読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ロートレック荘事件 ★★★★☆

筒井康隆さん作

ロートレック荘事件 (新潮文庫)

を読み終えました。

 

評価は、星4つです。

 

実は、この本を読むのは、

かれこれもう4度目になります。

 

だいたい、

〈どんでん返しミステリー〉

〈衝撃のラスト ミステリー〉

なんてキーワードで検索すると、

必ずと言ってよいほどヒットするのがこの小説で、

 

そのトリックを忘れた頃に読むと、

相変わらず魅了されてしまうという。

 

とはいえ、

4回目にもなると、

さすがに途中でどんなトリックだったかを

思い出してしまうのですが、

 

たしかこうだったよな…

というおぼろげな記憶から、

 

ほら、やっぱりそうだ!

という確信にかわるまで、

 

その推移を辿るのがまたおもしろいのです。

 

一番最初に読んだときは、

はじめから逐一読み直して、

そのトリックを暴いていくわけですが、

(あとからふり返って感嘆するケース)

 

今回のように、

記憶を呼び起こしながら読むと、

読みながら推測が確信にかわる手ごたえがあって、

それはそれで楽しいわけです。

(読みながら感嘆するケース)

 

そんな感じで、

ほんとに毎回驚かせてくれる一冊。

 

評価は、

正直、星5つでも良いくらいです。

 

さくっと読めるので、

お正月の暇つぶしに最適かも。

 

▽内容:

夏の終わり、郊外の瀟洒な洋館に将来を約束された青年たちと美貌の娘たちが集まった。ロートレックの作品に彩られ、優雅な数日間のバカンスが始まったかに見えたのだが…。二発の銃声が惨劇の始まりを告げた。一人また一人、美女が殺される。邸内の人間の犯行か?アリバイを持たぬ者は?動機は?推理小説史上初のトリックが読者を迷宮へと誘う。前人未到のメタ・ミステリー。

 

作者は、筒井康隆さん。

 

よく似た著名人で、

筒井道隆さんという俳優がいらっしゃいますが、

おふたりは全然関係ありません。笑

 

自分はともによく知らないもんだから、

ふたりはきっと父子だろう…

なんて勝手に思っていました。

 

筒井康隆さんは、

もともとSF小説を手掛ける作家で、

Wikiによると、

 

小松左京星新一と並んで「SF御三家」とも称される

 

──とのこと。

 

実際、

小松左京なんかとは親交が深かったようで、

奥さまとのご結婚は、

小松左京夫妻が仲人になったんだとか。

 

青春時代は、

おもに演劇のほうに精を出し、

SFに傾倒していくのは社会人になってからのようです。

 

大阪育ちの筒井さんは、

結婚後に上京し、

本格的に作家活動にのめりこんでいくわけですが、

 

そこから、

筒井さんの特徴でもある、

いわゆる風刺的・ブラックユーモア的な作品を

世に送り出していきます。

 

PTAによる悪書追放を批判した作品だったり、

当時盛んだった、

ウーマンリブフェミニズム運動を揶揄するような作品、

また、

大学と文芸界という二大勢力を敵視した作品

──などなど。

 

今よりもなんやかんやとうるさい時代に、

要は、

ブラックな作品を上梓しまくっていたわけですから、

向かい風も相当強い。

 

彼は1993年から1996年まで、

約3年間の断筆活動をしているのですが、

そのきっかけとなったのが、

らい病患者の描写が差別的だと猛批判を受けた、

『無人警察』という作品だったそうです。

(この作品は、『にぎやかな未来 (角川文庫)』に収録されています)

 

自宅に嫌がらせの電話や手紙が殺到し、

ご本人だけでなく、

ご家族の危険をも感じ、

作家生活をやめる決心をしたんだとか。

 

実は、

この『ロートレック荘事件』のなかにも、

下半身の生育が停止した、

いわゆる奇形・不具者(身体障害者)が登場するのですが、

 

解説を手掛けている佐野洋さんは、

本書の読了後に、

懇意にする編集者とのあいだで、

こんなコメントを残しています。

 

推理小説というのは、読者に楽しんでもらうためのものだ。身体障害者をねたに、人を楽しませるということに、釈然としないものがある。

 

だから彼(佐野氏)としては、

 

ぼくだったら、この小説は書けないなと思った。というより、考えようとはしなかった

 

と述べています。

 

しかし彼は、

編集者との問答をへて、

 

実は、

差別だのなんだのと言って、

自主規制してしまう自分や周りこそ、

差別を深く意識している(=差別している)側かもしれない

と気付かされたようで、

 

最後に、

こんなふうに述べていました。

 

筒井さんは、あるいは、作家がテーマの自主規制をしていることに対するアンチテーゼとして、この『ロートレック荘事件』を書いたのかもしれません。

 

そして、

彼がこの作品を上梓した3年後に、

筆を断つ宣言をしたことについては、

次のように言っていました。

 

いわゆる差別語、差別表現について、メディアが過剰に反応し、自主規制が強まっていることに対する抗議。それが筒井さんの断筆の趣旨だと、私は理解しています。

 

