「アラブの春」の正体   ★★★★★

重信メイさん著

『「アラブの春」の正体 ──欧米とメディアに踊らされた民主化革命』

のブックレビュー:後半(備忘録)です。

 

とても面白かったです。

 

長くなってしまったので、

感想(前半)と備忘録(後半)に分けました。

 

▽感想は、こちら(前半)

「アラブの春」の正体 ★★★★★ - pole_poleのブログ

 

こちらは後半のほうの、

私的な備忘録になります。

 

専門的な話で、

かつ図書館で借りたため、

備忘録を残しておかないと絶対に忘れそうなので、

残しておこうかなと。

 

チュニジア

・無許可での露天商をしてたムハンマド・ブーアズィーズィーが市の検査官にとがめられ、商売道具一式を没収される

・逮捕した女性検査官が彼を平手打ちしたことも大きな屈辱に

・ブーアズィーズィーは、焼身自殺で抗議し、これがネットで広がる

チュニジア革命の原因には、生活レベルの不満、政府高官や公務員の腐敗、政府の外交(パレスチナ問題への対応が不十分)に対する不満があったが、前ベン・アリー政権には、政教分離・女性の権利を認める進歩的な部分もあった

・革命を起こした勢力の中心は、左派およびリベラル派の若者だったが、革命が起こったあとの主役はムスリム同胞団イスラム原理主義)の右派

 

革命を起こした若者たちから、イスラム社会を実現しようとする大人たちへの変化は、デモに参加していた若者たちにとっては予想外のことであり、苦い結末だったのではないかと思います。

 

イスラム原理主義者たちが政権を取ったことが悪いとはいいません。しかし、革命のために行動を起こした若者たちが求めていたことが「より自由な社会」だったとしたら、これからのチュニジアは、彼らの望む通りにはならない可能性が高いと思います。

 

■エジプト

チュニジアと同タイミング・同じ革命ととらえられがちだが、実態は少し違う。

・エジプトでは以前からストライキや民衆蜂起はよく起こっており、そのたびに押さえつけられていたが、チュニジア革命が追い風となり、大規模なデモに発展。

ムバラク大統領の専横と不正選挙、労働条件への不満、政府高官やその一族の腐敗、中東外交路線への反対、対イスラエル政策の不満

・アメリカはムバラクを見限り、副大統領のスレイマンを盛り立てて親米路線を画策していたが、スレイマンは立候補できず、イスラム同胞団系のムルシ大統領が政権につく

・エジプトの経済は軍が牛耳っていて、アメリカから受けている経済援助の大半は軍に流れている。軍が企業に投資し、軍が金融機構を持ち、軍が鉄道などのインフラをおさえている。

・一月二十五日の革命で、大規模ストライキとデモが発生し、長引いたことで、軍はムバラク政権を見放し、民衆側につく。

ムスリム同胞団とは一つの組織ではなく、一種のムーブメント(運動体)であり、ムスリム同胞団を名乗る条件として、イスラム教をもとにしていること、スンニ派の宗教指導者がつくったドクトリン(教理)に基づいて行動することが挙げられる。

ムスリム同胞団以上に保守的な思想を持っているのがサラフィで、イスラム原理主義者の一派。

ムスリム同胞団は、イスラエルを非難することで支持者を増やしているが、行動は起こさない。アメリカ・イスラエルと敵対することで世界から孤立することを恐れている。イスラム原理主義者が選挙に勝っても、エジプトとイスラエルの間に緊張関係は生まれない。(だからいまやアメリカも見放している)

 

軍が民衆側についたということは決して軍が正義にめざめたわけではないのです。その証拠に、エジプト革命から一年以上たったいまも軍最高評議会は権力の中枢にあり、さまざまなことが軍の協力を得なければ進まないという状況は変わっていません。エジプトの革命が進行形なのはそのためです。いまだにエジプトではデモが散発的に起こっていますが、それは軍事政権に対する不信感が根強くあるからです。

 

いまでは、ムバラクスケープゴートとして政権を追われ、罪を問われているだけではないか、とアラブの多くの若者たちが感じています。これでは「アラブの春」ではなく、あいかわらず「アラブの冬」のままではないか、という声をよく聞きます。

 

イスラム政党や軍の主導により)エジプト革命を先導した左派やリベラルな人たちが求めていた「自由」はむしろ規制される方向に向かうかもしれません。(中略)

エジプト国民の間で、ムバラク政権を倒したいという思いは共通していました。しかし、その後の国づくりのビジョンはなかったのです。あるいは、あったとしても共有されていませんでした。

