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明智光秀  ★★★★☆

早乙女貢さん

明智光秀

を読み終えました。


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評価は、星4つです。

 

ちょうどこの本を読んでいる最中に、

WEBでこんな記事をみかけて、

日本史上、一番ひどい悪人だと思う1位「明智光秀」 | 「マイナビウーマン」

 

なんつータイミングよ?!

と思いながらも、

 

やっぱり、

世間一般的にはネガティブイメージが強いんだなぁ…

と改めて感じた明智のみっちゃん。

 

ウソか本当かはわからないけれど、

明智光秀=悪人と思っているひとたちに、

是非一度、

読んで頂きたい一冊です。

 

▽内容:

築城学、軍学、故実式目、歌道、仏道を究めた知性人であった光秀と野獣性の信長との確執は宿命的なものだった。山崎の合戦後の従来の光秀像を覆した異色長篇。

 

実は私がこの本を読むのは2回目。

中学生か高校生のときに初めて読んで、

すごく面白かったのをおぼえています。

 

久しぶりにもう一度読みたいなと思い、

このたび再読しました。

 

で、

結果は、

やっぱり面白かった!

 

しかし、

難しい言葉(表現)が多すぎる!

 

たとえば、

光秀が信長に仕えていたとき、

彼が根城として構えた坂本城について、

早乙女氏は下記のように表現しています。

 

贅美広大でこそないが、難攻不落を誇る名城たるに恥じない構え。多年の研究薀蓄のすべてを傾けた光秀の城である。叡山の紫影を背に白亜の楼閣が湖水に映じ、雌雄の鯱ほこがぴんと尻尾をそそりたてた姿は、自ずからなる輪奐の美を備えて威容まことにあたりをはらった。

 

また、

光秀が信長を本能寺で殺し、

のちに”三日天下”と揶揄されながらも、

天下泰平に乗り出したシーンについては、

下記のように記しています。

 

明智一族の武辺を象徴し、礼賛するがごとき旭光に照らされて、勝利に酔う君側のどよめきのなかで光秀の思考は、次の段階へ──治世の段取りに走っていた。

 

民心の収攬に意を用いたのも光秀らしいところである。灯籠料として、御霊、祇園、北野等の社に黄金それぞれ百両を奉納し、南禅寺大徳寺妙心寺等々に黄金二百両ずつを寄進したほか、洛中洛外の諸寺諸院へ、ことどとく応分の祠堂金を納め、京の民に永代地子銭(税金)を免除したほか、銀子五千貫目をあたえるという寛仁ぶりだ。

 

歴史小説を描くうえでは、

こういう文体は臨場感があっていいんですが、

それにしても難しい。。。

 

なんだか漢文を読んでいるようで、

肩が凝りました。

 

あと、

ルビが少ないから、

浅学な自分には、

漢字が読めなかったり…汗。

 

もうちょっとルビ振ってほしかったなー。

 

一章あたり20~30ページくらいで、

コンパクトにまとめられていて、

それはとても良かったんですけども。

 

しかし、

これを中学?高校?で読んだ自分がすごい。

よくこんなもの読めたもんだなと、

われながらと感心してしまいました。

 

というか、

中学高校時代が私の脳みそのピークで、

いまやすでに退化しているだけなのかもしれませんが。

 

とはいえ、

当時も今も、

「面白い!」と思った理由は一緒で、

 

それは、

内容が通説を覆すものだったからの一言に尽きます。

 

教科書で教えられている歴史=通説だとすると、

このストーリーはまさに異端。

 

一般的には、

明智光秀は主君である織田信長を裏切ったあと、

京都は山崎の戦い羽柴秀吉軍に敗れ、

琵琶湖のそばの居城(坂本城)に落ちのびる途中に、

伏見の小栗栖の藪で土民の落ち武者狩りに遭遇して命を落とした

と言われています。

 

※ちなみに、この小栗栖の藪、

いまは「明智藪」というそうです。

ネットで調べると、

実際に写真のような史跡が残っているそうで。

 

