちゃん」の三人が、

互いに異なる〈負のバックグラウンド〉をもち、

それを支え合って乗り越えていく話です。

 

〈負のバックグラウンド〉とは?

 

たとえば千太郎であれば、

これまでまともな生き方をして来ず、

そのせいで親の死に目にも会えず、

今、働いているどら焼き屋も、

ただただ借金を返済するため。

それ以外は大して何の目的もありません。

 

「生きていても意味がない」。

「自分は生きる価値すらない」。

漠然とそう思いながら、

ただただ毎日を過ごすだけ。

 

ワカナちゃんもそう。

親が離婚して母子家庭となり、

どこか鬱屈した毎日を過ごしている。

「自分は必要とされて生まれてきたのか」

 

そんな二人の前に、

徳江ばあちゃんが現れます。

どら焼き屋で働かせてほしい、と。

時給200円でいいから、と。

 

彼女は明らかに奇形をもっていましたが、

人前に出さなければ大丈夫と、

千太郎は激安の賃金で雇うわけです。

 

そして、

あとになって、

その奇形が、

実はハンセン病の後遺症であることを知ります。

 

製あんに熟練した徳江ばあちゃんのおかげで、

どら焼き屋の売上はみるみる上がりますが、

彼女のハンセン病という〈負のバックグラウンド〉が、

顧客の間でウワサとして広まり、

どら焼き屋は、

また閑古鳥が鳴くように。

 

どら焼き屋の経営者である「奥さん」は、

徳江を辞めさせろ!と千太郎に怒鳴り散らします。

 

徳江の技術ばかりか、

彼女の人柄もリスペクトするようになっていた千太郎。

 

なかなか解雇の件を言い出せません。

そうこうしていたら、

徳江のほうから辞めると言ってきました。

 

自分から言い出せなかっただけに、

どこかほっとしたような気持ちがある一方で、

結果的に追い出すことになってしまったこと、

そしてそれを正直に伝えられなかったこと、

───千太郎の胸にわだかまりが残ります。

 

千太郎はいつしか、

徳江に対して、

今は亡き母の姿を重ねていたところもあって、

それだけに彼女が店を去るときは、

いたたまれなかったことでしょう。

 

店をやめると言いだしたのは徳江の方だった。千太郎はただそれを受けただけだ。それなのに実の母親を追いやってしまったような気分だった。 

 

そして、

徳江がいなくなって胸をいためていたのは、

千太郎だけではありませんでした。

 

お客さんとして、

どら焼き屋に通っていたワカナちゃんも同じ。

 

徳江は、

彼女たち難しい年頃の女の子たちの、

良き話し相手でもあったのです。

 

ワカナちゃんは、

キズを負って拾って帰ってきたカナリアを飼っていましたが、

狭いアパートの中では飼うことを許されず、

かといって放し飼いする勇気もなく、

徳江に相談したことがありました。

 

徳江は、

飼えなくなったら千太郎が面倒を見てくれるだろう、

それも無理だったら自分が面倒を見てもよい、

とワカナちゃんに進言していたのです。

 

家出中のワカナちゃんが、

千太郎を頼って、

久しぶりにどら焼き屋に姿を見せたのは、

徳江がいなくなったあとのことでした。

 

いったんは千太郎が、

自宅アパートでカナリアを預かることにしましたが、

大家に見つかる前に徳江に引き渡すことに。

 

そして二人で、

徳江の暮らす「天生園」を訪れるのです。

 

この「天生園」こそ、

かつて徳江たちハンセン病患者を、

外部と遮断して閉じ込めた、

療養所という名の閉鎖病棟でした。

 

本書では、

武蔵野というワードも出てきますから、

おそらくは東村山にある「多摩・全生園」がモデルとなっているのかな、と。

 

本作品中でも、

千太郎とワカナちゃんが初めて訪れた際、

敷地内の住居について、

以下のように描写されています。

 

同じ形をした平屋建ての住宅が規則正しく並んでいる。

 

平屋建ての住宅はどこも三世帯か四世帯に分けられているようで、昔で言うところの長屋造りになっていた。

 

先の公式サイトでも、

それらしい写真があって、

(これが居住用の施設なのかは定かではありませんが)