 

リビア

・ガタフィを無慈悲な独裁者として欧米メディアは弾劾し、ここでおきた反体制運動を「革命」と称していたが、もともとは古くからこの地にあった西(ガタフィ)と東の権力闘争が起因している。

・「アラブの春」に刺激されて、東側で政権挽回のためのデモが起こり、NATOなどの外国勢力を巻き込んで内戦に発展。

政府軍が民間住宅地を空爆し千人もの犠牲者が出たというアルジャジーラのニュースがNATOの軍事介入を決定づけたが、のちに誤報だということが判明している。

リビアは石油やガスなどの天然資源が豊富で、潤沢な資金があったので、反核反原発運動や金銭的な支援を世界各地でおこなっており、国内的にも世界で類を見ないほどの福祉国家。経済面は充実していたものの、長期政権の腐敗や物質的な満足度は低かったことが国民の不満としてはあった。

・ガタフィはアラブナショナリズムイスラム教に基づく社会主義を政治の根幹に置いていたが(イスラム社会主義)、アラブ諸国の親米化でアラブナショナリズムを諦め、脱アラブ・「アフリカ合衆国」構想を打ち立てる。中国との接近(中国資本の受け入れ)、アフリカ連合AU)での金本位制を基軸とした地域通貨を提唱していたことが、アフリカの利権を狙っていた欧米から危険視されることに。

・反政府国民評議会がガタフィ政権打倒のために武装できたのは、ガタフィが個人名義ではなく国の名義でもっていた海外の口座をすぐに凍結し、そこにあった国債リビアの国の資金を使って、欧米やカタールバーレーンといった外国勢力から武器を得ることができたから。

カタール資金提供しているアルジャジーラは、アジェンダ・セッティング議題設定効果)により、スポンサーに都合の良い偏った報道をするようになっている。カタールはロシアと並ぶ天然ガス産出国で、ロシアと結託して世界の天然ガス市場をコントロールしようと目論んでいたため、ガタフィ率いるリビアに対し、武器・お金・メディアで反政府軍に協力。

 

チュニジア、エジプトの「革命」ではアルジャジーラを始めとしたメディアが、反政府側に立ち、革命を成功させる大きな力となりました。リビアでは、その力がより極端に発揮されました。しかも、意図的かつ巧妙にです。 

 

リビアには国会はないが、昔から直接民主主義をおこなっていたのも事実なので)「民主的な機関が一つもない国だ」と報じるなら、このようなリビア式民主主義システムも合わせて報道すべきでした。しかし、欧米のメディアは偏見に基づいた反ガタフィ報道を連発するばかりでした。

 

民主主義は選挙制度があればそれで実現するというものではないはずです。その国、その地域の文化に基づいてカスタムメイドで作っていかなくては、本当の意味での民主主義にはなりません。民主主義という制度を導入しただけでは形骸化してし舞う可能性が高いのです。チュニジアやエジプトの「革命」後の選挙結果がその事実を物語っていると思います。

 

アラブの国々が「民主主義」を実現するためには、その国の国民がどういう民主主義を実現したいのかをよく議論する必要があると思います。

 

部族間の対立や、アフリカの資金を金で売買することや、対欧米(から)の投資の問題などがまったく報道されないまま事態が推移して、結局ガタフィは殺されてしまいます。今頃になって、リビアをめぐる報道はおかしかったのではないか、という声がアラブからも上がってくるようになりました。「アラブの春」とひとくくりにされていますが、そのすべてが「革命」だったわけではありません。リビアの例はその象徴的なものだったと思います。

 

バーレーン

バーレーンでも2011年2月14日に大規模なデモが起こり、経済格差の是正や王家による政治腐敗の改正を求めたものだったが、スンニ派(支配者層)vsシーア派(国民)の宗教対立のように報道された。

・かといって、スンニ派によるシーア派への差別問題として取り上げられるのも分が悪いので、イランが反政府勢力を資金援助しているという陰謀説を流す。

・王家一族の専横支配を終わらせようとすることが目的だったが、千人以上の逮捕者を出す「騒乱」として収束。

・「騒乱」が長引かないよう、「湾岸協力会議GCC)」からサウジアラビアアラブ首長国連邦が軍事介入。名目は石油産業を守るためだったが、実態は王政打倒の動きをおさえこむため。