事実、

筒井さんが執筆活動を再開したとき、

出版各社と勝手に自主規制をしないことを条件に、

覚書まで交わしたそうです。

 

たしかに、

あくまでフィクションの世界なんだから、

別にそのなかで障害者をどう扱ってもいいじゃん

と自分は思います。

 

そんなこと言ったら、

精神に疾患のある人間が犯人の映画は、

みんなクロです。

 

精神病の患者を

エンタメで扱うのはよくて、

下半身不随の患者を

エンタメで扱うのはダメなんて、

それこそおかしいと思うのです。

 

かの松本清張大先生が手掛けた『砂の器』(1960)も、

エンタメの材料としてハンセン病患者を扱っていますが、

こちらは大衆紙(読売新聞)で連載もされていました。

 

文学にみる障害者像-松本清張著『砂の器』とハンセン病

 

のなかで、

 

ある方は次のようにコメントしています。

 

社会派と称された松本清張でも、ハンセン病問題に関しては見識が乏しかったとしか考えられない。彼が欲したのは作品の山場を作るに相応(ふさわ)しい〈社会的負性〉であった。その〈社会的負性〉に相応しいものとしてハンセン病=「業病」があったのだろう。とにかく、隠すべき〈社会的負性〉の象徴としてのハンセン病という偏見自体が、同作の中で全く疑われていないのは問題であろう。

 

結局、

筒井さんはもともと反社会的な要素が強かったから、

揚げ足をとられまくっていたというのが

実際のところなんじゃないかと私は思います。

 

たとえると、

ホリエモンみたいな感じかな。

 

一度社会の敵と見なされれば、

何を言っても叩かれ、

挙句の果てに制裁を受ける。

 

筒井さんの場合はそれが、

ご本人や家族に対する執拗なまでの嫌がらせだったわけで。

 

ある意味、

自業自得な面も否めませんが、

社会や世間が彼に対して毛嫌いしすぎたんだと思います。

 

大人げないな、って思う。

あ、世間がですけどね。

 

だって、

作品は最高に面白かったから。

 

作家の使命は、

いかに読者を楽しませるか、です。

 

そのなかで、

どんなに差別表現がなされようと、

いま流行のヘイトスピーチが展開されようと、

虚構なんだから別にいいじゃんと思います。

嫌なら読まなきゃいいだけで。

 

結局、

それを第三者がことさらに批判したりするから、

事が大きくなるのであって、

 

言ってみれば、

嫌中本・反韓本コーナーをつくって売上促進をする

本屋さんや出版社と構造は似たようなものかなと思います。

 

やだねぇ、世間っつーのは。

ひろさちやさんに完全に感化されてしまいました…)

 

筒井さんの反骨精神は個人的に応援したい!

というのがここまでの趣旨なのですが、

 

ここからは、

本書の内容に関するコメントです。

(※ネタバレあり)

 

結論から先にいうと、

本書には衝撃ポイント(どんでん返し)が2つあります。

 

1.作中の「俺」が途中で変わる

2.実は犯人の「俺」は、彼が殺した女性のうちの一人には愛されていた

 

まず、1.について。

 

これは、

いわゆる叙述トリックというやつです。

 

「おれ」はコイツだろうと見せかけておいて、

実はもう一人の「おれ」がいた、

──的な。

 

【参考】叙述トリックとは - はてなキーワード

・ミステリ小説において、文章上の仕掛けによって読者のミスリードを誘う手法。具体的には、登場人物の性別や国籍、事件の発生した時間や場所などを示す記述を意図的に伏せることで、読者の先入観を利用し、誤った解釈を与えることで、読後の衝撃をもたらすテクニックのこと。
叙述トリックを用いる際、虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェアとして斥けられる。このため、客観的な記述が求められる三人称よりも、語り手の誤認や詐術が容認される一人称が用いられることが多い。また、手記という形をとる作例も少なくない。
・通常のミステリ作品におけるトリックは、犯人が探偵や警察の捜査を撹乱するために用いるものであり、物語の中で完結した形を取る。これに対して叙述トリックは、作者が読者に対して用いるもので、物語とは無関係に成立することが多い。
叙述トリックは、もともと本格ミステリのテクニックとは看做されておらず、邪道とする意見も多かったが、新本格以降の国産ミステリでは、代表的な手法であり、ベストセラーとなった作品も多い。

 

読者としては、

てっきり「おれ」ってアイツのことでしょ?

