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日本人と神様  ★★★★☆

櫻井治男さん著

『日本人と神様 ゆるやかで強い絆の理由』

を読了しました。

 

評価は、星4つです。

 

神道では、

「八百万(やおろず)の神」といわれるくらい、

神様の種類が多いわけですが、

 

この本では、

それぞれの神様や神社の役割、

神職の歴史や種類などを紹介しており、

神道と日本人の結びつき方について、

わかりやすく説明しています。

 

先日読んだ、

武光誠さんの『日本人のための神道入門』も相当わかりやすかったですが、

この櫻井治男さんも非常に平易な言葉で書いてくれていて、

宗教とか神道と聞くとなんだか難しそうですが、

こちらはさらっと読めてよかったです。

 

▽内容:

初詣、七五三、厄祓い…人生の節目ごとに、気軽に神社を訪れる私たち日本人。しかし、神社へのお参りにはどんな意味があるのか、日本の神様が八百万といわれるほど多いのはなぜかなど、詳しいことはほとんどの人が知らない―。このゆるやかな結びつきは一体どこからくるのか?日本人独特の神様とのつき合い方がわかる一冊。

 

著者の櫻井治男さんは、

京都のご出身で、

皇學館大学というところの教授だそうです。

 

皇學館大学って私は聞いたことがなかったんですが、

神主さんのような、いわゆる「神職」にたずさわる人たちを

養成する大学なんだそうです。

伊勢神宮に近い、三重県伊勢市にあります。

 

この「神職」について、

著者は以下のように説明されていました。

 

神社での儀式を執り行い、神社の管理・運営に携わる人を総称して、「神職」と呼んでいます。(中略)

神職の大きな、そしてもっとも重要な役割は、神様に対する奉仕です。奉仕とは、すなわち祭祀を行って、神様と私たちとの仲立ちを務めることです。(中略)

一般的には「神主」や「禰宜」「宮司」と呼ばれることが多く、土地によっては「太夫」「横屋」と呼ばれる場合もあります。

 

「神主」とか「宮司」はよく聞きますが、

禰宜」や「太夫」も神職の1つだったんですね。

 

ちなみに、

この「神職」に就くには、

「階位」という資格が必要なんだそうで、

 

その「階位」には、

上から、

「浄」「明」「正」「権正」「直」の5つのランクがあるのだとか。

 

また、

年齢や経歴・功績などによって級数も決められているようで、

神社の神職さんの袴の色が人によって違うのは、

実はこの「級」による違いがあるそうです。

 

皇學館のほかには、

東京の国学院大学が養成機関にあたり、

神社本庁が規定する課程を修める必要があるんだとか。

 

ちなみに、

神職の養成課程は大きく次の3つがあるそうで、

 

①講義

神道史・神典・祭祀・神学・宗教学・情報処理・教化

 

②祭式

行事の作法を実践的に学ぶ

 

③神務実習

各地の神社で実際の神職の仕事を体験

 

これらの課程を経て、

ようやく階位を得るスタートラインに立てるのだとか。

 

へぇー。

 

著者は、

その皇學館大學の文学部で教鞭をとられており、

ご専攻は宗教社会学・神社祭祀研究で、

その道においては、

「泰斗」(=権威)とも言われる存在なのだそうです。

 

へぇー。

 

その櫻井先生によると、

神様にはそれぞれ役割があって、

この本のなかでは以下のようにカテゴライズしています。

 

氏神様=地域・一族の神

 -藤原氏春日大社

 -平家→厳島神社

 -皇祖神→伊勢神宮

 

②機能神=特別な機能をもち願いを叶える神

 ーお稲荷さま:商売繁盛(京都伏見稲荷大社

 ー八幡さま:勝負運・開運(大分宇佐神宮

 ー天神さま:学問の神(福岡太宰府天満宮

 -大国主神:縁結び(出雲大社

 -七福神:開運招福

 

③霊威神=荒ぶる魂をもち脅威を与える神

 -悪疫・災いを祓う→八坂神社

 -たたりを鎮め、御霊を慰める→北野天満宮・東京招魂社(靖国神社

 -遺徳・偉業を称える→明治神宮・豊国神社(秀吉)・東照宮(家康)・乃木神社

 

④生活神=日々の暮らしを守る神

 -水の神(龍神・蛇神もこの1つ)