バーレーンサウジアラビアの統合案も出て、反対運動やデモが再発。バーレーン政府が乗り気なので今後もあり得る話。統合となれば、バーレーン多数派のシーア派も、(サウジアラビアは王家も国民の多数もスンニ派なので)少数派に転じる。

 

バーレーンで起きていることは他の「革命」に比較してほとんど報道されていません。報道されたとしても「用語」が違うのです。チュニジアやエジプトでは「革命」が起きていると報道されていました。民主化のための革命だ、と。しかし、バーレーンの場合は政権打倒を訴える人たちを「革命勢力」とは呼ばずに、「反対勢力」「シーア派勢力」「イラン派勢力」と呼び、「アラブの春」の「革命」と切り離して報道しています。しかし、バーレーンで起きたことは、まさにチュニジア、エジプトに続く「革命」を求めるものでした。

 

■イエメン

・サーレハ大統領による専制政治が続いていたが、チュニジア革命に刺激を受けて、大統領の退陣要求デモが発生。

・イエメンはアラブのなかでも貧しい国で不満も大きく、サーレハ政権を倒した民衆が求めていたのも、貧困からの脱却だった。

・イエメンは地理学的に石油の輸出にとって重要な位置にあったため、GCC湾岸協力会議)はイエメンの政情不安を嫌い、政治介入。サーレハに辞任を求める。

・デモは親サーレハ派(北イエメン)と反サーレハ派(南イエメン)にわかれ、部族間の権力闘争も加わり、内戦の一歩手前まで混乱が進む。

 

サーレハ政権打倒後に行われた大統領選挙では、サーレハ政権の副大統領だけが立候補し、選挙結果も99.8パーセントの票を得て当選しました。本当の民衆の革命ではなく、秩序を維持するためのものだったということがはっきりしたと思います。 

 

オマーン

・石油が採れる国としては最も貧しく、生活水準の向上と政府の腐敗に対して不満を表明、デモが起こる。

・大規模な騒動に発展しなかったためにメディアではほとんど報道されなかったが、サウジがオマーン王家に資金援助し、王家が民衆の要求に応える施策を打ち出したので早期に収束。

・サウジはオマーンの政情不安定を嫌い、オマーン王家に資金提供する一方で、アルジャジーラに圧力をかけ、デモを煽らないように要請。

・サウジにはアラブ全域をカバーする広告代理店があり、アラブの8割の広告を扱っている。サウジは広告を引き上げるぞという脅しをかけながら、メディアをコントロールしている。

・ちなみに、アラブのマスメディアで最も有力なのは衛星放送だが、エジプトの1つを除いては、すべてサウジ資本。サウジ政府を批判するとその放送局は放送ができなくなる。

 

サウジアラビア

絶対君主制国家のサウジでは、王家も国民の多数もスンニ派で、マイノリティのシーア派宗教的・経済的に差別されている。

・サウジでも一部の貧困層がデモをおこなったり、マイノリティ住民(シーア派)への差別に対して反対運動があったり、労働条件の改善を求めるデモがあったが、ほとんど報道されていない。

・政府の支配下にあるメディアが多く、サウジ国内でも情報統制が敷かれているのと、世界の石油市場が混乱するのを避け、欧米のメディアも国民を煽らないようにサウジの反政府活動について言及を避けている。

・多くのサウジ国民は経済的に潤っていて、現在の暮らしに満足しているので、政治には無関心で、宗教的な戒律に窮屈さは感じつつも、消費生活を謳歌する中産階級が主流を占めている。

・サウジではいまだに奴隷制度が残っていて、一部では土地と人(遊牧民)がセットになって売られていたり相続されていたりするが、この問題はタブーとされている。

 

サウジアラビアで政府に対して異議を唱えているのは、経済的な格差と宗教的な差別をしいられているシーア派の人々と、政府によるしめつけを嫌う中産階級のリベラルな人々です。しかし、潜在的に不満を持っている人たちはいても、それを声に出したり、行動として示したとたんに、弾圧の対象になってしまいます。

 

サウジアラビア国内ではお酒を飲んではいけない、女性はクルマの運転をしてはいけないなどの戒律を守って暮らしていますが、実はヨーロッパではハメを外して遊んでいることがよく知られています。

 