と思いながら読み進めてしまうのですが、

 

途中で、

「おれ」が替わります。

 

もっと具体的に言うと、

「おれ」=重樹と、

「おれ」=浜口画伯(浜口先生)がいて、

ふたりは同一人物ではない。

 

父親同士が兄弟(といっても義理の)なので、

ふたりは従兄妹関係にあり、

重樹の苗字は「浜口」ではありません。

 

この重樹≠浜口画伯という構図が

最終的に明らかになっていきます。

 

そこで読者は、

「ぬおー!」となる。

 

フランスの美術館めぐりなどの紀行文や

エッセイを書いているのが前者(重樹)。

 

絵を描くかたわら、

映画をつくっているのは後者(浜口画伯)。

 

第一章の「おれ」は、

後者の「浜口画伯」が語っていますが、

 

第二章からは、

前者の「重樹」が「おれ」として

話しはじめるのです。

 

「おれ」=「浜口画伯」に視点がかわるのが、

第七章。

 

ここから第十章まで、

浜口画伯としての「おれ」が続きます。

 

で、第十一章から、

ふたたび「おれ」は「重樹」に。

 

たしか、

二回目・三回目に読んだときも

(ひょっとしたら一回目のときも?)、

 

(結末がわかるまでは)

この「おれ」っていうやつに、

ところどころ微妙な違和感が出てきて、

釈然としない印象があったのを憶えており、

 

今回は途中で、

”そうだ!

 この「おれ」は、たしかこっちの「おれ」だったんじゃなかったっけな…?"

──というふうに読み進めていたので、

 

所々でウラをとりながら核心に迫っていく

というアプローチができました。

 

でも結局、

なんで犯人の「おれ」が、

次々と殺人をおかしたのか、

その動機は最後まで思い出せなかったので、

これはこれで、

初回のときのような新鮮さもあってよかったです。

 

その犯行動機が

2.の衝撃ポイントにも通ずるわけですが、

 

結局、

犯人の「おれ」は、

体に障害があるために、

ずっとコンプレックスをもっていた。

 

普通の生活ができないし、

恋愛なんてもちろん無理。

 

いつしか卑屈になってしまった「おれ」は、

自分を守ってくれるのは、

もう一人の「おれ」しかいないと思うようになった。

 

その絶対的に依存できる相手が、

いざ世帯をもって、

自分から離れていってしまう。

 

いよいよそのときが来た!とわかったのが、

まさにこの「ロートレック荘」であり、

犯人の「おれ」は、

その邪魔になる人たちを殺していった、

 

──これが粗筋の犯行動機です。

 

犯人の動機の根本的なところ(心の闇)は、

身体的不具合からくる劣等感ですが、

 

要は、

”誰からも愛されない(必要とされない)、

 ただの可哀想な男"

という劣等感が、

犯人自身を精神的に追い詰めてしまった。

 

相棒(=もう一人の「おれ」)に、

依存するしかなくなってしまった。

 

でも、

本当は違った。

 

実は、

ロートレック荘」の今の持ち主である、

木内夫妻の娘(典子)は、

「おれ」からもう一人の「おれ」を奪おうとしたのではなく

まさかの「おれ」を愛していた!

 

犯人の「おれ」は、

木内夫妻から典子の日記を渡され、

その日記から、

獄中で典子の自分への想いを知ります。

 

そして物語は、

この一文で幕を閉じるのです。

 

私が失ったものはなんと大きなものだったのでしょう。もうこれ以上生きていたってなんの希望もありません。どうか私を死刑にしてください。

 

結局、

最後は救われない結末で終わるんですが、

”ひゃー!なんと、そう来たか!”

というラストでした。

 

「まさかの」どんでん返し。

 

作者の巧みな叙述トリックで、

犯人の「おれ」ともう一人の「おれ」がいることが明らかになったと思いきや、

最後にもう一度読者は「!!!」を体験するわけです。

 

いやーお見事でした。

 

ちなみに、

3回目に読んだときのメモを見直すと、

こんなふうに書き残していました。

 

2回読了したのに、トリックをまったく忘れていた。
・実は3人の独身男性がいた
・「おれ」がどの俺なのかわからない
・重樹≠浜口
・なんで身障者の重樹がそんなにモテるのか?
叙述ミステリーっていうやつで、「やられた」感よりも「あーそういうことか、なるほどね」という感想。

 

3つめの

”なんで身障者の重樹がそんなにモテるのか?”

というコメントなんかは、

 

思いっきり、

「おれ」=重樹という認識で読み進めていたんでしょうね。

 

いずれにしても、

星4つをつけていましたから、

それなりにおもしろかったんだと思います。

 

筒井さんは、

本書のほかに、

先行してもう1冊ミステリーを書いているそうで、

それがコチラ。

 

富豪刑事 (新潮文庫)

 

彼が書いたミステリー(推理小説)は、

どうやらこの2つだけで、

解説の佐野さんによれば、

こっちも相当おもしろいようなので、

次回、是非読んでみたいなと思います。

 

 

■まとめ:

・4度目の読了ながら、相変わらず衝撃の結末に圧倒された。

・はじめて読んだときは、読み返しながらトリック(伏線)を発見していく楽しさがあったが、今回は、記憶をたどりながらトリック(伏線)を見つけ、核心に迫っていく楽しさがあった。

・本書には、2つの衝撃ポイント(どんでん返し)がある。1つは叙述トリックによるもの、もう1つは犯人の犯行動機を根本から覆す「まさかの」実は…的な内容。いずれにしても、作者の見事な手腕に感服。


■カテゴリー:

ミステリー 

 

■評価:

★★★★★


▽ペーパー本は、こちら

ロートレック荘事件 (新潮文庫)

ロートレック荘事件 (新潮文庫)

 

 

Kindle本は、いまのところ出ていません