この物語では、

実はそこで命を落としたのは、

光秀の影武者であり、

当の本人は実は生き延びて比叡山に匿われ、

その後、

南光坊天海という僧侶となって、

徳川家康の参謀を務めた

という異説がまことしやかに語られています。

 

また、

彼が主君たる信長を裏切った理由は、

いまに至るまで謎が多く、

諸説論じられているようですが、

 

Wikiによれば、

おもに「野望説」と「怨恨説」の2つがあるそうで、

 

前者は、

「天下が欲しかった光秀の単独犯行」とする説、

 

後者は、

信長に対して憤りを抱き、

それが鬱積して逆上した説で、

 

一般的に、

ドラマや映画などでは後者のほうがストーリー性があって

この説が取り上げられているケースが多いそうです。

 

これに対して本書は、

ちょうど二つの説をあわせたような形になっていますが、

野望といっても単純に権力を得たいという欲ではなく、

彼が天下泰平を切に願い、

それがために天下を治めるという「野望」を抱いたとしています。

 

本書のなかで描かれている光秀は、

若いころから物欲が少なく、

向学心が強い人物で、

はやくこの乱世を終わらせたいと願っていたようです。

 

解説で、

磯貝勝太郎さんもこのように述べていました。

 

二十歳になっても城をほしがらず、物欲に恬然としている若者であり、情誼にも厚く、好学心に富み、築城学、軍楽、宗教に造詣があり、兵法、鉄砲などの実技とともに、青年期にその基礎を固めている。

 

当の本人である作者も、

あとがきで光秀を下記のように評しています。

 

勤勉で学問好きで、真面目に生きようとしている。むろん武士として名誉欲も、政治的野心もあるが、歌人であり、ものの哀れを知る男だ。

 

私たちが知っている明智光秀像は、

先にも述べた通り、

主君を裏切った逆臣として強くインプットされているわけですが、

どうも早乙女さんがとらえている光秀像は違う。

 

実は、

文武両道の良識ある武人で、

人情深い。

 

信長を討ったのは、

彼のもとでは決して天下泰平など望めず、

その暴虐無道なやり方に堪忍袋の緒が切れたからで、

 

そういう意味では、

光秀は「可哀想な人」であり、

彼の裏切りも「仕方がなかった」というわけです。

 

実際、

作者も下記のような事実を取り上げ、

光秀の意図を紹介しています。

 

信長を討たんと思考したのは、その行為が人倫にもとるゆえであり、その悪行たるや「(中略)」と述べて、今回の挙兵は決して弑逆というものではない。なぜならば光秀は一時の従属にして三世の臣隷にはあらず、そもそも清和の流裔にして源頼光の後胤、土岐美濃守光衡(ときみののかみみつひら)の末葉にかかり世々朝廷の臣下なのに比して、信長は平清盛の孫より出でて斯波武衛の臣下である云々──と、家系の相違を強調している。

 

これに対し、

自身としてもまた、

次のような私見を添えています。

 

史家によっては、これを逆臣の卑劣な巧言で弑逆たること明白なりと言う人もあるが、各人の思想、史観の相違で、見解もちがってくるのは当然だ。

ただ、冷静な目で、当時の武士の気風なり、いわゆる時代性から見ると、逆臣といい、謀反ということばじたいがおかしい。

戦国という時代は殺戮の時代といっても過言ではない。乱世の火を鎮め、平和をもたらすには、戦争──殺人、という過程を経なければならなかったのである。

 

つまり、

作者としては、

光秀が信長を殺した一番の理由は、

平和を望む一心からであって、

そのためには信長じゃダメだ、

こうなったら主君を殺すこともやむを得ない、

それがこの時代の特性でもあったし…

と言っているわけです(たぶん…)。

 

作者は続けます、

そもそも室町から戦国という時代にかけては、

主君を殺した人たちは何人もいる、と。

 

