江戸の下半身事情  ★★★★★

タイトルを目にして、

いますぐ読みたい!と思った本です。(笑)

 

江戸時代の歴史について書かれた本や、

(時代や場所を問わず)衣食住の文化の違い、

宗教がどうだ、伝統的な通過儀式がこうだ、

…といった民俗学関連の本は、

世の中、ゴマンとあるかと思います。

 

私自身、

そういったものに決して興味がないわけではなく、

むしろ非常に興味があります。

 

でも、

人間の世界(生活)って、

政治とか経済とか宗教とか衣食住とか、

それだけではないでしょう?

 

私たち人間は、

食べたら出しますし、

住まいの寝床ではナニもするわけで。(笑)

 

生も死も万国共通なので、

産まれたときと死ぬときは、

いつの時代も、どこの国でも、

何かしら通過儀礼チックなものがあると思うのですが、

 

私たちが生まれるとき、

あるいは子供を産むときにも、

必ずセックスする(される)わけで、

これもまた衣食住同様、

人が生きていくうえで当たり前の行為のはずです。

 

個人的には、

 

もっとこのニッチな部分が語られてもよいのではないか?と思うのですが、

残念ながらこういう下品な分野は、

学術的には、やはり下位文化として位置づけられてしまうのか、

なかなか、このような「シモ」事情を赤裸々に語る本には出会えません。

 

お行儀のよい、

いわゆる「ハイカルチャー」を知るのも良いのですが、

(人間なら誰しも経験する)「シモ」の処理って、一体みんなどうしているんだろう?

時代や場所が違ったら、今の私たちとどんな違いがあるんだろう?

ということのほうが、百倍おもしろい。

 

そもそも、

「うんこ」と「ちんこ」の話は、万国共通の関心事

のはずなので、

 

もっとこの分野を掘り下げた民俗学があってもよいのでは?

とすら思います。

(私が思っている以上に、あるのかもしれませんが)

 

大学などでこの分野を講義したら、

単位だけが目当ての学生が集まる授業ではなく、

結構な人気講座になるのではないかと思ったりします。(笑)

 

だって、

昔の十二単がどうだった、

仏教が人々の生活にどう影響した、

日本食のツールはどこにある、

…とか言われるより、

昔のセックスはこうだった

と言われたほうが、

百倍おもしろくないですか?

 

この

江戸の下半身事情

は、

 

そのタイトルのとおり、

江戸時代の性風俗のイロハを赤裸々に、

そしてクソまじめに!書いている本ですが、

実に面白かったです。

 

内容としては、

著者(永井義男さん)が、

【はじめに】で述べられているこの一節に、

すべて凝縮されていると思います。

 

(たとえ江戸時代でも)つくづく思うのは、けっきょく男と女の関係は変わらないということである。身も蓋もない言い方をすると、制度や環境が変わっているだけで、最後にすることは同じである。

 畳の上がベッドの上、屋根舟のなかが車のなか、帯をはらりと解くのはブラジャーを落とす、行水をしているところを盗み見るのはシャワーをあびているところをのぞき見る、茶屋女がファーストフードのアルバイト店員、手代と女中が課長と部下の女子職員などなど、設定を少し変えれば、江戸の春本は現代のポルノに変身するし、現代の官能小説も江戸物に変換することは可能であろう。

だが、本質的な部分は同じとしても、やはり制度や環境が異なっていることの意味は大きい。江戸時代には現代の我々がとうてい想像できないような、あるいは戸惑うような事情があった。

することは同じとしても、その前段階、あるいは後段階で江戸ならではの不便や困難、苦労などがあった。

 

食欲や睡眠欲と同じように、

性欲が人間の普遍的な欲求の一つである以上、

 

いつの時代でも、どこの人でも、

結局、みんな「ヤる」わけですが、

 

時代や場所が違えば、

その「ヤり方」も当然ながら違います。

 

この本では、

お江戸ならではの時代背景をおさえながら、

その「ヤり方」を詳細に解説してくれます。

 

※注※

江戸時代ならではの、体位とか射精方法とか、

そういった肉体的なことはほとんど触れられていません。(笑)

 

おもしろかった内容を、

箇条書きで残しておこうと思います。

 

