ようこそ、わが家へ   ★★★★☆

池井戸潤さんのミステリー

『ようこそ、わが家へ』

を読み終えました。

 

評価は、星4つです。

 

いまや、

飛ぶ鳥を落とす勢いの池井戸さん。

 

この本は、

彼の小説のなかでも、

わりと初期のころのものらしいですが、

 

さすが、池井戸潤

面白くて一気に読めました。

 

▽内容:

真面目なだけが取り柄の会社員・倉田太一は、ある夏の日、駅のホームで割り込み男を注意した。すると、その日から倉田家に対する嫌がらせが相次ぐようになる。花壇は踏み荒らされ、郵便ポストには瀕死のネコが投げ込まれた。さらに、車は傷つけられ、部屋からは盗聴器まで見つかった。執拗に続く攻撃から穏やかな日常を取り戻すべく、一家はストーカーとの対決を決意する。一方、出向先のナカノ電子部品でも、倉田は営業部長に不正の疑惑を抱いたことから窮地へと追い込まれていく。直木賞作家が“身近に潜む恐怖”を描く文庫オリジナル長編。

 

真面目で気弱なお父さんが、

家ではストーカーと対決し、

会社では不正をしている同僚と対決するお話。

 

家では家族の協力を得ながら、

会社では部下や同期のサポートを得ながら、

「ひ弱なオヤジ」が奮起して、

事件解決にあたっていくわけですが、

 

家での奮起が会社での奮起を呼び起したり、

会社での奮闘が家での奮闘を後押ししたりして、

両者はうまくシンクロしながら、

結果、どっちも解決させてしまうというアッパレっぷり。

 

家のストーカーと会社の不正、

こっちはどうなる?

あっちはどうなる?

と読者をドギマギさせながら、

ふたつをうまく絡ませつつも、

最後はハッピーエンド!

 

これを爽快と言わずに何という、

と言いたいです。

 

引き寄せ方も絡ませ方も絶妙でした。

 

ここからはネタバレになってしまいますが、

 

結局、

会社の不正については、

営業部長(真瀬)が仕組んでいたというのは、

なんとなく予想がつきましたし、

その経緯もよくわかったんですが、

 

一方の、

家のストーカーのほうが、

実は二人の犯人がいて、

一人は息子(健太)のバイト先の競合で構成ライター(田辺)、

一人は倉田が代々木駅で注意した出版社の副編集長(赤崎)、

ということでした。

 

これは私見ですが、

二人いないほうがよかった気がします。

 

二人いることで、

どこからどこまでの犯行が健太のライバル(田辺)の仕業で、

どこからどこまでが出版社の編集(赤崎)の仕業なのかが

混乱しますし、

なんだかここでリアリティさが一気に失われる。

 

ミステリーにありがちの、

いわゆる「大どんでん返し」を狙って、

欲張っちゃいました感が出過ぎているというか。

わかりやすすぎる。笑

 

だから星を1つ減らしました。

 

「どこからどこまでが誰の仕業なのか?」については、

実は、

最初の犯人(田辺)が逮捕されたときに明らかになっているのですが、

そのあとも随所にいろいろな伏線があって、

それが逆に読者を迷子にさせてしまっている(気がします)。

 

倉田が赤崎と代々木駅でトラぶり、

家までつけられたり花壇を荒らされたりしたことを、

健太が知り合いに話していたのを田辺が聞いて、

田辺が赤崎になりすましてクルマに傷をつけたりパンクさせたりして、

家に侵入して盗聴器を仕掛け、現金まで盗み、

あげくのはてには健太の自転車にイタズラをした、

 

これがストーカー事件の全貌なのですが、

 

盗聴を仕掛けた犯人はもう一人いるとか、

娘(七菜)が自室から見たのはこの男(田辺)ではないとか、

健太が田辺を見失ったのは、

彼がその後をつけて復讐したからとか、

 

下手にいろいろ混在しすぎていて、

かえってわかりづらいし、

リアリティーに欠けてしまう。

 

要は、

「盛り込み過ぎ」でした。

 

さて、

この二人のストーカーに共通しているのは、

どこの誰だかわからない「名無しさん」で、

彼らはそれを逆手にとって、

大胆に自分勝手に振舞い、

ターゲットに恐怖感を与えているということ。

 

池井戸さんは、

ここに、

現代社会にひそむ罠として、

ネットの功罪があることを指摘しています。

 

誰もが携帯端末を持ち歩き、世の中の隅々までネットが網羅している。キーボードという奴がどうも今ひとつ好きになれない倉田のような旧タイプがいる一方で、四六時中バーチャルの世界にどっぷりと填り込んでいる人間達が増殖している。

