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マツ☆キヨ   ★★★★☆

先日読んだ池田清彦さんの著書

 

 

が面白かったので、

また池田さんの本を読んでみました。

 

本と言っても、

今回は対談形式のものですが、

あのマツコデラックスとの対談です。

 

最近、

テレビをつければ必ずと言って良いほど、

マツコさんを観ない日はありません。

 

かく言う私も、マツコさんは大好き。

 

歯に衣着せぬものの言い方だったり、

見た目は気持ち悪いけど、言ってることはごもっともだったり、

それから何より、物事をよく知っています。

 

実はものすごい勉強家さんなんじゃないか?というくらい、

彼はよく知っているし、頭の良い方だなと思います。

 

この本を読むまで、

そんなマツコさんの実態?には、いまいちピンときていなかったのですが、

彼はまずゲイで、女装家ということがわかりました。

 

彼をよくご存知の方からすれば、

え、いまさら?

と思われるかもしれませんが、

 

私は、彼をただの女装家だと思っていたのです。

 

正しくは、

ゲイのなかの女装家ということだったんですね。

 

ゲイのなかでもいろいろあって、

ただのゲイ(同性愛者)から、

体は男だけど心は女の性同一性障害

性転換手術を受けて身体的にも女性になったニューハーフ、

手術こそしていないけれど女性のように振る舞うことを楽しむ女装家、

…など、

ゲイはゲイでもさらに細分化されているわけで、

 

そのなかでもマツコさんは

ゲイ×女装家

という、

マイノリティーの中でもさらにマイノリティーなので、

(池田先生いわく)「超マイノリティー」という位置づけになるそうです。

 

ジェンダーの世界は、実に奥深い。

ここは、もっと知りたい分野です。

 

そのマイノリティー代表たるマツコデラックスと、

学者なのに学者っぽくない池田清彦さんが、

テーマごとに議論を交わすのですが、

どちらも思想的にはマイノリティーで、対立はしません。

むしろ互いに共鳴しています。

 

彼らはテレビ番組の共演を通じて、

お互いに関心をもつようになったようですが、

このテレビ番組とは、紛れもなく、

「ホンマでっか?!TV」のことでしょう。

 

対談の【はじめに】では、マツコさんが池田先生の、

【あとがき】では、池田先生がマツコさんの、

それぞれがそれぞれに興味をもった理由を述べられています。

 

池田先生の魅力は、

(どんなに変わった意見を持っていても)

相手が誰であろうと素のままの自分を変えないところ

にあると、マツコさんは指摘。

 

マツコさんの魅力は、

不真面目なのにカシコいところ

にあると、池田先生は指摘。

 

そしてその「カシコさ」は、

自分の中の超マイノリティーを自覚していて、

決してその価値観を押しつけないこと、

鼻から理解されようとも思っていないこと

から来ていると言っています。

 

自分が何者であるかを理解しているということは、

まわりがどうなのかということもわかっていることでもあります。

 

自分が超マイナーということをわかっているのは、

まわりが超メジャーということもわかっている。

つまり、客観的に物事を見れている、ということですね。

 

ちょっと雑な言い方をすれば、

私もあんたたちのことなんて理解しようとも思わないから、

あんたたちも私のことなんて理解しなくていいわ!

という感じでしょうか。

 

対談テーマは、

第一章が、東日本大震災について

第二章が、情報化社会(ネット社会)との距離感、

第三章が、メジャーとマイナーについて、

最終章が、マイノリティの生きる道

という流れで進行します。

 

わかるわかると頷いてしまったフレーズが多々ありました。

 

第一章の震災については、マツコさんのこの一言。

 

震災の直後に、「自分が歌うことで勇気づけたい」とか、「自分が(スポーツの)試合に出ることで勇気づけたい」とか軽々しく言っちゃっていた人がいたでしょう。あれって何なの?アタシは、ああいうのを聞くと、「おまえに何ができるんだよ」とか「そんなの、おこがましいよ」とか思っちゃうんだけど。あれって、何か、みんなが結束しなければいけないと思う状況が人をおかしくさせてしまっていたということなのかなあとも思ったんだけど。

 

義捐金もそうですが、

あのアピールって本当に、何だったんでしょう?