・江戸の街はフーゾクだらけ。性病も蔓延しまくっていた。

江戸の男たちの女郎買いの場をまとめると、次のようになる。

吉原  公許の遊郭

岡場所 違法営業、江戸の各地

夜鷹  違法営業、江戸の路上

宿場  公認。品川、内藤新宿、板橋、千住

・江戸の遊里のナンバーワンは、吉原。ナンバーツーは、品川の宿場

・夜鷹は立ちんぼ、路地裏の物陰で営業。すたれ者が多く、悪性の梅毒もちも多かった

・吉原vs岡場所の客取り合戦も多かった

・岡場所は人が集まる神社仏閣の門前に多く、深川は岡場所のメッカだった

・深川のなかでも、仲町には良家の子女も通う料亭が多く、表向きは食事を楽みながら、裏では「呼出し」といって、奥座敷で房事を楽しむパターンが多かった

・神社参詣や葬式のあとなどに、「精進落とし」と理屈をつけて風俗に通った

・岡場所のピンが深川仲町とすると、キリは「切見世」といって、細い路地の両側に長屋が並び、「ちょんの間」と呼ばれる狭い部屋に女郎がいた

・出会茶屋が現代のラブホ。ひっそり目立たないように営業していた

・上野の不忍池周辺は、出会茶屋の密集地だった

・吉原の「裏茶屋」は、吉原関係者の密会の場

・腎張は絶倫、腎虚は「ヤリすぎ」による減退

俳人小林一茶の老いてからの絶倫ぶりは有名で、回数を毎晩日記につけていた

・女性が遊女や芸者となることはタブーではなく、武家で下女奉公するより世間体がよい職業だった

・妾も立派な職業で「妾奉公」と呼ばれていた

・それだけに、遊女や芸者に身内を売る商売や、仲介業者(女衒)も多かった

・家が狭くてプライバシーが無いに等しいので、外で性生活を楽しむのが当然だった

・男性が風俗に通うこと(女郎買い)も、堂々となされていた

・売春場での相部屋(割床)は当たり前

・避妊は、噛んだ紙を丸めて膣の中に押し込み、事後に、放尿とぬるま湯で洗浄

・生理中の夫婦は「月役七日」といって、七日間はコトをつつしんだ

・しかし遊女たちは七日間も休めず、二日程度だった

・遊女たちに一番嫌われたのは武士たちで、要求が多いわりにカネ払いが悪い

・男色専門の風俗店として、陰間茶屋もあった。陰間(かげま)は男娼のこと

・陰間茶屋のメッカは、いまの人形町

・女色を禁じられていた僧侶は、男色に向かうことが多かったが、女遊びが公然化してくると彼らは医者を装って遊郭に出向いた

・遊女より陰間のほうが高額だった(旬が短い、回数ができない)

・西日暮里にある延命院は、淫欲の寺として知られ、参詣者の女性と僧侶の密会の場になっていた

 

上野、鶯谷、錦糸町あたりは今でも風俗街の名残がありますが、

その原型は江戸時代からできていたのには、

驚きと納得でした。

 

また、

西欧の聖職者に男色が多いのは、

映画やニュースなどでよく見聞きしていましたが、

 

かつて日本の僧侶も男色家が多く、

その背景には、

(女性への)「禁欲」があった

というのも納得。

 

だから、

 

カトリックの神父は少年が大好き!? 三大宗教と同性愛のイビツな関係 (サイゾー) - Yahoo!ニュース

 

こんなことが起こりうるのかぁ、と

大変、うなずけました。

 

何はともあれ、

江戸の下半身事情として特筆すべきは、

とにかく江戸時代は、男も女も性にオープンだった!

という一言に尽きます。

 

日本人のための神道入門

という本のなかで、

日本の歴史に詳しい武光誠さんも、

このように言っていました。

 

性をオープンにするのは女性として恥ずかしいこととされたのは、実は、欧米の文化が日本に流入した明治時代になってからのことです。長年続いた日本の性の文化は、ここでまったく別の価値観にすり替わってしまったのです。

 

明治以降いまでも、

フーゾクや風俗ビジネスの従事者への社会のまなざしは、

「絶対にありえない」とまではいきませんが、

やはり下賎なものという見方はぬぐいきれません。

 

(他に仕事はいくらでもあるのに)体を売ってお金を手にする女性たち、

そんな彼女たちにお金を払って体を買う男性も、

社会の大多数は「いやらしい」「けがらわしい」という見方を示すでしょう。

 

江戸時代と比べると、

現代は、性に対する社会の許容度は狭い?!

とも言えます。

 

これは、

日本が豊かになって、

物質的に性処理が(隠れて)もっと容易くできるようになったこと、

女性も体を売る必要がなくなったこと、

 

社会的にも個人主義化が進み、

個人の自由や権利を尊重する雰囲気が出てきたこと、

言い換えれば、何でも個人で選べる機会や選択肢が増えてきたこと、

 

…などが

背景にあるのかな、

と思います。

 

プライバシーも守られていて、

いくらでも「隠れて」ぬこうと思えばぬけるのに、

立派に働いて稼いでいる女性はたくさんいるのに、

 

それなのに!

それなのに?

 

フーゾクかよ?!

といった感じでしょうか。

 

でも、

決して、その底流にあるのは、

経済的な要因とか、個人主義とかだけではないでしょう。

 

貧しかったから、

おカミが絶対で、

階層社会が当たり前だったから、

 

だから江戸時代は、

性に対してオープンだったというならば、

 

たとえばですが、

いまのアフガニスタンはどうなるのでしょう。

 

貧しいけれど、

個人の自由なんて、ほとんどないけれど、

階層社会が当たり前だけど、

 

日本の江戸時代とちがって、

性に対してまったくオープンではありません。

 

そこには、

宗教(イスラム)という越えられない壁があるのです。

 

江戸時代にこれだけ性風俗がオープンだったのは、

日本が宗教というイデオロギーに制限されていなかったことも

要因の一つと言えそうです。

 

ということで、

次は、日本人の宗教観にも俄然興味が湧いてきました。

 

■まとめ:

・タブー視されがちな性風俗について、学術的に切り込んでいくのが面白い

・江戸時代ならではの時代的な背景をおさえつつ、フーゾク事情を説明してくれるので、いちいち驚きと納得があった

・江戸時代は性(風俗業)に対して、いまよりもっとオープンだった

 

■カテゴリ:

民俗・サブカルチャー

 

■評価:

★★★★★

 

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