なんとなく風景がわかります。

 

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この療養所を訪れて、

千太郎とワカナちゃんの二人は、

これまで自分と全く縁のなかったハンセン病について、

よりリアルに詳細を知ることとなり、

徳江が今までどれだけつらい思いをしてきて、

どう生きてきたのか、

彼女の過酷な生き様を思い知るのです。

 

そして二人は、

それぞれ胸に抱えていた葛藤が、

揺さぶられ始めるわけです。

 

「生きていても意味がない」。

「自分は生きる価値すらない」。

「自分は必要とされて生まれてきたのか」

 

───自分だけじゃない、

いや、自分よりもっと大変な思いをしてきた人が、

ここにいるんだ、と。 

 

徳江との出会い・ふれあいを通じて、 

自分のことで精一杯だったこれまでから、

いつしか他人に目を向けるようになり、

ひいてはそれが自身を奮い立たせる引き金にもなりました。

 

千太郎に関しては、

徳江が去った後は、

しばらくやる気も失せていましたが、

いつしかもう一度美味しいどら焼きを作ろうと再起します。

 

最初に思いついたのは、

「塩どら焼き」。

 

迷った千太郎が、

アドバイスを求めて天生園を再び訪れた際、

徳江たちが出してくれた「ぜんざい」と、

つけあわせの「塩昆布」からヒントを得ました。

 

塩大福ならぬ「塩どら焼き」。

 

一見、相反する味を合わせることで、

お互いのアクセントを高める手法を使ったのです。

 

が、

匙加減がなかなか難しく、

最初はよくても途中からどうしてしょっぱくなってしまう。

 

千太郎の試行錯誤は続きます。

 

そうこうしているうちに、

奥さんはついに、

どら焼き屋をたたむことに。

 

千太郎に了解も得ずして、

甥っこを連れてきて、

お好み焼き屋を任せてしまう。

 

故・大将への情と、

借金を返済するために、

惰性で働いていた千太郎でしたが、

徳江に出会って、

いつしかどら焼きを極めたいと思うように。

 

そんな千太郎でしたので、

この薄情者っ!と奥さんに怒鳴られながら、

ついに店を辞めてしまいます。

 

今後どうやって生きていこうか、

途方に暮れて、

何もかもが投げやりになっていたころ、

千太郎は夢を見ます。

 

そして、

正解は塩どら焼きではなく、

どら焼きと一緒に飲む、

「桜湯」にあったことを知るのです。

 

「桜湯」とは、

桜の花びらを塩漬けにしたものに、

お湯を注いだ飲み物で、

よく結婚式の控室などで頂くことがあります。

 

このほのかな塩加減と、

どら焼きの甘さこそが、

途中で食べる者を飽きさせることのない、

絶妙な組み合わせだったということです。

 

この「桜湯」について、

徳江に報告・相談すべく、

千太郎は、 

高校受験が終わったワカナちゃんと、

再び全生園を訪れます。

 

ところがここで、

親友・森山さんから、

徳江が十日前に亡くなったことを知らされる。

 

あまりの驚愕に、

声も出ない二人。

 

訪問前に手紙で行くことを知らせていて、

その返事がなかなか来なかったので、

おや?とは思っていたけれど、

まさか亡くなっていたとは…。

 

森山さんから、

徳江は肺炎で亡くなったこと、

すでに火葬が済んで納骨堂にお骨がおさめられていること、

遺品があるから受け取ってほしいことなどを伝えられ、

ふたりは徳江が暮らしていた住居に案内されます。

 

そこで徳江が千太郎に返信しようとしていた手紙や、

彼女がつかっていた製菓道具などを渡されます。

 

そして千太郎は、

徳江の遺した書き途中の手紙を読んで、

はじめて涙するのです。

 

ワカナちゃんも、

手土産にもってきた白いブラウスを、

森山さんが写真のなかの徳江に見せてくれて、

泣きます。

 

14歳で親兄弟とも生き別れ、

最期に母親が精魂こめて仕立てた白いブラウス。

この大事なブラウスも、

入所の際に衛生上の観点からすべて捨てられてしまう。

 

徳江のそんな悲しい過去に想いを馳せ、

ワカナちゃんは、

徳江に喜んでもらうべく、

白いブラウスを用意して持ってきたのです。

 