 -火の神(竈神・荒神

 -山の神

 -道の神(道祖神塞の神・歳の神)

 -家の神(厠神・箒神・納戸神)

 

もともと、

多くの神様は日々の暮らしのなかにいて、

とくに固有の名前はつけられていなかった。

 

神様という存在の捉え方・理解の仕方が、

時代の流れとともに少しずつ変化を遂げていったことで、

 

神話(神様の物語)がつくられたり、

自らの存在意義(ルーツ)を神様にあるとしたりして、

 

「名もなき神様」だったものの一部が、

「名前を意識される神様」に変遷していったそうです。

 

神様の捉え方だけでなく、

神様に会える場所としてつくられた「神社」もまた、

時代の流れ・人々のニーズとともに、

変容をしていきました。

 

ときの権力者や特定の団体によって、

日本の神様や神社が、

政治的・経済的に利用されてきたのは、

前読『日本人のための神道入門』にも記されていましたが、

 

おもしろかったのは、

ベイスターズの伝説の抑え投手、

佐々木主浩をご祭神とする横浜のハマの大魔神社と、

サザンの活動再開を祈願して建てられた茅ヶ崎サザン神社」の話。

 

これらについて、

著者は以下のように言っていましたが、

 

商店街の活性化や経済効果を期待する意識、願いと、何か晴れやかなことに関心を寄せるフィーリングが合致して生み出されたものと言えます。

 

悪く言ってしまえば、

球団や商店街という団体が、

人々の願いにかこつけて、

「神社」というものを経済的に利用している一例かもしれません。

 

そういうのって、

今も昔もかわらないのかも。

昔のほうが「あからさまな」だけで。

 

フラットに考えると、

ある意味、

神社(というか宗教)も、

需要と供給の上に成り立っているのかもしれません。

ここでいう供給とは、

願いをかなえるということではなく、

受け止めるということですが。

 

いずれにしても、

神社は本来、

神様と出会う場所・祀る場所として、

建てられ・維持されてきたわけですが、

 

その神社だって、

小さな祠やお堂・お社から荘厳な建物まで

そのスタイルは決して一様ではなく、

いま私たちが「神社」と認識しているものだけがすべてではないようです。

 

そもそも農耕生活を続けるには、

集団生活を維持する装置が必要で、

 

そこで「土地に宿り人々を守る神様を祀り、崇める」というシステムや儀礼が生まれたのでしょう。(中略)

そのために祭りが行われ、小さな祠が建てられた…おそらくそれがお宮の、そして神社の始まりだと思われます。

 

筆者によると、

いま私たちが「神社」と認識しているものは、

 

中世以降になって「神社はそういう形がふさわしい」と、人々の間で意識されるようになってからのこと

 

だそうで、

 

それ以前は、

最初から、そうした神様を祀る建物として、

神社がわざわざ建てられていたわけではなく、

 

儀礼(祭り)が続けられるうちに、

場が調えられ、

神様を雨ざらしにしておくわけにはいかないと、

社や社殿に発展していった

ということです。

 

こうした社殿が意識されるようになった背景に、

当時大陸から渡ってきた仏教が影響していたと

著者は述べています。

 

これは『日本人と神道』でも同じようなことが書かれていましたが、

 

要は、

生まれたときからそこにあるのが当たり前すぎて、

もともと「カタチ」があまり意識されていなかった土着信仰が、

仏教という異国の神様が入ってきたことで、

その建物(神社)を含めて急に「カタチ」が意識されるようになり、

政治にも利用されつつ、

どんどん体系化されていった

…というのが神道の大筋といったところでしょうか。

 

この体系化のひとつが、

神社の格付け(制度)であり、

その歴史は平安時代にまでさかのぼります。

 

当時、

国家で認められた神社は式内社と呼ばれ、

朝廷の基準に基づいて、

重要度ランキングが付与されていたそうです。

 

明治になって、

「近代社格制度」のもと、

国家による神社の管理と格付けが再編されます。

 

現在の一般的な神社の形、

すなわち、

本殿・拝殿・鳥居が必須であるとする基準が設けられたのは、

このときだそうです。

 

こうした政府による神社行政は、

やがて天皇を中心とする国家づくりに活用され、

天皇=神とする国家神道へと発展していくわけです。

 

ここで興味深かったのは、

 

