神々の山嶺  ★★★★★

夢枕獏さん原作・谷口ジローさん画のマンガ

神々の山嶺(いただき)』

を読了しました。

 

評価は、星5つです。

 

最近、マンガばかり読んでいますが、

このマンガはすごかった!!!

めちゃくちゃ壮絶。

生死をかけた自分との闘い。

 

登山家の話は、

たとえば沢木耕太郎さんの『』や、

浅野忠信さん・香川照之さん主演の映画『劔岳 点の記』などでも、

読んだり観たりしてきましたが、

一番このマンガに引き込まれた気がします。

 

リアルという点では、

100%実話の『凍』や『剱岳』にはかないませんが、

壮絶さ・ハラハラドキドキ感は、

両者を凌ぐ力作だと思います。

 

もちろん原作あってのこのマンガではありますが、

谷口ジローさんの山描きが素晴らしかったです。

 

読み始めたときは、

苦手なタッチだなと思ったのですが、

読み終わったときには、

谷口ジローさんに大喝采を送っていました。笑

 

あとがきで、

原作者の夢枕氏がこんなふうに言っていました。

 

もしも『神々の山嶺』を漫画化する機会があったら、その描き手は谷口ジロー以外にはないと前から考えていた。

圧倒的な山の量感、登山の細やかなディテール、人物の描写ーこれらを描くことが出来る描き手は、そう何人もいるわけではない。その、少ない描き手の中で『神々の山嶺』をぜひ描いていただきたかったのが谷口ジローであった。

 

谷口ジローの山の描写は圧倒的だ。

高度感があって、怖い。

この物語が全巻そろい、谷口ジロー版『神々の山嶺』を通して読んだ時、読者は谷口ジローがどれほど凄い仕事をしたか、おもい知らされることとなるであろう。

 

いや、本当にその通り。

すごい迫力です。

 

絵の迫力だけでなく、

ストーリーもよかったです。

 

山にすべてをかける男たちという人物設定や、

そこにある彼らの人生哲学も奥深かったですし、

猛烈な自然との闘いに、

どうなるどうなる?!

とハラハラドキドキしながらページをめくりました。

 

しかも、

ただの熱血スポコンやアクションだけではありません。

 

登山史上でもいまだに解明されていない、

「マロリーとアーヴィンはエヴェレストに登ったのか登っていないのか?」議論をストーリーの中に内包し、

そのキーとなる(マロリーの)古いカメラが、

主人公たちのあいだを行き来しながら、

物語を上手に運んでいきます。

 

そういう意味では、

ストーリーの構成もとてもよかったです。

 

昭和のおっさんはもちろん、

老若男女問わず、

めちゃくちゃおススメのマンガです。

 

▽内容:

登山家である羽生丈二が、前人未到のエベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂に挑む姿を描く。ストーリーにジョージ・マロリーはエベレストに登頂したのか?という実際の登山界の謎を絡めており、その謎に答えを出しているが、内容はフィクションである。

カトマンドゥの裏街でカメラマン・深町は古いコダックを手に入れる。そのカメラはジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうか、という登攀史上最大の謎を解く可能性を秘めていた。カメラの過去を追って、深町はその男と邂逅する。
その男、羽生丈二。伝説の単独登攀者にして、死なせたパートナーへの罪障感に苦しむ男。羽生が目指しているのは、前人未到のエヴェレスト南西壁冬期無酸素単独登頂だった。生物の生存を許さぬ8000メートルを越える高所での吐息も凍る登攀が開始される。人はなぜ、山に攀るのか?永遠のテーマに、いま答えが提示される。

 

冒頭でも少し触れましたが、

山岳小説といえば、

私はこの3つが思い当たります。

 

◆『孤高の人』/ 新田二郎

登山家・加藤文太郎がモデル

 

◆『劒岳―点の記』/ 新田二郎

柴崎芳太郎@陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)がモデル

 

◆『神々の山嶺』/ 夢枕獏

登山家・森田勝がモデル

 

このほかにも、

井上靖さんの『氷壁』 や、

小説ではありませんが、

前述の沢木さんの『』、

植村直己さんの自伝『青春を山に賭けて

などがありますが、

 