わざわざ口に出していうことなのか?

あのとき、私も「気持ち悪い」と思った行動のひとつでした。

 

この章では、

震災から見えた差別について、

二人が意見を交わしているのですが、

おもしろかったのは、池田先生のこのご意見。

 

何らかの要因ひとつによってその場所にプラスの価値が付加される一方で、その場所を差別することが、あるひとつのスティグマ(負の印)によって起こるというケースもあるよ。つまり、差別感情によって人間の行動が大きく左右されることがままある。「○○だからあそこは良いところだ」というのと、「××だからあそこは怖いところだ」は、表裏一体だから。

 

これは震災時の首都圏の土地について、

浦安がどうだったとか、高尾のほうはどうたったとか、

どこが危なくてどこが良いといった噂や地質調査が、

土地の差別化につながっていくという話でしたが、

 

そもそも、

プラスの感情とマイナスの感情は「表裏一体」で、

それが差別感情につながっている

というのは、

あらためてその通りだなと思いました。

 

世間が、

結婚はおめでたいことだから、皆で祝福しましょう!

と煽り立てれば、

たとえあからさまに非難しなくても

結婚しない人はどこか差別されてしまうわけで。

 

既婚の私が言うのもなんですが、

結婚なんて、してもしなくてもいいと思うんですけどね。

本当にしたかったらすればよくて、

本人がしたくなかったらしなくてもよいわけで、

実はまわりがどうこう言うべきことでもないと思うのです。

 

たとえば、とても結婚したかったカップルがいて、

長年のお付き合いの果てに結婚したとき、

祝ってもらいたい人にはおめでとうと言うけれど、

それは決してみんなの前で言う必要なんてないと思います。

 

だから私は、

結婚式なんてこの国からなくなればいいと思っていますし、

最近は招待されても行かなくなってしまいました。

 

結婚式なんて、

所詮は本人たちのオナニーショーなわけで、

本当に祝いたい人と祝ってもらいたい人たちだけでやればよくて。

 

いずれにしても、

必要以上に結婚ってめでたいものなんだよと煽れば、

未婚は恥ずべきものという雰囲気が自動的につくられてしまうように、

プラスの感情とマイナスの感情は表裏一体となって、

いつしか差別感情につながるわけですね。

 

このほかに、原発の話なんかも出てくるわけですが、

池田先生は生物学が専門なだけあって、

原発の話にもさすがに詳しい。

 

核燃料サイクルMOX燃料を使う原子炉「もんじゅ」が、

実は全然うまく稼働してなくて(むしろ事故だらけ)、

維持費だけで1日5,500万円かかっていたり、

この核燃料サイクルがうまくいかないために、

高レベルの放射性廃棄物がひたすら溜まり続けている、

というのも驚きでした。

 

第二章の情報化社会についても、共感できたところが多々ありました。

 

マツコさんはTwitterが嫌いで、

みんな何のためにやっているのかわからない、

といっていましたが、

私も激しく同意です。

 

Twitterは、書き込める字数が決まっているので、

どうしても内容が断定的なことや情緒的なことになってしまう。

そこには根拠がなくて、「感性依存」になるのだとか。

 

Facebookもそうですが、あれは気持ち悪い。

 

最近よく「自己承認欲求」という言葉を聞きますが、

そんなに承認されないといけないのか?と思ってしまいます。

別に承認されなくてもいいのにな、と。

 

池田先生は、

情報化によって人間は考えなくなってしまい、

(答えばかり求めて短絡的になり)コミュニケーション能力も落ちている、

と警笛を鳴らしています。

 

もっと試行錯誤・切磋琢磨して得られた情報が、

いまはすぐに手に入ってしまうので、

人間は考えなくなってしまったし、

(その過程で起こる)様々な摩擦も起きなくなっているわけです。

 

これは自分にも当てはまることであり、

人に聞くのが面倒くさいから、

あらかじめGoogle mapで道を調べておきますし、

乗換案内をみていきます。

 