こうした近代の時期は「国家神道の時代」と呼ばれ、神社は優遇されて、国民の神社参拝が強要されたと指弾されますが、一方で村の氏神様が国の政策によって合併廃止された事件なども起こっており、その捉え方や評価には慎重さが必要です。

 

と著者が述べられていたことです。

 

私たちはわりと、

国家による神道一辺倒のアブナイ時代があったと認識しがちですが、

国家によって利用されたのは一部の神道であり、

同じ神道といえども国家の政策に合わないものは、

弾圧されていたのですね。

 

ここは、

是非詳細を知りたいものです。

 

さて、

櫻井氏によると、

神社には3つの資源があると言っています。

 

①森や林、山、川や泉、海といった自然的環境資源

②祭りをはじめ、伝統的な民族芸能や遊びなど様々な文化の伝承・創造環境資源

③神社を中心として結ばれる、地域の人々の結びつきや神職・氏子の絆という、人的・社会的環境資源

 

①は、

神道の根底にある自然崇拝や、

神社そのものへの敬意・畏怖によって、

その資源は維持されており、

 

神社があることで、

土地開発や自然破壊から免れてきた

としています。

 

②③は、

「祭り」によって、

その資源は維持されており、

 

神社はその「祭り」の舞台として、

コミュニティをつくり・維持する場を提供してきた

と言っています。

 

この「祭り」について、

筆者はわりと深く考察しており、

信仰(神社・祭り)と社会(コミュニティ)の関連性を見出しています。

さすが宗教社会学の専門家。

 

彼による「祭り」の捉え方はこうです。

 

一つ目は、

神様に神職たちが直接向き合い、

おごそかに神事をとりおこなう「静」の場面と、

 

一方で、

神威の発現を待ち神様を喜ばせるために、

舞や踊りで晴れやかな技芸をする「動」の場面があり、

 

祭りは、

この「静」と「動」が一体化したドラマである

というとらえ方。

 

二つ目は、

「時」「場」「人」の三つの要素において、

いつもの「日常」が「非日常」にかわるというとらえ方。

 

いつもやっているお祈りだけど、

祭りにおいてはより荘厳に、華やかに行われる。

 

いつもの通っている道が、

神輿や行列が通る臨時の聖域にかわる。

 

いつもはただの子供・老人だけど、

お祭りのときは神童・仙人扱いされる。

 

そして3つめは、

祭りは人をつなぎ、育てるというとらえ方。

 

祭りの時と場を共有することで、

人々の一体感・結束力は高まり、

「つながり」をもつことができる。

 

そして、

それは人間形成をもたらすことにもなる。

 

つながることで個々人の協調性が芽生え、

子供やお年寄りを大事にするという、

弱者へのいたわりが育まれる。

 

筆者は、

旧来の共同社会が崩れつつあるいま、

祭りの持つ役割は貴重だと言っていました。

 

いま、コミュニケーション能力の乏しい人が増えているといわれますが、祭りはまさに、その能力を培うことのできる場ではないでしょうか。そんなことを期待しながら、神社を訪ね、祭りに参加してみてもいいかもしれませんね。

 

本来は、

「祭り」あっての神社だったと思いますが、

いまは、

「神社」あっての祭りのようにも思います。

 

もしくは一般的に、

そうとらえられていることのほうが多いのではないでしょうか。

 

「神社」があるからお祭りがある。

「神社」を中心にお祭りが開催される。

 

いずれにしても、

 

そのお祭りには、

ふだん味わえない非日常性があるだけでなく、

現在、薄れつつある人と人とのつながりもあって、

楽しみながら観たり参加したりすることができるわけで、

 

そう考えると、

地域社会における神社の役割って、

バカにできないなと思いました。

 

なかば意識的にコミュニティへの参加を促すお祭りと、

気づいたらコミュニティに参加する場が用意されている神社。

 

個人主義がはびこるいま、

コミュニティを維持していこうという強い力が続かない限り、

祭りがなくなっても神社はなくならないと思いますが、

神社がなくなると祭りがなくなるような気がしました。

 

実際、著者も、

今村晴彦・金子郁容氏たちが書いた本

コミュニティのちから―“遠慮がちな”ソーシャル・キャピタルの発見

のサブタイトルを例に挙げ、

 

この「ソーシャル・キャピタル」を、

具体的に、

社会や地域における人々の信頼関係や結びつき、お互いの責任感を資源として捉える概念のこと

と定義したうえで、

 