私が実際にちゃんと読んだことがあるのは、

沢木さんの『凍』くらい。笑

 

新田さんの『孤高の人』は、

いつかちゃんと読んでみたいものです。

 

マンガでは、

このへん↓でしょうかね。

 

◆『神々の山嶺』/ 夢枕獏谷口ジロー

 

◆『』/ 石塚真一

 

◆『孤高の人』/ 新田二郎・坂本眞一

 

孤高の人』は、

漫画化もされているようなので、

小説に尻込みしたら、

マンガで読もうと思います。

 

私もハイキング程度の経験こそありますが、

いわゆる本格的な登山はやったことがありません。

強いて言えば、富士山くらい。

 

二年前くらいまで毎年登っていましたが、

毎回、五合目からスタートしていましたし、

登山道もわりと整備されていますし、

あれは本格的な登山とは言えないと思います。

 

たまに、

職場の後輩などが、

「明日、富士山に登るんです!」とか

「昨日、登ってきました!!」とか

息巻いているのを見て、

こいつバカだなー

と鼻で笑っていました。(←最低)

 

でも本当は羨ましかったのかもしれません。

いいなーそんなに楽しめて、と。

 

私の富士登山は、

最初の2,3回を除いては、

もはや夏のルーチンイベントになっていた感じで、

あまりワクワクもドキドキもなく、

ご来光を見ても大して感動もしなくなり、

ただただ寒かったことだけ覚えています。

 

毎回、直前まで仕事をしていて、

ほとんど眠っていないのにもかかわらず、

高度や体力自体はそれほど辛くはなかったのですが、

猛烈な寒さと眠気は辛かった。

 

いわゆる弾丸登山をしていたので、

夜8時くらいから登りはじめ、

一睡もせずに頂上へ行くわけですが、

昨今の富士山の人気上昇にともない、

とにかく登山道が激混み。

 

ちんたら登っては立ち止まり、

また立ち止まってはちょろちょろ進む。

このスピードがたまらなく眠気を誘うのです。

 

だから、

傾斜や道の険しさに起因する、

いわゆる登山の辛さとは違うと思っています。

あれは登山ではなくハイキングに近いのではないでしょうか。

(富士山をまじめに登っている方、ゴメンナサイ)

 

それに比べて、

こちら(神々~)の登山はガチです。

 

もう登場からして、

120%熱血な山男ばかりが登場します。

 

まず、主人公のひとり、

羽生丈二(はぶ じょうじ)。

 

彼は、

一貫して不器用で無骨な登山家。

 

俺から山をとったら何も残らない、

俺には山しかない、

といって、

山に命を懸けている男。

 

いいか山屋は山に登るから山屋なんだ

だから山屋の羽生丈二は山に登るんだ!

何があったっていい!

幸福な時にも山に登る!

不幸な時にだって山に登る!

女がいたって逃げたって山に登っていれば

おれは山屋の羽生丈二だ

山に登らない羽生丈二はただのゴミだ

 

熱い。

あつすぎる。

 

実際に、

こんなヤツが隣にいたら、

うっとおしくて仕方ないと思います。

 

でも、

このストーリーには、

彼のこの一本気な性格が欠かせません。

 

そんな羽生ですから、

なかなか俗世間になじめず、

日本を離れ、

ついにはネパールに密入国して、

前人未到のエヴェレスト南西壁冬期無酸素単独登頂に挑みます。

 

羽生は、

森田勝という実在の登山家がモデルになっていますが、

このエヴェレスト南西壁単独登頂の話は、

どうやらフィクションのようです。

 

ただ、

それ以前の秋季エヴェレスト遠征隊や、

グランドジョラスの冬期単独登頂については、

実話に基づいているようでした。

 

※マンガではエヴェレストで死んだことになっていますが、

 実際の森田は、グランドジョラス再挑戦時に死亡しています。

 

フィクションとはいえ、

「エベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂」、

これがどれくらいスゴイことかというと、

 

まず、

たかだか3,000メートル級の富士山でさえ、

一般の登山者に門戸が開放されているのは、

夏の2か月だけ(7月~9月)。

 

夏場とはいえ、

富士山を登る前は半袖でも、

登り始めたらどんどん寒くなり、

平地との気温差は20度以上になります。

 

ところが、

どんだけ寒いといっても、

しょせん富士山の山頂は、

せいぜい0~6度くらい(たまに氷点下もありますが)。

 

厳冬(1・2月)の富士山だと、

最低気温は-20~30度くらいです。

こうなるともうヤバい。

 

普通に東京で生活していたら、

-20度とかの世界なんてまず経験しないし、

今日やべー、くそ寒い!!

