「意識高い系」という病   ★★★★☆

常見陽平さん著、

「意識高い系」という病

です。

 

テレビやネットでも露出がある方のようですが?

私はお顔を知りません。

 

最近、思うのは、

著書を読むにあたっては、

顔なんて知らないほうがいいかもしれないということです。

 

ヘタに外見などでバイアスがかかってしまったら、

それはそれでつまらない気がして。

 

私もしょうもない人間なので、

外見で人を判断してしまうこともありますし、

そういった意味では、

いくらメディアに取り上げられて有名な方でも、

実は顔や声(しゃべり方)なんて知らない方がよいかも、

と思います。

 

常見さんもそこそこ有名な方らしいですし、

わりとズバッとモノを言うので、

言い方とかによっては嫌いになるかもしれませんしね。

 

▽内容

「意識高い系」と呼ばれる人々の存在をご存じだろうか?

数年前からネットスラングにもなった、この「意識高い系」という言葉は、セルフブランディング、人脈自慢、ソー活、自己啓発など、自分磨きに精を出し、やたらと前のめりに人生を送っている若者たちのことを指す。

なぜ彼らは、「なりたい自分」を演出し、リアルな場やネット上で意識の高い言動を繰り返すのだろうか?

本書は、相互監視社会やコミュニケーション圧力、ソー畜といった現代における諸問題から、「意識高い系」が生み出された原因を追及し、「なりたい自分」難民の若者たちに警鐘を鳴らす。

 

「意識高い系」という言葉が

ネットスラングになっていたのは知らなかったのですが、

著者はどちらかというと彼らを「意識高い系(笑)」と記し、

イタい人・おバカな人として嘲笑しています。

 

単なる若者批判かと思いきや、

著者自身も、

若かりし頃はその「意識高い系(笑)」のひとりとして、

セルフブランディングに挑戦し、

ビジネス書を読み漁り、

勉強会や異業種交流会に参加し、

日経ビジネスアソシエイト』を読んで仕事術を真似したり、

…と、イタい過去を過ごしてきたと自嘲しているようで、

自らの過ちを振り返りながら、

同じ「意識高い系(笑)」な人々に、警鐘を鳴らしているわけです。

 

彼が言いたいことは、

最後の1,2ページを読めばだいたいわかると思います。

この、歯に衣着せぬ言い方が、私は好きです。

 

お前ら、そろそろ、大人になれよ。

自分磨きは、ウソだ。その前に、まず目の前の仕事をしろ。

人脈は、ウソだ。その前に、近くにいる家族や仲間、恋人を愛するのだ。

ネットはウソだ。これだけでは世の中が変わらないことに気づけ。

意識が中途半端に高くなったところで、自分も世の中も変わらない。

自由な生き方?自由な働き方?

あるわけねぇだろ、そんなもん。

自由と不自由が地続きであることに、そろそろ気づけ。

制約や理不尽が生む創造だってあるのだ。

新しい生き方、働き方の模索は人類の義務である。ただ、まずは今を一生懸命生きないと、現実を直視しないと、明るい未来なんてものはないのだ。

意識の高いみなさん、目を覚ましてください!!

 

要は、

頭でっかちになるな、

まずは目先のことを一生懸命やって、

それからモノを言え。

ってことですかね。

 

副題の

ソーシャル時代にはびこるバカヤロー

にあるとおり、

 

いまはネットが普及し、

なかでもTwitterFacebookに代表されるようなソーシャルメディアが台頭し、

いままで発信・受信できなかった一個人が、

いままで受信・発信してもらえなかった一他人とつながりを持つことが可能になって、

それが「意識高い系」の病を増幅させたとしています。

 

自分のプロフィールを誇張する奴!

芸能人でもないのに、かっこよすぎるプロフィール写真を撮る「自分大好き」な奴!

名言(実は著名人の受け売り)を吐きまくる奴!

やたらと人脈を作り、自慢する奴!

勉強会、異業種交流会をやたらと開く奴!

将来のビジョンについて、ムダに熱く語る奴!

ビジネス書を読み漁り、その真似をしまくる奴!