神社の場合は、

「控えめなソーシャル・キャピタル」を有している

と述べています。

 

自ら強くアピールすることはないけれど、実際としては人と人の気持ちを結び、コミュニティの結束を強めるという働きを持つ社会的資源といえましょう。

 

神社あってのお祭り、

神社あっての地域社会のコミュニティ維持。

 

神社は、

公民館やスポーツセンターのように、

そこに住む人々の交流の場になりえていて、

 

公民館やスポーツセンターと違うのは、

神や自然を畏敬するという見えない信仰によって

結びついているということ。

 

我が家のちかくの神社では、

毎週日曜日になると、

インドネシア民族音楽ガムラン」を練習するために、

仲間たちが境内にあつまり夕方から夜にかけて演奏しています。

 

バリ島なんかにいくと、

しょっちゅうこの音楽を聴きますが、

毎週日曜はこの音楽のおかげで、

自宅にいながらバリ気分♪を味わえます。

これぞまさに、日常のなかの非日常。

 

神社は、

そうした非日常を提供するだけでなく、

 

一方で、

演奏している人たちにしてみても、

好きな音楽と神様に対するおごそかな気持ちを共有し、

彼らは結束しているわけで、

神社はその場を提供していると言える。

 

そして、

この本のサブタイトル

「ゆるやかで強い絆の理由」

もまた、

 

おそらく、

先の「遠慮しがちなソーシャル・キャピタルというサブタイトルに

大いに影響を受けているものと思われます。

 

控えめな存在の神社と、

人々と神々との結びつき。

 

それは非常に「ゆるやか」です。

 

神道では、

べつの神様やほかの宗教の神様を一緒に祀ってもいいし、

もともと教義や経典もない。

 

日本の神様は寛大です。地域や一族にとって「至高神」であるはずの氏神様も、人々が自分の都合で特別な機能を持つ神様にお参りしても、怒ったりなさいません。むしろ、他の神様に得意分野があるならば、それに関しては任せてしまおうというくらいの気持ちなのかもしれません。

 

他の神様を一緒に祀ってもかまわない、という神道の懐の深さと日本人の柔軟さを感じてしまう

 

武光誠さんの『日本人のための神道入門』でも、

「なんでもアリ」なところが神道の特徴とされていましたが、

こちらの本では、

その表現を「ゆるやか」と置き換えているだけ。

 

でも、

その絆(=粘着力)は強い。

 

ただ、

ゆるやかさについては、

非常に詳しく説明されていましたが、

この信仰の「強さ」については、

私は少し説明が足りていないかなと感じました。

 

「強さ」の理由のひとつに、

日本の神様のもつ二面性があるのはわかりました。

 

とても怖い存在ではあるけれど、敬い、大切にすれば村の暮らしを守ってくださる。(中略)「厳しさ」と「やさしさ」という二面性を持っているのが日本の神様の特徴の一つ、と言えるかもしれません。

 

でもこれって、

日本じゃなくても、

土着信仰ではよくある考え方だし、

キリスト教とかゾロアスター教でも善悪二元論があるわけで、

ちょっと根拠としては薄いかなと思います。

 

また、

古くからの歴史というか、

信仰が意識されずとも、

身近なところに残っている儀礼(風習)が守られてきたことも、

強さの要因のひとつとして挙げられていると思いますが、

 

それがなぜ「ゆるやかで強い絆の理由」に結びつくのかは、

いまいちよくわかりませんでした。

 

端的にいうと、

「ゆるやかで強い絆がある」ことはよくわかりましたが、

「ゆるやかで強い絆の理由」はわかりづらいかなと。

 

いっそ、

サブタイトルを「ゆるやかで強い絆」としたほうがよかったかも。笑

 

ということで、

評価をマイナス1つ星にしました。

 

次回は、

この「強さ」について、

はっきり解明してくれる本を読んでみたいです。

 

 

以下は、自身のための備忘録です。

 

・神社の名称は「社号」といい、主に、「神社」のほか「神宮」「大神宮」「宮」「大社」「社」の6つがあり、神社の歴史や由緒、祀られている神様によって使い分けられている。

 

・他の神社から分霊を受けてくることを「勧請」といい、勧請した神社は「分祀」「分社」「今宮」などと呼ばれる。

 