と思っても、

せいぜい2度とか3度です。

 

-20度なんて超絶すぎます。

 

それが真冬の富士山ですが、

対して真冬のエヴェレストとなると、

登山前後の休息地=ベースキャンプ(標高5400m)で、

すでにその気温を下回ります。

 

山頂ともなれば、

日中でも-30~40度近くまで下がるそうです。

(8,000メートルあたりで-36度)

 

-20度ですら想像もできないのに、

それより低いってもうどんなだよ?!

という感じです。

 

しかも、

この本によれば、

人間が順応できる高度の限界は6500mなんだそうです。

6500mを超えると、

どんなに順応がうまくいっても、

何もしないで眠っているだけでどんどん疲労していくのだとか。

 

8000mなんて越えちゃったときには、

 

そこは もう人間の生きられる場所じゃない

 

そうです。

 

そんなところに酸素ナシで行くとなれば、

当然長くは留まれないわけで、

必然的に短時間で登らなければいけません。

 

そもそも、

 

(通常のキャラバン方式において)

ある個人が8000m峰の登頂という結果にたどりつくまでには、実に様々な力学に支配される

 

と本書では言っています。

 

その力学とは、 

①遠征隊に選ばれること

②屈強な体力と健康

③強い意志力

④怪我

⑤人脈・人望

⑥運

です。

 

これが「無酸素」という条件になると、

②・③・④に関して、

よりレベルアップしたものが求められることになるわけです。

 

さらに「単独行」ともなれば、

①(遠征隊)こそ関係なくなるとはいえ、

もっともっとレベルアップをしなければいけない。

 

単独登頂が成功する条件のひとつとして

ベースキャンプより上部については

いっさい他者の協力を得てはいけないという暗黙の了解がある。

 

なので、

単独行の場合、

ベースキャンプから上は、

自分ひとりで荷揚げをしなければなりません。

 

その重量は、

25㎏以上にもなるのだとか。

 

25kgって。。。

もう超人ですよ。

小学校低学年の子供ひとり背負っているようなもんです。

 

羽生は言います、

 

たとえスポンサーがついていたって

酸素をどれだけ使ったって

何人の人間と一緒にやろうが

そう簡単に落とせるものじゃないんだ

エヴェレストの南西壁はね

それも酸素なしでやる

それができるのは一生に一度か二度だ。

 

羽生は、

この冬期単独無酸素登山のために、

トレーニングを積み重ね、

8年の歳月を経て、

ようやく挑むわけです。

 

技術・体力・山での経験は言うまでもない

高度順応・体調も万全であること、

さらにエヴェレスト付近の地理・天候に熟知、

そして最後には人間の手から離れた力が

その人間に味方してくれるかどうかである

それらの要素が全て欠けることなしにあって

初めて登頂の可能性が見えてくる

それが冬期エヴェレスト南西壁無酸素単独登頂である

 

それは人類という種が

おそらく単独でできるぎりぎりの行為である

それを成し遂げるには

その行為者が神に愛されねばならない

それは神の領域に入ってゆくことであり

神の意志に自らを委ねることになる

 

ここからはもう、

ページをめくる手が止まらない!

 

平均傾斜45度の急勾配、

リザードとの格闘、

酸素は地上の3分の1、

乾いた冷気に喉の粘膜をやられて咳が止まらなかったり、

体力の消耗で幻覚・幻聴に苦しみ、

寒さと飢えに耐えびます。

 

やっとの思いで頂上にたどりついても、

低酸素症に冒され、

まわりが夜のように暗い。

 

もはや足腰に力が入らず、

立ち上がることもままならない。

 

それでも羽生は自らを鼓舞します。

 

このシーンは本当にヤバい。

 