イラク

イラク戦争後、新体制のもとでイラクでも「アラブの春」に呼応した動きがあり、雇用の増加、司法制度の改善などを求め、バグダッドで大規模なデモが行われる。

・戦後、アメリカによって宗派対立を解決する名目で宗派ごとに権力を分配したことが、戦前にはなかった(不要な)宗派の意識を醸成。他のアラブ諸国同様、政治腐敗も進む。

・各地でデモが繰り広げられたが、国際情勢の場ではあまり報道されず、これにはアメリカの関与が疑われる。

イラク戦争後のイラクは、アメリカのコントロールを離れ、いまやイランに接近している。反米のイランに有利な状況を作り出してしまったアメリカは、戦略を間違えた。

イラクはまた、クルド人の独立問題という火種も抱えていて、イラククルド人は石油が出るところに住んでいるため、彼らの独立は石油の採掘権をとられることになり、イラクには不都合。クルド人は特定の国をもたず、各国で独立運動を展開しているが、どこの国でも天然資源をおさえているので独立させるわけにいかない。

 

アメリカがイラクで作った政治システムに問題があり、腐敗もしていることを認めたくないのです。その結果、イラク戦争後、あたかもイラクは民主的な国家になったかのような印象を世界に与え続けています。

 

イラクの人たちが求めているのは「民主主義」です。しかし、それはアメリカから押しつけられたものではなく、イラク人たち自身によるイラクに合った民主主義です。

 

■ヨルダン

・ヨルダンは物価が高い反面、賃金が安いので、物価の上昇や失業率の悪化への不満を訴え、左派勢力によるデモが起こる。

・ヨルダンはタイと似ていて、立憲君主制のもと、国王は国民から一定の尊敬を受けているが、王政への反対という側面からヨルダンのデモは報道されなかった。ここにまたサウジやバーレーンカタールと同様、王政への反対運動に消極的なメディアのバイアスがかかる。

・デモは国王がちょっとした変化を容認することで沈静化、減税や補助金の配布、公務員の給与アップ、内閣総辞職で事態収束。

  

■シリア

・シリアはもともと大統領制の社会主義国家で、豊の分配やパレスチナ支援など、経済的にも政治的にも不満の少ない国だったが、周辺国の一連の騒動に触発されて、デモが発生。はじまりは、小中学校の生徒たちが黒板に反アサドの落書きをしていたら、秘密警察に連行され、拷問されたことがきっかけ。

・不満は少なかったものの、政府を批判する人に対する弾圧は厳しく、言論の自由が制限されていた。デモの急先鋒となったのが、政府からもともと弾圧を受けていた人たちで、その中にムスリム同胞団などのイスラム原理主義者も含まれている。

・シリアの内戦は、アラヴィ派(アサド大統領)とスンニ派(反政府勢力)という宗教対立が原因として語られることが多いが、アサド政権になってからは政教分離をうたっているため、政府のポリシーとしては宗派による差別は掲げていない。メディアが宗派対立をあおっているだけで、逆にそのことが国民にも宗派を不必要に意識させている。

リビアでガタフィ政権が倒されてから、メディアは突然シリアに目を向けはじめた。そこでアサドをやり玉にあげ、宗教対立やアサドの独裁だけをクローズアップ。

・ここにはアメリカをはじめとする外国勢力の目論みが存在している。彼らにとって、アサド政権が社会主義国家として中国・ロシア(・北朝鮮)に接近することや、反イスラエルを掲げるヒズボラに支援をすること、親イラン路線をとっていることは、いずれも脅威になっている。ちなみにロシアはシリア内に基地を所有。

・外国勢力は、反政府勢力に武器を提供し、メディアも偏った報道を展開。国際世論を「反アサド」にもっていく。これがまた反政府勢力の活動を後押しし、アサド政権による虐殺を偽装したり、アサド政権による自爆テロを演出、アサド政権より資金提供を受けて暴力的行為に及んでいる「シャッビーハ」という構成員がいるというデマまで流布されている。

 

メディアの報道によって世界からの注目が集まり、国内の反政府勢力の活動も活発化し始めました。シリアはその後、内戦状態になってしまいましたが、反対勢力に武器が密輸入されなければこれほどひどい殺し合いにはならなかったと思います。

 

(デモをおこなったシリア人に話をきくと)「デモがメディアで報じられると、アサド政権を倒すという目的にすり替えられていった」「デモが暴力的になると海外からの軍事的な介入を招いてしまう危惧がある」「リビアイラクのようにシリアが戦争に巻き込まれてしまう」彼らはそう口を揃えて言っていました。「自分たちの運動がハイジャックされたような気分だ」と。

 