神仏習合思想の広まりのなかで、「日本の神様の本来の姿は仏であり、人々を救うために仏や菩薩は神様に姿を変えて現れる」とする本地垂迹説が生まれた。神と仏は一体といえども、実際には仏が本地(主役)で、神様はその脇役とされた。

 

神職の装束は、「衣冠」が正装、礼服は「斎服」、常装は「狩衣」。衣冠は平安時代に宮中に仕えた貴族の服装、狩衣は狩猟の際の服装。身分によって色が異なるのは、衣冠と狩衣の袴で、斎服は身分にかかわらず白。

 

・近世(室町期)に、神祇官の卜部職(占いで国家の大事を決める)にあった京都の吉田家が全国の神社の支配を強化。吉田家は代々、卜部職に就いていて、吉田兼好もこの一族。吉田家のほか、白河家も勢力を拡大。明治維新後、神職が政府の管理下におかれると、吉田家・白河家による神職支配は廃止された。

 

・巫女さんは神職ではなく、神職をサポートし、舞や学を奉納するのが本来の仕事。明治時代は女性の神職就任は禁止されていたが、現在は女性でも神職に就くことは可能(ただし、受け入れ先は少ない)。江戸時代までは伊勢神宮鹿島神宮では「物忌」、賀茂神社では「忌子」と呼ばれる女性神職が存在した。

 

伊勢神宮には「斎王」と呼ばれる女性がいて、天皇にかわって神宮の重要な祭祀をとりおこなっていた。斎王は代々、未婚の皇族女性が選ばれ、発端は、壬申の乱に勝った天武天皇が、天照大神に感謝して大伯皇女(おおくのひめみこ)を神に奉仕する使いとして伊勢に派遣したことが始まりとされる。

 

・斎王制度は、13世紀前半に廃止され、かわりに「祭主」と呼ばれる職が置かれ、大中臣(おおなかとみ)氏という貴族のなかから男性が任命され、勅使として神官の祭りにたずさわる。明治以降は、新たな神宮制度のもと、祭主職がおかれ、男性皇族が就いていたが、第二次大戦後は元皇族の女性がその任にあたるように。現在の祭主は、昭和天皇の四女・池田厚子氏。

 

・鳥居は、人間の暮らす世界と、神様がいる世界の境界に立てられ、神域の出入り口とされる。

 

・手水の儀礼は、参拝前の準備として罪穢を水で洗い流し、心身を清めることが目的。一連の作法は、ひしゃくにすくった一杯の水で行うのが原則。

 

・参道は神様にお参りするための道で、真ん中(正中)は神様の通り道とされるため、通るときはそこを避けるのが礼儀。

 

・明治以降、参拝は「二拝二拍手一拝」が基準とされているが、拍手の回数は必ずしも二度ではなく、神社によって異なることもある。出雲大社宇佐神宮では四度。

 

・「還暦」(60歳)は、生まれたときの干支に還ると考えられている。生まれたばかりの赤ちゃんに戻ること=新しく生まれ変わるという意味があり、江戸時代以降、還暦のお祝いが盛んになった。

 

キリスト教では「原罪」といって、人はもともと罪を背負った存在で、それを消し去ることはできないとされているが、日本の神道では、犯してしまった罪や穢れを捨て去り、反省して身も心も清めれば、また新たなステージで人生をやり直すことができるとされている。

 

・定期的に罪穢をおとすため、六月と十二月には「大祓」が行われる。6月は時期的に疫病が流行りやすく、12月は一年の総決算として祓いの時期に妥当と考えられた。6月の大祓は「夏越祓」といって、人の形に切った白紙を身代りにして半年間の罪穢を祓うとともに、茅の輪を三回廻って穢れを祓う。12月は「年越祓」で心身ともに清らかな状態で新年を迎えるための儀式。

 

■まとめ:

・それぞれの神様や神社の役割、神職の歴史や種類などを紹介しており、神道と日本人の結びつき方について、わかりやすく説明している。

・とくに現在の神社の役割について、著者は重要視しており、現代社会のコミュニティ形成や維持という面で、控えめながらも大いに貢献していると述べていた(控えめなソーシャル・キャピタル)。

・サブタイトルに「ゆるやかで強い絆の理由」とあるが、「ゆるやかで強い絆がある」ことはよくわかったけれど、「ゆるやかで強い絆の理由」はわかりづらい。特に、「強い」理由については、説明が足りていないと感じた。

 

■カテゴリー:

宗教

 

■評価:

★★★★☆

 

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