さあ…立て たちあがれ

体力がひとしずくだってのこっているうちは

ねむるなんてゆるさないぞ ゆるさない

足が動かなければ 手であるけ

てがうごかなければ ゆびでゆけ

ゆびが動かなければ

歯で雪をゆきをかみながらあるけ

はもだめなら 目であるけ

目でゆけ 目でゆくんだ

めでにらみつけながらあるけ

めでもだめだったら

それでも なんでもかんでも

どうしようもなくなったら

ほんとうに ほんとうに

ほんとうの ほんとうに

どうしようもなくなったら

もうほんとうに

こんかぎり あるこうとしてもだめだったら

思え

ありったけのこころでおもえ

想え

 

特に、

「ほんとうに ほんとうに~」からの部分。

 

まるで、

すぐ目の前で羽生さんが闘っているかのようなんです。

思わず自分も歯を食いしばって、

羽生さん頑張れ!!負けんな!!

と応援しているんです。

 

そして、

「想え」という一言。

 

「思え」じゃない。

「想え」なんです。

 

深いなー。

 

どれだけ身体がダメになろうと、

最後は想像でもいいから、

意志だけは捨てずに諦めるな!

という意味だと勝手に解釈していますが、

 

このシーンも、

本書のなかでもベスト3に入る

ものすごい臨場感でした。

 

さて、

その羽生の挑戦を最後まで見届けようと、

エヴェレストに足を踏み入れたのが、

もう一人の主人公=カメラマン兼クライマーの深町誠

 

 

深町は、

一足先にベースキャンプ入りし、

羽生の到着を待ちます。

 

シーズンオフのこの時期、

通りかかるのはトレッカーくらい。

彼はただひとり山々に囲まれ、

自然の雄大さに圧倒されます。

 

山がある

山がある

泣きたくなるような山がある

清い山がある

哀しい山がある

 

成層圏の嵐を岩が呼吸している

雪が凍てついた大気の中で時間を噛む

ぽつんと深町がいる

ぽつんと深町がある

ヌプツェの巨大な岩峰が深町の前にある

その手前のすぐそこがアイスフォールだ

エヴェレストの頂に積もった雪が

氷となってここまでたどりつくのに1500年

その時間その歳月の中に深町はいる

アイスフォールの下

ただひとり深町はそこで天を呼吸している

 

ポエムのようなこの文章もさることながら、

またそのときの風景描写がすごい。

まるで目の前で自分が圧倒されているような臨場感。

ただのマンガなのに。

 

もちろん雄大さだけはありません。

山の恐ろしさ・危なっかしさも、

谷口氏は超絶リアルに描いています。

 

エヴェレストは生きている。

 

そう、本当に生きているかのように。

 

人間に喜怒哀楽があるように、

山もまた感情をもつ一個の生命体かのように、

描かれているのです。

ただのマンガなのに。

 

深町もまた、

一人のクライマーとして、

山を追い求めてきました。

 

あと何年か何十年かわからないが生きてゆかねばならない

死ぬまでその時間を何かで埋めなければならない

どうせその時間を埋めるなら

たどり着けない納得

何だかわからないがあるかもしれない答え

踏めないかもしれない頂に向かって踏みだしてゆくこと

そのようなもので埋めるのが自分のやりかただろう

 

蒼天の虚空に吹きさらしになっている一点

この地上にただひとつしかない場所

地の頂

そこにこだわりつづけていたい

 

羽生と深町のそれぞれの、

山に対する思いや取り組み方は違えども、

自分の存在意義をそこに求めているのは同じでした。

 

自分の存在する意味がわからない、

でもわかりたい、

生きる意味を知りたい、

悩んでいたくない、

生きるってすごく苦しいけれど、

でも逃げたくもない、

逃げる自分も許せない、

だから山に登る。

 

山を登ること・頂を制覇するということは、

自分の煩悩を拭い去ること。

 

別に何か具体的に解決するわけではないけれど、

登ることでその悩みを忘れ、

頂を踏むことで悩んでいたという行為すらどうでもよくなる。

 

彼らは、

自分のなかにある「人生」という答えのない戦場を、

目に見えるところに置き換えて、

闘いたかったんだと思います。

 

本書では、

人はなぜ山に登るのか?