便利になった分、弊害も増えた。

面と向かっては自分の意思表示すらろくにできない連中が、匿名世界では大胆になり、巨大掲示板に様々な悪口を書き散らし、舌鋒鋭く根も葉もない感情論を並べ立てる。

 

 

そして、

その「匿名世界」とは、

「どこの誰だかわからない、名無しさんたちの世界」であると言っていて、

 

その「名無しさんたちの世界」について

このように述べています。

 

無責任で、感情的な匿名の世界。

でもそれは、インターネットから次第にこの現実の世界まではみ出してきてはいないか。

匿名を利用したいいいたい放題、やりたい放題は、現実の世界だって有効なのだ。自分がどこの誰かさえ、わからなければ。

 

この表現は、

ものすごく的を得ていて、

本当にその通りだなと思いました。

 

彼はまた、

ラッシュアワーで多くの見知らぬ人たちが身体を密着させ、

顔をしかめながら乗り合わせる車内において、

こんなふうに表現していました。

 

ここには、かつて村社会に存在した絆など存在しない。あるのは殺伐とした都会の常識だけである。当たり前のことだが、この名無しさんたちの頭の中でどんなことが考えられているのか、想像もつかない。

それぞれの個性や趣味。異なるベクトルの中で有象無象の嗜好が無言のまま渦巻く様は、ちょっと不気味だ。倉田が社会人になった三十年前にも、当然のことながらラッシュはあった。だが、人の価値観が似通っていた三十年前と、人の数だけ価値観が存在する今とでは、人々の集団が意味するものは百八十度違う気がする。

 

誰が何を考えているのかよくわからない、

どれが正常でどれが異常なのか、

だんだんその境界線がぼやけてきている「名無しさんたち」の集団。

 

多様化・個人主義化は、

時代の流れで当たり前だと思っていましたが、

そこに確固たる責任というものが伴わなければ、

個というものが増長・肥大化しやすいのも、

「名無しさんたちの世界」の特徴でしょう。

 

正常と異常の境界線は、

もはやボヤけているわけですから。

 

池井戸さんは、

そのことをうまく言い得ているし、

また、警笛を鳴らしていると言えます。

 

あと、

まったく別物ですが、

個人的にはこの表現も至極納得。

 

人間の記憶というのは往々にして美化されるものだが、子供の頃、東京の夏はもっとすがすがしく気持ちのいいものだった気がする。同じ暑さでも、暑さの性質が違った。温暖化は確実に進行して、東京の夏はその分、暑さを増している。しかも、それはただの暑さではなく、化学反応でも起こしたような酷い暑さだ。

 

誰もがうなずいてしまうような表現、

誰もが応援したくなるようなストーリー、

 

言わずもがなですが、

これこそ、

池井戸さんが多くの読者を取り込むエッセンスだと思います。

 

前者は、

わかりやすい文体だったり、

共通する懐かしさや危惧を感じさせる表現で、

先の「東京の夏」の描き方は、

まさにこれに属すると思います。

 

後者は、

親近感と勧善懲悪がキーワード、

自分と同じようなしがない親近感のあるサラリーマンが、

悪を懲らしめ善をなすことで、

そこに大衆ウケするロマンが産まれる。

 

そうそう、わかる!

東京の夏ってそうだよね。

 

そうそう、わかる!

そういうお父さんっているよね。

自分も中の下で生きてきたタイプだし、

ついこの主人公を応援したくなるよね。

 

そんなふうに共感する読者は多いのではないか

と思いました。

 

はじめて池井戸さんの著書を小説で読みましたが、

彼がなぜここまで大衆ウケしているのか、

よくわかりました。

 

また別の池井戸作品を読んでみたいです。

 

■まとめ:

・家のストーカーと会社の不正、こっちはどうなる?あっちはどうなる?と読者をドギマギさせながら、ふたつをうまく絡ませつつも、最後はハッピーエンド!という爽快感。引き寄せ方も絡ませ方も絶妙だった。

・はじめて池井戸さんの著書を小説で読んだが、彼がなぜここまで大衆ウケしているのかがよくわかった。わかりやすい文体・表現が駆使され、親近感ある登場人物や、裏切られない勧善懲悪。これらが多くの読者から共感・支持されている所以である。

・ミステリーにありがちの、いわゆる「大どんでん返し」を狙って、「盛り込み過ぎ」たために、逆にリアリティーさを失ってしまったのが惜しい。

 

■カテゴリー:

ミステリー

 

■評価:

★★★★☆

 

 

▽ペーパー本は、こちら

ようこそ、わが家へ (小学館文庫)

ようこそ、わが家へ (小学館文庫)

 

 

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