赤松満祐(みつすけ)→6代将軍・足利義教

松永久秀(弾正)→13代将軍・足利義輝

斉藤道三土岐頼芸頼次

直江兼続上杉謙信

 

そして、

肉親を殺した武将も数々。

上杉謙信武田信玄大友宗麟織田信長…。

 

対して、

光秀は肉親の相克がないだけに、

逆に珍しいとまで言っています。

 

気になったので、

ちょっと調べてみたんですが、

 

上杉謙信は、

肉親の誰を手掛けたのか、

結局わかりませんでした。。。

 

武田信玄は、

実父・武田信虎を甲斐から追放していて、

実子・武田義信をも廃嫡・幽閉ののち、

若干30才にして死去させています。

 

大友宗麟は、

一説では父(義鑑:よしあき)を殺したとありますが、

これは違うという説もあって、

確かなのは叔父の菊池義武(大友義武)を殺したようです。

 

織田信長は、

実の弟である信行(信勝)を自らの手で殺してます。

場所は清州城

 

もともと信行(信勝)が織田家を、

ひいては尾張を継ぐために、

兄・信長を落としめんと画策していたのですが、

これを柴田勝家が裏切って信長に密告。

 

信長は重病にかかったとウソをついて、

信行を清州城に呼び寄せ、

その手で殺してしまうという。

 

こうして信長は、

織田家最大のライバルをやっつけ、

尾張統一を果たし、

次はいよいよ上洛だ!

ということで天下統一へ着手するわけです。

 

信長は、

第十五代将軍・足利義昭を擁立して上洛し、

朝廷より従五位を下賜されます。

 

このとき同時に、

義昭の側近・細川幽斎と通じていた明智光秀を家臣に取り込み、

ここから信長⇔光秀の主従関係が始まるというわけです。

 

このあたりは、

本作の「越前一乗谷」から「驕児信長」の章で

描かれているところです。

 

足利義昭はもともと、

当時の慣習で、

「覚慶」として奈良の一乗院に入っていましたが、

 

室町幕府のもと、

京都で管領職として三好長慶が病没するや、

三好三人衆と呼ばれる重臣らと松永久秀(弾正)が、

甥であり幼少の三好義継を後継者にたてて、

クーデターを起こします(永禄の変)。

 

具体的には、

13代将軍・足利義輝を襲撃し、

殺してしまうわけです。

 

管領職では飽き足らず、

幕府として最高位にあたる将軍職まで

掌握しようと試みたわけです。

 

足利義輝は、

覚慶(足利義昭)の兄にあたります。

 

造営して半年にもならぬ華麗な室町御所を劫火と噴血で蹂躪した軍勢は、将軍義輝を弑逆してしまった。(中略)

血に狂った反乱軍は、数日後に知恩院におし入って義輝の愛妾小侍従まで殺したほどだから、縁辺の者たちは安んじていられない。

 

身の危険をおぼえた覚慶は、

奈良の一乗院を脱出し、

越前は朝倉義景のもと、

一乗谷に身を寄せます。

 

このとき、

覚慶は還俗して「義秋」と名乗ったとか。

(「義昭」へは将軍就任後に改名)

 

当時、

明智光秀朝倉義景に仕えていたため、

この越前時代に、

足利義昭明智光秀のパイプができたようです。

 

また、

光秀が信長と縁戚関係にあることを知った足利義昭が、

光秀を通じて信長に上洛を頼み、

将軍職の奪回を依頼したということでした。

 

光秀と信長の縁戚関係については、

本書でも簡単に触れられていましたが、

 

信長に嫁いだ濃姫(正室)が、

斎藤道三小見の方の娘で、

この、

小見の方こそ、

祖父・明智光継の娘であり

父・明智光綱の妹にあたります。

 

つまり、

小見の方と光秀は従兄妹となるわけで(あくまで説ですが)、

この筋を通じて、

信長と接触したと言われているようです。

 

彼が信長に仕えるきっかけとなったのは、

室町最後の将軍・足利義昭と信長の仲介だったというわけです。

 