園内を森山さんと歩きながら、

ふたりは自分たちが知らない、

徳江の新たな一面を森山さんから聞いたりします。

 

(徳江は)

大袈裟にものをいうところがあったり、

やたらファンタジックなところがある、

───と。

 

「聞きなさい、耳を澄ませなさい、というトクちゃんのあの口癖。小豆が旅してきた場所の風とか、空とか、想像してごらんという話」 

 

森山さんは、

意を決して徳江を問い詰めました、

どういうつもりでああいうことを言っているのか、と。

 

森山さんいわく、

徳江はこう答えたそうです。

 

小豆の言葉なんて聞こえるはずがないって。でも、聞こえると思って生きていれば、いつか聞こえるんじゃないかって。そうやって、詩人みたいになるしか、自分たちには生きていく方法がないじゃないかって。そう言ったの。現実だけ見ていると死にたくなる。囲いを越えるためには、囲いを越えた心で生きるしかないんだって。

 

この言葉には、

自分なんかが想像もつかないような、

重いものが込められていると思います。

 

過酷な人生だからこそ、

想像して楽しもう、

想像は自由だから、

───的な話は、

戦争映画や伝記小説などでも目にしたことがありますが、

まさにこれなんでしょう。

 

極限まで追い詰められた人間に、

残された唯一の希望。

 

人によってはそれを「妄想」と言うのでしょうが、

しかし徳江は亡くなる数日前に、

その「妄想」とも言える「想像」が、

現実になったことを森山さんに伝えました。

 

彼女が園内の散歩道を歩いていると、

木々の声を初めて聞いたのです。

 

森山さんは、

千太郎とワカナちゃんに、

そのときのことをこう伝えました。

 

「トクちゃんが歩く度に、このあたりの木がみんな喋るんだって。よくがんばったな、やり遂げたなって。そんなの初めて聞いたって。私、そのことを話してくれた時のトクちゃんの顔を忘れないの。(中略)あれだけ幸福そうなトクちゃんの顔は初めて見たの。」

 

そして、

徳江について、

これだけはどうしても言っておきたいと、

自身の見解を加えます。

 

「トクちゃん、同情されるような、そんな人生だったわけじゃないのよ。不幸せに終わったわけじゃないのよ。木は本当にささやいたんだと思うの。やり遂げたな、吉井徳江。よくがんばったなって。そう言ったと思うの。」

 

本書では、

「万物の声を聞く」「想像する」といった、

一見、ファンタジックなエッセンスが、

実はこの物語を支える大きな支柱になっています。

 

それは、

徳江を支えてきた価値観であり、

徳江の人生そのものでもあるわけですが、

 

徳江に出会い、

自らの人生を見つめ直すことになった千太郎やワカナちゃんも、

この価値観を学び、

徳江に助けられて再起するのです。

 

徳江が千太郎に遺した手紙のなかに、

 

人が生まれてきたのは、

世のため人のために役立つためだという信念があったけれど、

役に立つ・役に立たないというより、

本当はもっとシンプルで、

 

私たちはこの世を(ただ)観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。

 

───ただそれだけだ、

と言っています。

 

ハンセン病という病気になって、

自分は人の役にも立てず、

生きていても意味がないと思ったけれど、

 

毎日毎日、

月や木や鳥をみて、

その声を「聞く」うちに、

自分はその存在を知るためだけに生まれてきて、

月や木や鳥も、

その存在を知ってくれる自分がいるからこそ、

また生かされている、と。

 

そして、

生きとし生けるもの、

この世に命をうけたものすべてが、

生まれてきた意味があるのだ

と徳江は考えるようになります。

 

徳江は千太郎に伝えます。

 

店長さん。あなたももちろん、生きる意味がある人です。

塀のなかで苦しんだ時期も、どら焼きとの出会いもみんな意味があったのだと思いますよ。すべての機会を通じて、あたなはあなたらしい人生を送るはずです。そしてきっといつか、これが自分の人生だと言える日がくると思うのです。

 

ここまでくると、

もはや哲学的というか、

宗教的にすら思えてくる領域ですが、

 

要は、

良いとか悪いとか、

役に立つとか立たないとか、

そんなことは二の次で、

 