というお決まりの問いかけが何度も出てきます。

 

「そこに山があるから」

と言ったのは、

このマンガのなかでも登場する、

登山家ジョージ=マロリーですが、

 

羽生さんは違う。

 

少なくとも俺は違うね

そこに山があったからじゃない

ここにおれがいるからだ

 

すごい名言。

こんなことを言わせちゃう夢枕氏と谷口氏もすごい。

 

おれにはこれしかなかった…

これしかないから山をやっているんだ

なにかをしていないと自分が壊れてしまいそうだった

だからがむしゃらに山に登った

 

これが羽生丈二。

男・羽生丈二。

 

深町もまた、

羽生に同行して、

いまだ経験したことのない高度と険しい山登りに耐えながら、

ずっと自分に問いつづけます。

 

何故登るのか

何故おれは上にゆこうとしているのだろう

こんな思いをしてまで

”山に何かいいものでも落ちていると思ったか”

”山に行けば生き甲斐でも見つかると思ったか”

見つかりはしない

山にはどういうものも落ちてはいない

あるとすれば

それは自分の内部にある

たぶんそれは

自分の内部に眠っている鉱脈を探しにゆく行為のようなものだ

頂を目指すというその行為こそが答えなのかもしれない

 

そもそもこれは山ではなくともいいんだ

じゃあ人は何のために生きているんだ

何故人は生きている?

何を目的に生きている?

 

たぶん人生に目的なんかなくて、

多くの人にとって、

それはわからなくて、

 

とりわけ羽生や深町は、

そのことでずっと悩んできたんだけれど、

 

もう悩むことすらイヤで。

かといって逃げたくもないし、

頑張っている自分でありたい。

 

ぬるま湯につかっててもいいのに、

ぬるま湯につかっていると日々の雑念にとらわれてしまう。

 

だから、

別の何かに夢中になっていたい。

 

山に生き甲斐なんて落ちてはいないんだけど、

そんなことはわかっちゃいるんだけど、

それを探しにいくことが生き甲斐になる。

 

だから彼らは山に登る。

 

彼らにとって登山とは、

実は人生の逃避行でもあるんじゃないか?

とすら思ったくらいです。

 

私は、

深町さんが羽生さんについて、

このように言っていたのが印象的でした。

 

今はわかる…

羽生という獣が

どれだけ痛みに敏感でどれだけ傷つきやすかったか

我儘で純粋

痛みを絶対に忘れない

その痛みで生きている

 

 「痛みで生きている」なんて、

どこかで聞いたことあるなーと思ったら、

 

つい最近読んだばかりの、

腰痛は〈怒り〉である』のなかで触れられていました。

 

この本は、

従来の腰痛に対する原因と治療法の常識を真っ向から覆し、

心のケアをすることで、

身体の痛みを克服できることを説明しているのですが、

その心のケアとなる治療プログラムをいくら施しても、

効果を得られない患者さんがいる

と言っていました。

 

これは「痛みに生きる人」と呼ばれる患者さんたちで、

幼少期に愛情の断絶を経験している人に多く、

彼らは他人から拒絶されたり、

拒絶される不安を常に抱えているために、

対人関係においても攻撃的になりやすく、

社会的に孤立化しやすいし、

自分にも自信が持てていない、

ということが書かれていました。

 

そういった「痛みに生きる人」は、

心の痛みのかわりに身体に痛みを抱えて生きるのだそうです。

 

しかもそれは、

「抱える」なんて甘っちょろいものではなく、

「抱えることに矜持して固執する」くらいです。

 

自己の生存理由と社会的役割を証明する最後の手段となるのが、痛みへの固執。それは身体的・器質的痛みでなければならず、慢性的に自己評価が低い現実世界において、(そこから注意をそらすために)痛みは生きていくうえで必要不可欠。

 

羽生丈二もまた、

幼少期に両親の愛情が断絶されており、

「痛みに生きる」しかなくなってしまったのかもしれません。

 

彼の場合はそれを、

山と闘うことで「痛み」を感じ、

自分は生きていることを実感したかったのではないかと。

 

ここまでくると、

もはや一種の自傷行為とも言えますが。 

 

さて、

撮るべき人間(羽生)を失い、

中途半端に山を下りて帰国した深町は、

しばらくしてから気づきます。

 