 

我々のまわりにもいる、

こうした「意識高い系(笑)」の人々の行動は、

いまどきの学生の就職活動に顕著にみられるようで、

著者はそこでもソーシャルメディアが一役買っていると指摘しています。

 

たしかに、

昔はソー活なんてなかったですし、

私自身が新卒として就職活動をしていたときは、

エントリーシートは手書きでした。

会社説明会もWEB申込と電話申込が半々くらいだった気がします。

 

「みんなの就活日記」が話題になり始めた頃で、

いまよりもWEB上で得られる情報は限られていたと思います。

 

その点、いまは、

掲示板、ソーシャル、ブログ…など、

いたるところでありとあらゆる情報が流され、

デバイスも進化しているので、

いつでもどこでもその情報が手軽に読める(投稿できる)。

 

実際、つぶさに見たわけではありませんが、

○○という会社にどうすれば受かっただの、

(聞いてもいないのに)自分はこんなことを目指しているだの、

本当かウソかわからないような、

就活に関わるいろんな「意識高い系」のネタがあるのだと思います。

 

私ように、

就活が気持ち悪い、就活が面倒くさい、就活がイヤでイヤで仕方ない、

と思っていたような人間にとって、

いまのWEB上の情報の嵐は、ぶっちゃけ地獄です。

(もちろん超ネガティブな負け犬サイトもあると思いますが)

 

どちらにせよ、

ただでさえ判断力に劣り、長いものにすぐ巻かれがちの学生が、

そんなものは見ないに越したことはなく、

 

私などは、

いまの時代の新卒じゃなくてよかったと、

心から思っているわけです。

 

著者は、

そんな彼らをバカにしつつも、憐みの眼差しで見ています。

ある意味、「意識の高い学生(笑)」というのは時代の被害者なのかもしれない。

弱さをさらけ出すこともできず、強い自分を演じ続けなければいけないのだから。この「意識の高い自分を演じ続けなければいけない時代」こそ、現代の日本が抱える問題のひとつだとも言える。

 

別にこの本は意識が高い人を批判する本ではない。俗流若者論の本だという批判もあるだろう。ただ、私の想いとしては、そうではない。思わずいじりたくなる意識高い系の人たちというのも、絶対数はどうやらそれほど多くいるわけではなく、象徴的な行動だけが一人歩きしていることを伝えたかったのである。そして、彼らが不安と承認欲求から意識が高くならざるをえないことも。

 

私も、

新卒採用などでやたらと前のめりな学生に会うと

可愛そうだな、と思うことがよくありました。

 

(まだへっぽこ学生なんだから)

もっと素直でいいのに、

なんだか肩肘はって背伸びしちゃって。

 

たいした経験もしていないくせに、

何偉そうなこといってんだコイツ…

と思いつつ、

 

常見さんと同じく、

昔のイタい自分を見ているような気がして。笑

 

でも、不安なんでしょうね。

就職そのものに対する不安、

見ず知らずの大人に対する不安、

やりたいことがわからないことへの不安。

自由であるがゆえの不安。

 

だからとりあえず風呂敷を広げて、

自分を大きく見せる。

私のことを見て下さい!とアピールする。

 

でもそれは、

見ていてイタイ、「かまってちゃん」と同じだし、

ただの着飾った人形でしかない。

 

人脈、経歴、外見、持ち物、座右の銘、読書など、

やたらとひけらかす学生や人もウザいですね。

 

これらは「意識高い系」という病のひとつでもある、

セルフブランディングというものになるわけですが、

 

著者は「意識高い系(笑)」の人々にみられるセルフブランディングについて、

このようにぶった切っています。

ブランディングというのならば、ちゃんと創造し、認知された上で、維持、拡大していかなければならない。多くの場合のセルフブランディングは短期的に目立とうとしているだけだ。結局、本人のブランドはビジネスにおいては仕事そのものが、プライベートにおいては人柄そのものが影響する。単なる騙しの連続になってはダメなのである。

 

まさにその通り。

 

人間ある程度トシをとると、

等身大になろうとするというか、

へんに大人ぶろうとするところがなくなるので、

アラフォー・アラフィフにもなると、

こういう人は減ってきていると思いますが、

学生さんや20代~30代前半の若者は、

まだまだ背伸びしよう・かっこつけようとするマインドが高いので、

ついついこういう「短期的な騙し」をやってしまうのだと思います。

 

私がまだ25、26歳のころ、

部署でコーチングをやってみようということがありました。

私よりちょっと上の、20代後半の同僚が言いだしっぺで、

彼の指導?のもと、

1時間~2時間くらい時間をかけて勉強会をやったのですが、

途中でこれって何のためにやってるんだっけ?