ただ感じ、

その存在や世界を知るためだけに、

人も木も鳥も生まれてくるというわけです。

 

だから、

たとえ幼くして亡くなってしまった子供でも、

自分の夫のように、

「人生の大半を闘病に費やし、傍から見れば無念のうちに去らざるを得なかった命」であっても、

生まれてきた意味はあったのだ、と。

 

自分が読んだ文庫版では、

中島京子さんが解説をおこなっていますが、

以下に本書のテーマがギュッと凝縮されています。

 

人はどんな人でも、他人の役に立たなくても、生まれてくる意味はある。「その子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるため」に人は生まれる。というよりも、「その子が感じた世界は、そこに生まれる」のだと。

 

そうであるならば、千太郎が徳江の話しに耳を傾け、彼女の手紙を読み、彼女の「あん作り」を受け継ごうと決めたとき、吉井徳江が生まれた、とも言えないだろうか。千太郎は、徳江に出会うことによって、生まれた意味を獲得し、徳江は千太郎に存在を知られることによって、生きた証を残すことになる。

 

私はここが、

冒頭に述べた、

共感できるかどうかのポイントだと思っていて、

これがなかなか難しいわけです。

 

なるほどそうかもなー、

と思う一方で、

やっぱりわかるようでわからない。

 

ただ外の世界を知るだけの、

何が楽しくて生まれてきたんだ…?

と思ってしまう。

 

でもそれは、

徳江に言わせるときっと間違っていて、

楽しいとか楽しくないとかは二の次なんだ、と。

 

ただ知ること。

たた感じること。

それだけなのだと。 

 

そこに自分はまだ共感というか、

腹の底から納得ができないわけです。

 

だから自分は、

本書への評価が3.5になって、

まぁまぁ共感できる」程度におさまったのですが、

 

いまめちゃくちゃ精神的に苦しんでいて、

なんで生きてるんだろう…?とか思っていたら、

時期的に、

もう少し共感できたのかもしれません。

 

でも、

最近よく思うのですが、

結局、その人生がよかったかどうかとか、

自分が生まれてきた意味があったのかとかっていうのは、

終わってみなければわからないわけで、

最後にトータルでどう評価するかなのかと思うのです。

 

だから私は、

生きる意味とか生まれてきた意味なんていうのは、

人生道中にある今、考えても仕方ないんじゃないかな、

という考え方をしています。

(それでも不意に考えることはありますが)

 

要するに、

本書のテーマとその答えに、

まぁまぁ共感はできるけど、

そもそもスタンスがちょっと違う、

という感じです。

 

ただ、

この本を読むと、

(テーマに共感するかどうは別として)

人も自然もみんなつながって生きている、

生かされているということに気づかされますが、

世界はどんどん違う方向へ向かっているようにも思います。

 

人と自然は言うまでもなく、

人と人は、

どんどんそのつながりが希薄になっている。

 

というか、

人と人がつながらなくても、

支え合わなくても、

極論いってしまえば、

一人でも生きていけるように、

人類があえてそうしてきたようにも思うのです。

 

科学技術の発達も、

インターネットの普及も、

自由主義とか個人主義とかのイデオロギーも、

 

意図する・しないは別としても、

結果として、

みんな一人で生きていけるようにさせてしまったし、

いま現在も、

さらにそれを助長していると思います。

 

人と人がつながらなくても、

支え合わなくてもいい世界。

 

───現在進行形でそれが進んでいる。

 

そういう意味で、

この小説は、

人とのつながりを考え直させてくれるというか、

本来、人なんてつながってナンボだよねと、

思い直させてくれる内容だったかなと思います。

 

普段は、

こういう「いかにも」お涙頂戴的なものは、

あえて避けていますが、 

久しぶりに、

こういったことを考えさせてくれる小説が読めてよかったです。

 

ハンセン病についても、

少し知ることができてよかったなと思います。 

 

以上です。 


■まとめ:

・文字も大きく、平易な文章で綴られ、登場人物も非常に少ないので、とても読みやすい。内容はさておき、本が嫌いな人でも、さくっと読める。


■カテゴリー:

ヒューマン小説

 

■評価:

★★★★☆

 


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