まだ何も終わっていない

まだ自分は旅の途中なのだ。

 

そして今度は、

羽生の追っかけとしてではなく、

自分のために、

再び頂上を目指してエヴェレストに挑みます。

 

今回は、

ノーマルルートですが、

それでも苦しい苦しい闘いです。

 

ようやく目の前が開けてきて、

もうすぐそこに頂上は見えているというところになっても、

彼はまた自問を続けます。

 

何故歩く 何のために

あの頂に立ったって答えなんかない

…もうわかっている

じゃあ何故登る

何故そこへゆこうとするんだ

 

ここから先のシーンも、

めちゃくちゃ臨場感ありました。

 

見える!見えるぞ!!

もう俺の眼の方が頂よりも高い

もう少しだ

 

そしてついに、

彼は念願の頂上を踏みます。

 

なにかが…身体の中を這いあがってくる

背骨を 血管を

こ、これは…

なんだこの感覚は…!?

 

天が青い 美しい

ローツェもヌプツェもプモリも見える

あらゆる風景が広がっている

何という風景だろう

…胸が…腹が…腰が…膝が

太いものが背を突き抜けて脳天を走り抜けた

 

そして…

おれは地球を踏んだ

 

ここで

頂上のシーンがドーン!!!

 

まじ、圧巻です。

言葉でないです。

これ、マンガです。笑

 

「地球を踏んだ」って。

 

普通の人、絶対言えないです。

 

何故山に登るのか

何故生きるのか

そんな問いも答えもゴミのように消えて

蒼天に身体と意識が突き抜ける 

 

深町や羽生が追い求めていたのは、

これかもしれません。

 

実は、

何もないこと。

何でもないこと。

 

でも、

答えがないものをさがすことに意味がある

と知ること。

 

頂を踏むことで、

やっぱり答えなんてなかったんだと、

自分を納得もさせたい。

 

その瞬間、

迷いはゴミのように消える。

 

悩んでいたことがちっぽけに思える。

 

羽生や深町にとっては

山を登るということがそれでしたが、

 

私たちもまた、

彼らほど壮絶ではないにせよ、

常に生き甲斐を探しているし、

誰もが煩悩を抱えて生きています。

 

そして、

その煩悩から解かれたいと思っている。

 

生き甲斐のために、

オレこれ頑張っていますと言いたい。

少なくとも自分には言いたい。

 

なにで?

仕事で、家族で、趣味で…などなど。

 

でも悩む。

 

頑張ってるって思っていても、

常に悩んでいる。

 

本当にこれでいいのかな、

これが自分のやりたいことなのかな、

どうしてほかの人はうまくできているのに、

自分はできないのかな。

 

どうしてこの子は言うことを聞かないんだろう。

どうしてほかの子みたいに素直じゃないんだろう。

どうしてこの子に優しくできないんだろう。

 

どれだけ手に入れても、

どれだけ誇りに思っていても、

たりない・満足できない・思い通りにいかない。

 

それがイヤだから、

また別の努力をしたり、

忘れるために気晴らしをしたり、

悩みから逃れようとするわけです。

 

人生はそんなことの繰り返し。

結局、ゴールはないのかもしれません。

 

強いて言えば、

死ぬときに、

自分の人生なんてなんていうこともなかったんだな、

と悟ることがゴールなのかもしれませんね。

 

深町が山頂に立った時に感じたものと同じように。

 

そして、

そうなればもう神の境地なんだと思います。

 

■まとめ:

・フィクションの部分も多いマンガとはいえ、いままで観たり読んだりしたどの山岳作品よりもリアルで臨場感があり、主人公らの山に対する壮絶かつ深い想いを感じた。

・ストーリー、絵、登場人物のどれをとっても完璧だった。ハラハラドキドキしながら読めるし、感情移入しやすかった。それだけに、最後の力をふりしぼって頂上にたつシーンや、まるで生きているかのように山の喜怒哀楽を描いているシーンは、圧巻。

・「人はなぜ山に登るのか?」「人はなぜ生きるのか?」について、ものすごく考えさせられる作品。

 

■カテゴリー:

マンガ

 

■評価:

★★★★★

 

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