あとは、

当時仕えていた朝倉義景の器量の狭さ

主君としての人間性の小ささ。

 

この小説のなかで、

作者はそんな義景像を以下のように描いてました。

 

光秀の稟質には舌をまいた。よい家臣を得た喜びとあわせて、嫉妬めいた感情が胸の隅で動いていた。この矛盾した感情は、義景の若さと、劣等感からきている。敬服しながら、新参者を師とたてることができない、狭量のゆえだ。

 

光秀はこれに見切りをつけて、

朝倉のもとを離れ、

信長の家臣となったようです。

 

結局、

足利義昭朝倉義景も、

のちに信長によって滅ぼされます。

 

信長が天下統一の一歩手前に来るまでに、

数々の合戦もしかりですが、

やはり当時の権威者たちからも相当な脅威とみなされ、

信長包囲網というものが敷かれていたようです。

 

これは一般的に、

第一次包囲網から第三次まであるようで、

 

一次は、

朝倉義景三好三人衆浅井長政

 

これは、

信長が足利義昭の要請に応じ、

また自らの野望とも相容れて、

上洛を果たしたことがきっかけで、

 

このときはまだ、

足利義昭と信長は敵ではありませんでした

 

二次は、

逆に足利義昭がけしかけた包囲網で、

勢力をのばさんとする信長を恐れ、

浅井・朝倉・三好・石山本願寺武田信玄などに

密書を送ったそうです。

 

ここから、

義昭と信長は敵対関係に。

 

ここでは、

光秀が軍事家として秀逸なはたらきをし、

また、

いろんな人たちが信長のほうに寝返って、

いっきに反信長勢力が弱まります。

 

足利義昭は、

京都から大阪、

大阪から奈良、

奈良から毛利氏を頼って備後(広島)まで落ちていきます。

 

諦めの悪い義昭。

 

奈良潜伏時代から、

なんとか巻き返しをはかろうと、

再び信長包囲網を画策します。

 

これが第三次信長包囲網です。

 

Wikiには、次のように記されています。

 

当時、義昭は形式的には征夷大将軍であり、将軍として御内書を出して各地の大名の糾合に務めている。この結果、長らく信長と対立していた本願寺武田氏のみならず、中国の毛利氏、宇喜多氏、北陸の上杉氏などが包囲網に参加した。

 

第二次包囲網で、

三好三人衆から離れ、

信長側に寝返った松永久秀(弾正)も、

この三次で再び信長に対して謀叛をひるがえします。

 

結局、

最後は信長(嫡男・織田信忠)にやられちゃうんですが。

 

これだけ寝返りしまくっている松永弾正に、

なんだかちょっと興味が湧いてきた私ですが、

なんと、

早乙女貢さんが小説化しているじゃないですか。

 

これは是非、読みたい! 

悪霊―松永弾正久秀 (新潮文庫)

悪霊―松永弾正久秀 (新潮文庫)

 

 

本書でも、

光秀が一時、

松永弾正より臣下にならないか?と

しつこくオファーされるシーンが登場します。

 

明智一族が斎藤義龍の攻撃にあい、

明智城が落城してからというもの、

光秀は各地を転々とし、

 

越前の国境やら、

比叡山やら、

大阪は泉州・堺の鉄砲屋敷などなどを渡り歩き、

一族の再興に機が熟すのを待ちます。

 

その堺の鉄砲屋に間借りしていたとき、

松永弾正の部下・瀬尾主水正(せおもんどのしょう)が

使者としてやってくるわけです。

 

彼のオファーを、

光秀が華麗にスルーするところを、

作者は以下のように描いていました。

 

瀬尾主水正は、松永弾正を卑賤から今日の身上に押し上げた、黒幕的人物である。

その瀬尾がやって来た以上、(知行が)一躍五百貫くらいにははね上がったのかもしれないが、光秀は、逢おうともしなかった。

知行の問題ではない。松永弾正そのものを主に頂く気にはなれなかったのだ。

卑賤の出身というわけではない、光秀の見たところ、乱臣姦雄の相がある。治国平安の大望を持つ光秀の臣たりえないところだ。

 