特に海外にいくときなんて、

空港から何からわりと下調べをしていく。

 

昔は、ネットがここまで使えなかったので、

情報がないならないで、

現地でそれこそどうしようもない英語を駆使して得ていましたが、

今は英語を使うのが面倒だからネットで情報を得ている。

 

だから現地の人となんてしゃべらなくなったし、

思い出に残るような出会いもない。

(なくていいんですが…)

 

こうやって退化していくのかな、と思いつつ、

同時通訳ツールがたくさん出てきたり、

いつか英語すら必修科目から消える日がくるのではないかと思ってしまいます。

 

第三章、マイナーとメジャーについて。

ここはひたすら、池田先生の言葉が刺さりました。

 

自分は組織からドロップアプトしても平気で、むしろあえて半分くらいはドロップアウトしているという立ち位置を担保しないと、日本では生きにくいよね。

 

大勢に乗って動いているということに関して、心のどこかでは「何かへんだな」と思っている人もいっぱいいるんだよね。だけど、そのときに表立って「それはへんだ」とは言えない。そこで、なんだかふつうじゃなさそうな変な人を祭り上げるとうなことをやって、一種の欲求不満のはけ口にしているというか、それで自分のもやもやしたものを洗い流してせいせい

した感じがあるのかな。きっとマツコサンはその象徴的な存在としていろいろなところに引っ張り出されているんだろうね。

 

「自分たちが特別で、他の人は凡庸」というかたちでやった運動というのは、だいたいがうまくいかない。日本共産党が伸びないというのもそこにあるんだよね。自分たちだけが特別で、「いつも正しい」と言っているでしょう。「自分たちはマイナーだけど、特別だし、正しい」というかまえからは、生産的な話は出てこないね。

 

日本でひどかったのは、暴対法のやりすぎだよな。暴対法でヤクザを潰しちゃったから、今度は、中国系のわけのわからないマフィアが台頭したりとか、もっとヤバいことになっているわけだよ。暴力団が善とは言わないけど、それで秩序や均衡がある程度保たれていたのだったら、何も壊滅させることはないし、「臭いもの」はある程度は必要だよ。

 

メジャーに傾くのは悪いことではないし、

そこに乗っていたほうがラクなことは多いと思います。

 

どうしてサラリーマンがこうも多いかというと、

自営業のように責任をとらなくて済むから

という面は、多かれ少なかれあると思います。

 

日本人は特に同調志向が高いから、

メジャーとマイナーが偏りやすく、

差別が生まれやすいという指摘もありました。

 

しかし逆に、マイナーになりきることで、

「自分たちは特別だ」と勘違いする逆差別もある、と。

 

これはこれで厄介で、

自分も少し当てはまるところがあるんじゃないかと反省。

 

これは自分の価値観を他人に押しつけているのと一緒で、

「わかってくれなくったって別にいい」とか言っておきながら、

「てめえ、覚えてろよ」と言っているようなものかもしれません。

ああ、面倒くさい。。。

 

マツコさんが最終章でこんなふうに言っていました。

ひとりの人間の存在なんてウンコみたいなものでしょ。だから、「しょせんはそんなもんよ、アタシなんて」と思っているほうが楽で、逆に「アタシはなぜこんなにできないんだろう」と悩むのは、それだけ自分を過信しているからだよね。

 

自己愛が強い人に限って、他人に自分の価値観を押しつけるし、

自己愛が強い人に限って、命にも執着しやすいのだとか。

 

グサグサ来ました。

 

自分なんて所詮ウンコである。

 

明日から、そう思って生きようと心に決めました。

 

■まとめ:

・世間というものに距離を置く二人が、震災・ネット・マイノリティについて議論

マツコデラックスの鋭い視点に、池田清彦のわかりやすい説明が加わり、もはやこれってマイナーな意見じゃないんじゃないか?と思えてくる

・差別は、決してメジャーやマイナーといった量的問題ではなく、自己と他者の間でどれだけ自分を愛してやまないかというところから発する問題である。

 

■カテゴリ:

自己啓発

 

■評価:

★★★★☆

 

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