内戦状態になって、いちばん被害を受けているのは言うまでもなくシリアの国民です。政府に対して人間としてのあたりまえの要求をしたことが戦争をシリアに持ち込もうとしている人々に政治的に利用されてしまいました。その結果、内戦になり、大勢の人が殺されています。加えて、報道が偏っているため、シリアへの軍事介入を許す状況が作られてしまっています。いま、世界中でシリアの報道を見聞きしている人たちは、早く軍事介入してアサド政権を倒したほうがいいと思っている人が大多数ではないでしょうか。しかし、武器をシリア国内に入れれば入れるほど死者が増える。悪循環が続いています。

 

レバノン

・「アラブの春」が始まったとき、レバノンでもデモが起こるが、これは若者が、既存の宗派ごとにある法律を廃止し、民法をつくることを要求。既存の宗派ごとの法律だと、結婚する際にどちらかが改宗しなければならず、無宗教での結婚も認めれれていない。しかしこの法律を撤廃すると、安易に改宗する人が増えるおそれがあり、実現されていない。

レバノンの場合、デモの内容が周辺国とは違ったので、ほとんど報道されなかったが、最近では、地価の高騰という経済的な問題も抱えている。9.11後、アラブの湾岸国の中産階級層が、欧米からレバノンに避暑地を移したため、不動産バブルのような状態になっている。

レバノンは、ハリーリー政権後、国内世論が2つに分かれている。1つが親サウジ派(反イラン・反シリア・反ヒズボラ)、もう1つが親イラン派(反サウジ・親シリア・親ヒズボラ)。それぞれ、サウジとイランから支援を受けている。

・ハリーリー政権は汚職が蔓延し、彼の専横的な政治によって財政赤字が累積、2005年にはベイルート市内の爆破事故で暗殺されるが、親ハリーリー派によりその黒幕にはシリアがいると噂された。

 

どちらのグループにも外国勢力の関与がうかがえることが象徴するように、レバノンは外国勢力の権力闘争に巻き込まれてしまっています。

 

カタール

・世界一生活レベルの高い国のひとつ

・首長ハマドがポケットマネーでアルジャジーラに投資

アルジャジーラの当初のキャッチフレーズは"opinion and the other opinion"(つねに両方の意見を聞く)というもので、自由・公正・中立を目指していたが、実際はカタール政府の批判や都合が悪い報道はタブー。

カタールでも表現の自由を求めるデモがあったが、報道も批判もされなかった。

アルジャジーラの情報は、欧米のメディアでは信用性が高いとして、裏付けも取らずに使われることが多い。

アルジャジーラは、「アラブの春」のプロパガンダとして利用され、偏った報道をおこなっていた

 

カタールカタールで自分たちの政策があり、アルジャジーラはその政策を実現するための道具として使われています。決して、自由なメディアではありません。

 

アラブの春」の報道をめぐり、アルジャジーラ内部からも不協和音が聞こえてきています。アルジャジーラがウソの報道をすることにうんざりしたスタッフが大量に辞めています。ジャーナリストとして、メディアに関わる者としてのポリシーに反するという理由や、同じシリア人として同胞を苦しめる報道に与したくないという理由で辞めた人たちです。

 

アラブの春」の報道で、アルジャジーラはこれまで作り上げてきたブランドに泥を塗ったと私は思っています。そして、報道を受け取る私たちも、情報の真贋について、疑ってかかれるだけのリテラシーを持つことが求められています。

 

▽前半:感想は、こちら

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■まとめ:

・普段ニュースで見聞きしていたアラブ情勢の裏には、実は私たちが知らない(知らされていない)ことも多く、目からウロコ的な話が多かった。我々がニュースや教育で受動的に受けているものばかりが真実ではなく、そこには何らかの利権や価値基準が入っていることを(排他的にならずとも)知っておくべきだと思った。

・本書を通して、著者の、生まれ故郷のアラブ世界への愛着心と、欧米の資本主義・メディアの偏重主義への反発心がうかがわれた。前者はレバノンで過ごした生い立ちが、後者はメディア学を専攻しジャーナリストとしての矜持が、彼女をそうさせているのかと思う。

・「アラブの春」は大きく3つのステップから成っている。①一般市民や迫害を受けていた人々の鬱積した不満が爆発したこと。②これに諸外国(おもに欧米)の対外政策・利権が絡んできたこと。③メディアが事を大きくしたり、小さくしたり、騒動の発展と沈静化に多大な影響を及ぼしていたこと。実はあまり表立ってないが、②と③の功罪は大きい。その意味で「アラブの春」は、欧米とメディアに扇動されたといえる。

 

■カテゴリー:

政治

 

■評価:

★★★★★

 

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