乱臣姦雄って…(笑)。

ザ・松永弾正ですね。

 

光秀のみならず、

とにかく、

みんな誰につくか、

どう生き残るか、

あるいはいかに権力を握るか、

もう必死。

 

そのためには何でもあり、

下剋上どんとこい、

それが戦国時代。

 

光秀の主君選びもそうでしたが、

信長もありとあらゆる手をつかって、

先の包囲網を瓦解させ、

天下統一まであと一歩と迫ったときに起こったのが、

本能寺の変というわけです。

 

彼は見事に、

光秀に裏切られますが、

光秀もまた、

その後すぐに味方(と思っていた人たち)に裏切られてしまう。

 

娘お玉(のちの細川ガラシャ)の嫁ぎ先である細川忠興も然り、

親友だった筒井順慶もまた然り。

 

大阪と京都のあいだに、

洞ヶ峠(ほらがとうげ)」という峠がありますが、

山崎の合戦で羽柴につくか明智につくかで迷っていた筒井順慶が、

この峠にいったん布陣し、

双方の出方をうかがっていたことから、

洞ヶ峠(を決め込む)=日和見主義

といった表現まであるそうです。

 

※ただしWikiによると、

これは史実ではなく、

「(筒井は)最終的には洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保った」

とあります。

 

そして光秀は、

小栗栖の藪で土民の落ち武者狩りにあい、

57歳で生涯を終えるというのが通説です。

 

でも、

本当は生きていた!

というのがこの小説の主旨。

 

ここからが実に面白い!

 

ただ生きていたわけではない。

 

「治国平安の大望」を抱いたまま、

天海という僧侶になって徳川家康に近づき、

彼の参謀役として、

江戸幕府による天下統一に貢献したのです。

 

つまり、

明智光秀は、

姿をかえて(偽って)、

長年の夢を果たしたというわけです。

 

この異説には、

当然、

賛否両論あるようですが、

 

まんざら嘘じゃないんじゃないか?的な部分もあって、

作者はその根拠を抽出しながら、

想像力をまじえて物語を描いていきます。

 

そして、

あたかもそれが光秀の真の生涯であったかのように、

我々を錯覚させていくのです。 

 

解説で、

前述の磯貝氏も下記のように述べています。

 

後半では、光秀の後身は天海僧正であるという光秀生存異説に、作者独自のミステリアスな手法による物語をからめて、その異説が無理なく物語のなかに溶け込むように書かれているので、光秀が天海僧正に変身するにいたる顛末に説得性がある。

 

ほんと、そのとおり!

 

次郎太=天野源右衛門との出会いや、

その姉・梢との愛妾関係、

その間にもうけた娘のお美弥、

 

そして、

光秀の正体を暴かんと何年も彼を追い続け、

まさか光秀の娘とは知らず、

お美弥と恋仲になった堀隼人正。

 

彼らはこの物語の中で、

虚構の人物とされていますが、

 

天野源右衛門に関しては、

どうやら安田国継(安田作兵衛)として実在したようで、

山崎の合戦のあとは、

豊臣家に仕えたと言われています。

 

いずれにしても、

この虚構の人物たちが、

光秀と天海・家康・お福(春日局)の関係性をうまく橋渡しし、

 

実在人物の織りなす人間模様が巧妙に描かれている作品

 

として評されるのも、

非常によく頷けます。

 

そう、

面白かったのは、

春日局と光秀(天海)の関係性。

 

春日局は、

本作ではお福として登場します。

 

明智光秀の重臣である斎藤内蔵助利三の六女として生まれ、

山崎の合戦後は、

土佐の長宗我部元親のもとで成長したそうで、

 

その後、

伯父の稲葉重通の養女となり、

その縁で一時は稲葉正成の妻となります。

 