という疑問がわいて、

私はそれ以来参加することもなく、

二度目、三度目と回を重ねている同僚たちを横目に、

あいつらバカだな

と思いながら仕事していました。

早く目の前の仕事を片付けて帰りたかったというのもありますが。笑

 

いまでもその選択は間違っていなかったと思っています。

 

そもそも、コーチング自体、

どちらかというとマネジメントスキルの一種であるのに対し、

当時の私たちはプレイヤーという一兵卒。

 

クライアントから求められていることは、

コーチングなんかではなく、

目の前の仕事をこなしてお客さんにメリットのあることをすること。

 

常見さんの言葉を借りれば、

仕事というのは、クライアントやパートナーがいて成り立っている。自分に期待されていること、自分がおかれている環境を理解せずにスキルアップに走っても意味がない。

 

その意味がないことが

あのときのコーチングだったわけで、

今思えばあれは、

セルフブランディングだと勝手に思っている同僚が、

彼一人でやればよかっただけなんじゃないかと思います。

 

セルフブランディングにせよ、いまどきの就活にせよ、

この「意識の高さ」をアピールするのに、

格好の道具がソーシャルメディアなわけですが、

 

常見さんのいいところは、

ネットやソーシャルを、単純に悪いとか良いとか、

(ありがちの)二元論的な切り口で位置づけるのではなく、

良いところもあれば悪いしかりで、ありのままに丁寧にみることが大事

としているところです。

 

これには私も賛成で、

私自身、ネットの恩恵に授かっていて便利だなと思う反面、

Yahoo!ニュースのコメントなんか読んでいると、

こいつらバカか??暇人か??と言いたくなるくらい、

ものすごく気持ちが悪くなります。

見なきゃよかったと思ってしまう。

 

常見さんもこのように言っています。

ネットが世の中を変えた事実や、今後の可能性に同意しつつも、私はどちらかというと皆、ネットに期待しすぎではないかと考えている。それよりも、ネットで展開される滑稽な意識の高い言動や限りなく捏造、誇張に近いセルフブランディング、著名人も含めた「本当に見えるウソ」の流布など、なかなか残念な結果になっていることに注目したい。

 

そして、

著名人が広めた「本当に見えるウソ」の例として、

茂木健一郎氏をやり玉にあげて、

その内容と根拠を説明していくのですが、

ここの部分はいちいち出さなくてもよいのではないかな、と思いました。笑

 

本などで個人名をあげて批判するのは私は嫌いではないのですが、、

これはちょっとくどかったかな。

 

いくら著名人が言うことでも、

(根拠が薄いのならば)それは嘘だってこともあるかもしれないのだから、

(WEBだろうとソーシャルだろうと)その人が発信する情報に惑わされず、

 

大事なのは、

個々人が客観的にその情報を見極めて、自分なりにモノにしていくべきです

と言えばよいだけで。

(常見さんは茂木さんが嫌いなのですかね…?)

 

私は仕事で必要なときだけソーシャルを使っていましたが、

いまはすっかりやめてしまいました。

FacebookTwitterもやっていません。

自分でも心が狭い人間だなぁ…とつくづく思いますが、

やっぱり気持ちが悪い。

 

結局、

ソーシャルはオナニーと同じだと思います。

やっているほうは気持ちがいいし、

見ているほうは気持ち悪い。

 

著書のなかでも、

前者は、都合の悪いコメントや人をブロックすることで、

より強烈な「オレ様ワールド」が出来上がると指摘していますし、

後者は、「いいね!」やコメントを強要する、

「コミュニケーション圧力」と断罪しています。

 

いまでは、

社員や部下にソーシャルメディア上でのつながりを強要しているかのような

行動があるそうで、

もはやその行動に参加する本人たちは、

社畜ならぬ「ソー畜」と呼ばれているとか。

 

私には全く理解ができない行動なので、

強要されるのが嫌だったらソーシャルなんてやめればいいのに、

と単純バカに思ってしまうのですが、

みんな淋しいのですかね…。

 

全体的に、

今どきの若者たちに捧げる辛口コメントの体でしたが、

どこか昔の自分にも少し当てはまるところがあったりもして、

まんざら他人事でもありませんでした。

 

現代の若者事情を知るのに、なかなか興味深い一冊でした。

 

■まとめ:

・いまどきの若者の一部には、「意識高い系」と呼ばれるイタイ人たちがいる。

・彼らは、頭でっかちで恰好ばかり気にして、やたら自分の風呂敷を広げ、背伸びしているだけのおバカさん。

ソーシャルメディアがこの病の増幅に一役買っているが、そこにあるのは、不安と承認欲求にかられた「オレ様ワールド」と「コミュニケーションの圧力」。

 

■カテゴリ:

社会学

 

■評価:

★★★★☆

 

 

▽ペーパー本は、こちら

 

Kindle本は、こちら

 

▽ちなみに、こちらが常見さん

(普通に、いいオッサンでした。笑)