小説では、

その気の強さから、

稲葉正成と離縁したように描かれていましたが、

将軍家の乳母となるために離婚したようです。

 

のちに彼女は、

竹千代君を三代将軍家光として就任させたあと、

大奥を取り仕切るほどの実力者として、

後世まで語り継がれることとなるわけですが、

 

この物語の中では、

乳母として着々と権力を握っていく一方、

隠密に比叡山に通い、

天海(光秀)と密会を重ね、

家康と彼を仲介するのです。

 

そして、

家康の参謀となった彼は、

内外に敵をつくりながらもうまくかわし、

最終的に、

家康がどうしても果たしたかったこと=豊臣家の滅亡

に智恵を貸すのです。

 

最後は、

どうやって家康・秀忠親子が、

大阪城豊臣秀頼淀君を攻撃する口実をつくったのか、

そこに天海がどんな知恵を与えたのかが描かれており、

これもまたすごく面白かったです。

 

これについては、

解説で磯貝氏が次のようにまとめています。

 

比叡山に入ったのち、光秀は天海僧正と称せられ、家康に接近する。家康は天海僧正を高く評価し、政治、軍事の顧問格にして、大阪城攻略戦にも参加させている。元来、光秀は家康と仲が良かったので、天海僧正の前生が光秀だと知っても、家康は光秀を優遇し、覆面軍師として秀吉への復讐心を利用した。方広寺鐘銘問題の件で文句をつけたの影の存在も天海僧正にほかならない。

 

たかがお寺の鐘の刻銘で、

いちいち言いがかりをつけて、

それを豊臣家殲滅のきっかけにするなんて、

家康も天海(光秀)もロクでもねーなぁ

と思っちゃいましたが、

 

敵はとにかく潰さなければ、

天下泰平はやってこないわけです。

 

天下の大事。それは六十余州に平和をもたらすことだ。その平和のために些事に拘泥してはならぬ。あれを生かしこれを憐れんでは、二百年の乱世に終止符を打てないのだ。豊臣家を潰すことは、その意味に於いて、最大の必要事であった。

 

「天海」という僧侶については、

Wikiでも以下のような記述があります。

 

天海は前半生に関する史料がほとんど無いものの当時としてはかなりの長寿であり、大師号を贈られるほどの高僧になった。

 

そして、

天海=光秀説というのはわりと有名らしく、

 

本書でも、

解説で以下のように紹介されています。

 

江戸寛永寺開山で、比叡山で仏典をきわめ、徳川家康の信任厚かった名僧、天海僧正の前半生は全く不明であって、不思議なことに、天海僧正と光秀が、大永六年(1526)に生まれており、光秀の小栗栖遭難が五十七歳として、天海僧正が死んだ寛永二十年(1643)までの六十一年を加算すると、天海僧正の死亡時の年齢にほぼピッタリするという。

 

Wikiでは、

次のような根拠が挙げられていました。

 

日光東照宮の陽明門にある随身像や建物の多くに、光秀の家紋である桔梗の紋がかたどられている

・光秀が亡くなったとされる年(1582)以降に、比叡山の松禅寺に「慶長二十年(1615)、奉寄進願主光秀」と彫った石燈籠が残っている

テレビ東京が特番で光秀と天海の筆跡鑑定をしたら、「極めて本人に近い」という結果が出た

 

などなど。

 

もちろん、

反証もあるそうですが。

 

ウソか本当かはわからないけれども、

歴史上の名だたる人物において、

「実は○○だった!」的なストーリーは結構あって、

有名どころでは、

聖徳太子は実在しなかった説や義経ジンギスカン説、

上杉謙信は女だった説、

西郷隆盛フィリピン逃亡説などがありますが、

この光秀=天海説もその一つで、

異説=意外だからこそ面白いわけです。

 

巻末の解説で、

磯貝勝太郎氏も下記のように述べています。

 

歴史的な事実はひとつなのだが、それには表と裏があり、謎や異説がある場合も少なくない。歴史にまつわる謎や、歴史認識、解釈の違いに生じた異説など、歴史には多様な側面があるからこそ、歴史の意外性の面白さがあるのだといえよう。

たとえば、歴史上の英雄や悲劇的な末路をとげたといわれる人物が、死なずに生きていたという生存説の意外性の面白さは、歴史の魅力となってひとびとをひきつける。

 

歴史のこの意外性に、

人物としての意外性が掛けあわせられて、

さらなる意外性を醸し出しているのが、

この『明智光秀』という小説だと思います。

 

人物としての意外性とは、

光秀≠悪者

という観点です。

 

作者は、

光秀が戦国武将にしては珍しい「青白きインテリ」であった

と言っています。

 

信長がもし現代にいたら、ヒットラーなどに比肩する異常者だが、光秀はちがう。勤勉で学問好きで、真面目に生きようとしている。むろん武士として名誉欲も、政治的野心もあるが、歌人であり、ものの哀れを知る男だ。

 

裏切り人として悪名高い明智光秀ですが、

作者自身、

彼を「現代人に近い人物」と評し、

 

明智光秀の悲劇は、あるいは早く生まれすぎたことにあるのかもしれない。

 

と指摘していたのも印象的でした。

 

早乙女さんは、

まんざらウソでもない「意外な生存説」に、

決して悪者ではない光秀の人間的な魅力を伝えたかった

と言っていました。

 

小栗栖の竹藪での土民による暗殺の如何や、首級のことや、光秀と家康の友誼、それから春日局のことなどもあり、一概に否定できない。少なくとも、義経ジンギスカン説や、西郷隆盛フィリピン逃亡説よりは、よりどころがあると思っている。単純な判官びいきからのものではないにしても、しかし、やはり小栗栖であっさり死なせたくない人物であることは確かだ。

 

いやー、

まんまと彼の術中にはまった感じですが、

本当に面白かったです。

 

ちなみに、

同じく早乙女貢さんの『海の琴 (集英社文庫)』という本があるようで、

 

こちらは、

本書で最後、

家康&天海に陥れられた豊臣秀頼が実は生きていた!

という内容で、

この伝奇小説にも惹かれます。

 

また、

本書とは関係ありませんが、

早乙女さんの『会津士魂 (集英社文庫)』という大作も、

異説を問う歴史小説のようで、

こちらも是非読んでみたいと思いました。

 

ちなみのちなみに、

明智光秀の子孫に、

明智憲三郎さんという有名な方がいて、

 

彼はもともとSE(システムエンジニア)なんですが、

いまでも謎が多い本能寺の変を、

独自の研究で解き明かし続けています。

 

※公式ブログ

本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

 

著書『本能寺の変 四二七年目の真実』や、

先の公式ブログでは、

本能寺の変は、本当は信長が家康を討ち取る計画だった

と述べられています。

 

まじか?!

 

これまた面白いわー。 

 

■まとめ:

文体や漢字が難しく肩が凝るが、一章ずつが短めでポンポン読める。再読だったが、相変わらず面白かった。

・面白さのポイントは、2つ。一つは、歴史上、最低の裏切り者のようなレッテルを貼られた明智光秀が、実は決して悪者ではなかったという、意外な人物像が描かれていること。もう一つは、実は光秀は山崎の合戦で死んでおらず、100歳を超えるまで生き延びて、天海僧正として家康の参謀になっていたという異説。これがまた意外で、まんざら嘘でもなさそうなリアリティすら感じられる。

・このように別の角度からみた意外な歴史や人物像を、虚構の人物と実在する人物をうまく交えながら、いかにも真実かのように上手に物語化している。これは早乙女貢の得意とする、歴史小説の技巧なのかもしれない。

 

■カテゴリー:

歴史小説

 

■評価:

★★★★☆

 

▽ペーパー本は、こちら

明智光秀 (文春文庫)

明智光秀 (文春文庫)

 

 

Kindle本は、いまのところ出ていません